2017年12月30日土曜日

慰安婦問題をめぐる日韓合意

 韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領が、昨日(12月28日)慰安婦問題は日韓合意では解決しないと表明しました。その前日、韓国外相直属の検証チームが検証結果を発表しています。
 それによると、合意をめぐる交渉は朴槿恵(パククネ)大統領(当時)と安倍晋三首相の側近2人による「秘密交渉」で進められ、元慰安婦の意見が十分反映されなかったと指摘しています。「政府間で最終的・不可逆的解決を宣言したとしても問題は再燃するしかない。」と言及し、記者会見で発表した内容のほかに「非公開の内容」があったとの指摘もあります。
 非公開部分では、日本側は韓国政府に対し、ソウルの日本大使館前に慰安婦問題を象徴する少女像を建てた市民団体「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会」(挺対協)を説得する▽第三国での元慰安婦の追悼碑設置などを支援しないことを約束する▽国際社会で「性奴隷」という表現を使わない――の3点を要求。韓国側は消極的ながら受け入れていたとし、「不均衡な合意が一層不均衡になった」と結論づけました。
 当然、政府間合意の見直しであり、日本政府は反発していますが、「被害者の視点を欠いていた」とする報告書の指摘について、謙虚に耳を傾ける必要があるでしょう。黙殺するだけなら、韓国の世論を刺激し、合意見直しを求める声が高まるかもしれません。それは北朝鮮情勢が緊迫している中で、あまり得策とはいえません。

【日韓合意】
 日韓両政府は、2015年(平成27年)12月28日の日本の岸田文雄外務大臣と韓国の尹炳世(ユンビョンセ)外交部長による外相会談後に行われた共同記者発表で、慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認すると表明し、岸田外相は「当時の軍の関与のもとに多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本政府は責任を痛感している」と強調、「安倍晋三首相は日本国の首相として、改めて慰安婦としてあまたの苦痛を経験され心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に心からおわびと反省の気持ちを表明する」と語り、尹外相は「両国が受け入れうる合意に達することができた。これまで至難だった交渉にピリオドを打ち、この場で交渉の妥結宣言ができることを大変うれしく思う」と述べ、韓国政府が元慰安婦支援のため設立する財団に日本政府が10億円拠出し、両国が協力していくことを確認した。会談では、日韓両政府が今後国連など国際社会の場で、慰安婦問題を巡って双方とも非難し合うのを控えることも申し合わせが行われた。

 以下、日韓合意の内容。
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1 岸田外務大臣
 日韓間の慰安婦問題については、これまで、両国局長協議等において、集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき、日本政府として、以下を申し述べる。
(1)慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。  安倍内閣総理大臣は、日本国の内閣総理大臣として改めて、慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する。
(2)日本政府は、これまでも本問題に真摯に取り組んできたところ、その経験に立って、今般、日本政府の予算により、全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる。具体的には、韓国政府が、元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し、これに日本政府の予算で資金を一括で拠出し、日韓両政府が協力し、全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒やしのための事業を行うこととする。
(3)日本政府は上記を表明するとともに、上記(2)の措置を着実に実施するとの前提で、今回の発表により、この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。  あわせて、日本政府は、韓国政府と共に、今後、国連等国際社会において、本問題について互いに非難・批判することは控える。

2 尹(ユン)外交部長官
 韓日間の日本軍慰安婦被害者問題については、これまで、両国局長協議等において、集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき、韓国政府として、以下を申し述べる。
(1)韓国政府は、日本政府の表明と今回の発表に至るまでの取組を評価し、日本政府が上記 1.(2)で表明した措置が着実に実施されるとの前提で、今回の発表により、日本政府と共に、この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。韓国政府は、日本政府の実施する措置に協力する。
(2)韓国政府は、日本政府が在韓国日本大使館前の少女像に対し、公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知し、韓国政府としても、可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて、適切に解決されるよう努力する。
(3)韓国政府は、今般日本政府の表明した措置が着実に実施されるとの前提で、日本政府と共に、今後、国連等国際社会において、本問題について互いに非難・批判することは控える。

2017年12月29日金曜日

貴乃花親方理事降格

 貴乃花親方の理事解任を相撲協会の理事会が決めた。貴乃花親方はむしろ被害者側なのに、加害者側である伊勢の浜親方と同じ処分では重すぎるのではないかという論調が多いような気がするが、それは違うだろうということで一寸書いておきたい。

 鳥取巡業は巡業部長である貴乃花親方が全体の責任者として帯同していた。その巡業先で力士同士の喧嘩が起った。単なる喧嘩で済ませることができる範囲を超え、被害者は頭頂部に9針縫うほどの裂傷を負った。部屋の親方としては警察に被害届を出したことは間違ったとは思わない。しかし、もう一方の巡業部長という立場でいえば、当然のこととして相撲協会に正直に報告するべきだった。

 貴乃花親方が相撲協会に不信感を抱いていたとされているがそんなことは関係ない。貴乃花親方自身協会の理事であり、相撲協会の意思決定に加わっている一人なのだ。警察に被害届を出しているわけだから、警察の捜査が進めば何が問題なのかは自ずと明らかになる。相撲協会が曖昧な解決をめざしたところでそれはできない相談なのだ。だからこそ、貴乃花親方は自分の把握している出来事を正直に報告するべきだった。相撲協会が有耶無耶にする恐れがあると感じたのなら文書で提出すれば良い。いざとなったらその文書をマスコミに提供して取り上げてもらう等やり方はいくらでもある。

 私は、事件の端緒から貴乃花親方の協会理事・巡業部長としての責任放棄がこの事件の処理をズルズルと長引かせた直接の原因だと考えている。

 例えば、東京本社の全国的に有名な大企業が、鳥取県への営業活動に、営業本部をあげて、いくつもある課の課長とそのスタッフの参加する大きな営業チームを編成し、その責任者として常務を帯同させたわけですよ。そこで課ごとの縦割りではなく、例えば鳥取県人会のような宴席で大げんかが勃発して、警察ザタになった。全国的に名前の売れている会社だから事が公になると他の県での営業にも影響が出るわけだから、当然本社に、取締役会に報告し、警察の捜査と同時に社内でも真相究明委員会を設置しようということになる。ところが、常務からの報告はなく、警察からの連絡で本社は初めて事件の重大さを認識し、真相究明委員会を設置した。
 怪我をさせた課長は自ら辞表を出し、その課長の上司である取締役部長も役員を辞任すると取締役会に進退伺いを出した。一方、担当常務は取締役会から事実関係を問いただされても、まともに応えない。直接の部下である被害者の事情聴取にも協力せず、被害者の部下が入院している病院も教えない。そんなことが起ったわけです。
 この担当常務は、間違いなく直近の取締役会で解任が提案され、おそらく、会社にもいられなくなりますよ。

 巡業部長が被害者の関取の親方だったことで貴乃花親方=被害者と見られていますが、それは違う。被害者は怪我をした関取、加害者は殴った元横綱で、伊勢の浜親方にも監督責任があるでしょう。そして、警察ザタになるような事件が起ってしまった責任は、相撲協会、直接的には地方巡業全体に責任を負う巡業部長ということです。だから責任を問われて当然なんですよ。
 加害者側の伊勢が浜親方と同じ処分では重すぎるという意見がありますが、伊勢が浜親方は理事の辞任届を理事会に出しているわけで、自ら責任を感じ、自分から理事を降りるという決断をした。そこが貴乃花親方と決定的に違う。貴乃花親方は自分の処分が決まる理事会では弁明に終始したと報じられているわけで、責任を感じている者と責任を感じていない者に対する処分が同じはずはない。責任を自覚していない者に対する処罰が重くなるのはやむを得ない事だろう。

 もっとおかしいと思うのは、八角理事長がわざわざ「次の理事選挙に出る事は可能」と説明した事なんですね。理事解任を決めたけど、その処分は実質的にはそんなに重い処分ではないからねと、何だか言い訳をしているみたい。誰に、何のための言い訳なのか意味不明。理事会が出した結論をあまり余計な解釈を含めずに淡々と伝えれば良かったのだと思うんだけどどうだろう。

 こんなことを書きながら、自分が意外に相撲が好きなんだということ感じているわけですよ。だからムキになってこんな事を書いているんだなぁ。

 そして、私が一番気にしているのは、貴の岩関がちゃんと復帰できるのかどうかという事ですね。モンゴル力士会のこと、相撲に対する価値観の微妙なズレ、怪我からの回復と同じモンゴル出身の元横綱からの受けた大きな怪我によるショックからの回復、マスコミのこの事件の扱い方、貴乃花親方の対応と本人の気持ちが一致しているのかどうか等々、色んなものを抱え込んじゃったからね。ただただ、元気に土俵に上がってくれる日を待ってますよ。

2017年12月27日水曜日

嘘も百回言えば真になる?

 SNSに沖縄で起きている米軍ヘリからの落下物があった問題で、実際に、落下物があるのに、「自作自演だ」とか「でっちあげだ」という嫌がらせ(?)電話が学校や保育園、教育委員会などに入っていることについて、「事実は事実であり変えることはできない。嫌がらに屈せずがんばれ」と書いたら、すぐに反応があった。曰く「事実かどうかの検証も済んでいないのに、何をもって事実というのか?」「保育園の移転計画があったのに反対派に潰されたのを知らないのか?」「基地も移転する予定なのに反対派がいて進んでいないことをどう考えるのか?」というようなことを厳しい口調(書きこみですが・・・)で指摘された。

 私は、「ヘリの窓が落ちてきたのはみんなが見ていることだし、保育園のヘリの部品のようなものだって米軍のモノだということははっきりしている。そういうすでに事実して認定されていることは、誰が何を言おうが変えることはできないという意味ですよ。また、保育園の移転計画があったのに反対派のおかげで移転できなかったということは知らなかったので、K園長に聞いてみます。」そして、「鳩山総理が普天間基地を最低でも県外移設といっていたのに、反対派によってそれが潰されたことは知っていますよ。」というようなことを返信した。さらに、何かを言ってくるかと思ったけれど、それで話はおしまいになった。

 でもね、ちょっと気持ち悪いなと思ったのは、琉球新報だったかの記事を引用して、書き込んですぐですよ、批判的な書き込みがあったのは。私はハッシュタグは使わない主義なので、検索では出てこないと思うし、新聞社の記事を追っていたのだとしても早すぎでしょう。米軍を批判する記事が書き込まれるのを見張っていて、すぐに圧力をかけてくるって感じですよ。
 翁長知事が、目の前で起きていることなのに、自作自演だなどという嫌がらせが続くことはこれまではなかったことだという発言をしていますが、歴史改竄にとどまらず起こっている事件までなかったことにしようというのはいくら何でも異常なことだと私も思います。そして、それは誰かがやらせていることなのか、誰かの思いを忖度した誰かが自己責任でやっていることなのか、気になるよね~。

 こんなことを書いていて思い出したことがある。そういえば麻生元総理が「ナチスに学べ」って言ってたね。その時に、ナチス・ドイツで“プロパガンダの天才“と呼ばれたヨーゼフ・ゲッベルスから学べということだとすぐに気づいたんだけど、彼が残した「十分に大きな嘘を頻繁に繰り返せば、人々は最後にはその嘘を信じるだろう」という言葉、ここから学んだのか??だけどね、100回言っても嘘は嘘ですよ。それとも「自作自演だ」と言い続ければ人はそれを信じちゃうのかな・・それこそ下手なオカルト映画よりも怖いことですね。

SNS専門用語??

 SNS上で良く分からない言葉の一つが「パヨク」。なんだパヨクって?「パヨクのツイート」云々とか、「パヨクのデモ」云々とか、「パヨクってバレバレ!」みたいに書いてある。文脈からすると「パヨク」=「左翼」=「日本共産党支持者あるいは党員」という意味のように読み取れる。わざわざパヨクって言わなくても左翼で良いじゃないか!という話なんだけど、何故わざわざパヨクというのか?気になったので調べてみた。

 何でも、野間何某という方が2013年1月に「レイシストをしばき隊」を結成。本当に警察関係者に対する暴力や彼らが「レイシスト」と呼ぶ人たちの行動に対する過激な妨害・対抗活動を繰り返し逮捕者を出し、その後、「対レイシスト行動集団(Counter-Racist Action Collective、略称C.R.A.C.(クラック))」に名称変更しています。そのクラックのメンバーの一人が、某漫画家の支持者の名簿をネット上に公開するという事件があったらしい。
 そして、どうやらこのクラックの活動をSNSで拡散していた人のアカウント名が「ぱよぱよちーん」という人のようなんですね。そして、このネットに個人情報を書き込んだ事件をどうやら「ぱよぱよちーん事件」と呼んでいるようです。
 クラックの活動が左翼の活動と呼べるかどうかについては良く検証してみないといけないと思いますが、「ぱよぱよちーん」+「サヨク」から「パヨク」という言葉が生まれたということのようです。千葉麗子氏が「パヨク」という言葉を使った本を出版するなどしたことでネット上で一気に広まった言葉だとネットに書いてありました。
 千葉麗子氏は、「劣化した左翼を揶揄する意味を込めた言葉が『パヨク』だ」としています。千葉さんの発言が他にもインターネット上に紹介されていますが、クラック等いろんな団体を全部まとめて共産党関係者と書いているあたり、もう少し勉強されたほうが良いとは思いますが、いずれにしても「パヨク」は、褒め言葉ではなく共産党関係者に対する批判的な意味を込めた言葉ととらえて間違いなさそうです。
 右翼団体にだっていろんな組織があって、必ずしも一つにまとまっているわけではないように、「左翼」だっていろんな団体があって一つにまとまっているわけではないですよね。それを千葉さんはパヨク=共産党関係者として発言してますし、ネットでも概ねそのように書いています。そうするとね、何か問題があった時に、何でもかんでも共産党がやったことになってしまって、これは事実をゆがめることになってしまいちょっと危険です。

 こう見てくると、パヨクって、正確な定義づけもできない、曖昧な言葉ですね。私ですか?私は、もちろんパヨクではありませんよ。

 そしてもう一つ、ネトウヨ。これも初めて見た時なんじゃこりゃ?という感じだった。困ったときのWikipediaで調べてみると、「ネット上の右翼的、保守(≒復古主義)的、国粋主義的な性向を持つ人々を指す」とあります。メディアによるレッテル貼りだという批判がある一方で、小林よしのり氏はネトウヨのことを「国家というものを持ち出しさえすれば自分自身の自意識を底上げできる、という人間」だと批判しているように保守派からの厳しい意見にさらされていたりします。保守派評論家の西部邁さんは「ある種の反知性主義としか言いようのない、下品な言葉遣い、他人に対する誹謗中傷、罵詈雑言がある」とさらに厳しい意見を発信しています。
 「ネット右翼」という言葉は1990年代の後半、インターネット上のT-cup掲示板で使われたのが最初で、その時は自称「ネット右翼」というように使われていて、差別的な用語でも何でもなかったのです。また、「電脳右翼」という言葉も並行して使われていました。

 パヨク同様、ネトウヨも論者によって意味内容が異なり、定義も曖昧な言葉です。どちらもある種のレッテル貼りで、相手を酷くけなすために使われることが多い言葉です。使いたくありませんし、使われたくない言葉だなというのが私の結論。

【追加】
 ミソジニストって言葉、つい最近見かけるようになりました。MACブックを使っているんですが、「みそじにすと」を変換すると「三十路ニスと」となりました。それで、三十を過ぎた人に特有の何か(それはまだわからないんですが・・)をやってる人という意味か、何をやっている人なんだ?と思っておりました。
 SNSの書き込みを注意深く読んでいると、女性や女性らしさを嫌悪する人物をミソジニストのことをさしているようなんです。そこで一寸調べてみるとギリシア語の μισος misos (嫌悪、憎しみ)と γυνε gune(女性)に由来する言葉のようですね。どうやら女性・女性らしさに憎しみを感じる人のことをミソジニスト(misogynist)と呼ぶということがわかりました。

 私は、女性や女性らしさは大好きですので、ミソジニストではありませんよ。

2017年12月25日月曜日

求職活動

 雇用保険の基本手当をいただいている。いただいておきながら文句を言うわけにもいかないが、あまりにも制限的なので、改善をしていただきたいことがある。すでに、離職理由によっては給付制限を受けることについて、それはおかしい旨書かせてもらっているので、その後制度を利用させてもらって経験した問題点を明らかにしておきたい。

 そもそも、「社会保険制度(英語: Social insurance schemes)とは、社会保障の分野のひとつで、疾病、高齢化、失業、労働災害、介護などの事故(リスク)に備えて、事前に雇用者もしくは雇用主、あるいは両者が社会的供出をすることによって、保険によるカバーを受ける仕組みである。」
 雇用保険はそのうち失業という生計を維持するのが困難な状況に陥った時、働いていた時に本人及び雇用主が支払っていた保険期間・保険料に応じて、失業手当を支給し労働者が次の仕事を見つけるまでの間、その収入を保障しようという仕組みである。したがって、離職理由は本来ならば無関係だ。仕事をなくしたという事実に対して、失業等給付が受けられるというシンプルな仕組みにしないと利用しにくくて仕方ない。

 例えば、「月2日の求職活動」が義務付けられているが、私の場合、1月末に介護福祉士の国家試験を受けるので、失業給付を受けながら試験勉強をしたいということについては初回の面接で申告しているわけだ。そしてハローワークからも「介護福祉士資格で働ける場所を探しているのですね?」と尋ねられ、具体的にどうなるかは別にして、基本的にはそういうことになるわけなので、「その通りです。」と答えたている。であるならばですよ、国家試験までの間の求職活動はしないと言ってはいけないかもしれないが、しないですよね。資格がとれるか取れないかわからないのだから。

 それから失業認定日の問題。認定日に出頭しなければ、原則として認定対象期間全部について失業の認定はされないことになる。一方的に指定して、この日に来られなければ失業認定しないという仕組みなんですよね。失業者にだって暮らしがあるわけだから、例えば●月✖日から◆月▲日までの間に失業認定日を指定するので、「何日がいいか?」と聞いてくれるくらいの大らかさがあってもいいんじゃないかと思う。やむを得ない理由(その日が採用試験や資格を取るための試験に当るとか、定められた範囲内の親族の冠婚葬祭など)の場合に認定日が変更できることになってはいるけど、事前にハローワークに連絡したうえで指示を受けることになっており、きわめて制限的だ。

 人は誰しも、大なり小なり、失業という将来への不安を抱え、そうでなくても暗澹たる気持ちを抱えてハローワークを訪ね、失業手当で食いつないでその間に何とか生業を得ようとしているわけだ。社会保険制度なんだから、失業という動かしがたい事実のみを根拠に、基本手当を支給し、この手当が出ている間に次の仕事を見つけようねと、労働者を温かく励ます、そんな制度にならないものかねぇ。

2017年12月21日木曜日

ハプログループ

 『hate』のところで書いた、ハプログループって何ですかという質問があったので、自分の備忘的な意味も含めて整理しておきたい。以下は、Wikipediaのいくつかのページからまとめたもの。

 ハプロタイプとは、生物がもっている単一の染色体上の遺伝的な構成(具体的にはDNA配列)のことであり、通常、母系のミトコンドリアと、父系のY染色体が対象となる。現在は、限定的な意味として、同一染色体上で統計学的に見て関連のある、遺伝的に連鎖している多型(一塩基多型[SNP]など)の組合せをいうことが多い。

 ハプロタイプは親から子へ引き継がれるものであるから家系調査にも応用できる。特に男性のY染色体のハプロタイプは父系の調査に用いられる。Y染色体のハプロタイプは他のハプロタイプと違ってペアをなさないから、他の染色体との乗換えが起こらずに父から息子へと伝えられる。同じ姓をもつ様々な子孫を調べた場合、その姓に対する標準的なY染色体ハプロタイプが見られることもある。これはその姓を名乗った最も古い共通祖先のハプロタイプである可能性が高い。

 逆にミトコンドリアDNAのハプロタイプは母系を推定するのに用いられている。ミトコンドリアDNAは必ず母親から子に受け継がれ、父親から受け継がれることはない。したがってミトコンドリアDNAを調べれば、母親、母親の母親、さらに母の母の母の…と女系をたどることができる(この場合、父親の系統を遡ることはできない)。またミトコンドリアDNAは組換えを経ることがないため、個々人のミトコンドリアDNAの違いは突然変異のみによると考えることができる。

 突然変異は、中立説にもとづくなら、その発生頻度は経過した年月と相関すると考えられている。すると、二つの民族間でDNA配列がとてもよく似ているということは、分かれた後に起きた突然変異が少ないと言うことで、より最近にわかれた民族であるということを示す。逆にあまり似ていない配列は、たくさんの突然変異を蓄積してきたと考えられ、古い時代に分かれた遠い民族であるという基本的原理が成り立つ。

 ミトコンドリアDNAの違いを調べていくと、すべての人類の母親に辿り着けるのではないか、と考えることができる。つまり、ミトコンドリア・イブはより正確に言えば「現生人類の最も近い共通女系祖先」だと言える。分析の結果、場所的には一人のアフリカの女性にたどり着き、時間的には、人類の仮想上の共通の母親は、約12~20万年前つまり最大で20万年前に存在すると結論づけられている。

 ハプロタイプは人類などの集団の比較にも用いられる。ハプロタイプには多様性があり、近い集団では似ているが遠い集団では大きく異なる。ハプロタイプを大きくまとめたものをハプログループといい、これは遺伝的集団を示す指標として用いられ、また地理的なまとまりを見せる場合が多いので、人類の移住の歴史を推定するのにも用いられる。

 この研究が発展して、人類が最初に誕生したアフリカから世界各地に移動していく経路も推定できるようになったわけだ。ミトコンドリアDNAのハプログループDは、東アジア、東南アジア、北アジア、中央アジアそしてアメリカ大陸に至るまで広範囲に観察され、はじまりは48,000年前に東アジアで誕生したとされている。モンゴロイドの分布している地域と概ね重なっている。その中でもD4グループは日本人の30%以上が属しており、琉球人、朝鮮人、モンゴル人、ツングース系民族などでは最も高頻度で観察される。要するに、このグループは東アジアで誕生し、朝鮮半島を経由して日本に渡ってきており、大陸に住むモンゴルや中国、朝鮮半島の人たちは日本人のルーツとなっているというわけだ。

 住む国が違えど、人種的には一緒ということなのだから、いがみ合うのではなく、もっと仲良くできないものだろうかと言いたい。

2017年12月18日月曜日

FX(外国為替証拠金取引)

 日本円で外国の通貨を買うという取引(外国旅行の時の両替をイメージすれば良い。)のことを外国為替取引という。例えばこれを書いている今、1ドル=112円で取引されている。つまり、今、外国に行くために円をドルに交換すると、このレートで交換できるのだが、両替商の手数料が2~3%程度かかるので、1ドル3円前後の手数料が必要となり、実際には1ドル=115円くらいということになる。

 この1ドル=112円という交換比率のことを為替レートという。為替相場と言ったり、単にレートということもあるが、外国の通貨と円を交換するときの比率が為替レートである。国際為替市場で中心に扱われる通貨のことをキーカレンシー(基軸通貨)といい、第二次世界大戦後は、アメリカがIMF体制の下で、各国中央銀行に対して米ドルの金兌換を約束したこと、及びアメリカの経済力を背景に米ドルが名実共に基軸通貨となっている。

 ここで疑問になるのは、「何でお金の値段が変わるの?」ということだろう。為替レートがどういう仕組みで変動するのかをしっておくことは、単に、FXが何かを知ることだけでなく、国際経済の循環を理解するためにも役に立つ。

 まず、最初に想像されるのは貿易だ。アメリカの景気が良くなって、日本からアメリカへの輸出が増えたとする。日本の輸出企業は、売り上げを最終的には円で受け取らなければならない。アメリカの輸入業者がドルで支払ってきた場合は、日本企業がそれを円に交換する必要がある。また、アメリカの業者が円で払おうとすれば、ドルを円に交換しておかなければならない。いずれの場合でも、日本からの輸出が増えた分円が必要(円の需要が増える)になり、ドルで円を買う(ドルの供給量が増える)ことになる。普通の商品と同じように、需要が増えれば値段が上がり、供給が増えれば値段が下がるというわけだ。

 輸出入以外にでも、例えば、「オーストラリアの預金金利が高いので、口座を開きませんか?」など外貨預金を進められて経験があるが、外貨預金をする場合でも、相手国の通貨を円で買うことになり、この場合だとオーストラリアの通貨(オーストラリア・ドル)の需要が増え値段が上がることになる。

 このほかにも、各国の通貨政策によって、その国の通貨供給量が増えれば値段が下がるし、国際収支の動向も為替相場に影響を与える。為替市場に参加する人たちはこうしたファンダメンタル(基礎的事項)を念頭に置いて相場の動きを見て、売ったり買ったりを繰り返している。実際に為替相場を動かしている人たちは、経済や政治の動き、自然現象など様々な要因を見たり、聞いたりして、多くの市場参加者が何を買おうとしているのか、売ろうとしているのかを見極め、為替売買を行っているのだ。

 株式の取引が大きな資金を必要とするのに対して、FXは小額から始めることができるので、バイナリーオプションと同様比較的入りやすい。対象も通貨だから、メインとなるのはドル、ユーロ、ポンド、フランなど限られており、株式のように個別企業の業績を追う必要はなく、円安か円高かという大きな流れをつかんでおけばよい。

 まず、FX取引業者や証券会社に口座を開設し、お金を担保として預け入れる。これが証拠金で、FX(外国為替証拠金取引)の名称の由来になっている。単なる預金と違うのは、レバレッジという仕組みで、証拠金の何倍という設定ができるようになっており、業者によっては400倍という高いレバレッジが可能というところもある。つまり、少ない資金で大きな買い物ができる仕組みが用意されているということだ。
 しかし、逆に言えば、手持ちの現金を超えて例えばドルを買った場合、値が下がった場合には元手がゼロになってしまうリスクも抱えることになる。となると、こまめに値動きをチェックし、売り買いを繰り返さないと利益が出せないということになり、少なくとも、働きながら片手間でやっていたのでは利益を出すことは難しいと言わざるを得ない。

 これも、多くのお誘いがあるが、私が手を出せる代物ではなさそうだ。LINEなどでしきりに誘ってくる若い子たちは、本当に、これで儲けているのだろうか?本当に、これだけで生活しているのだろうか?はなはだ疑問であり、参加者を集める広告塔として使われているのではないのか、そんな気がして仕方ない。

2017年12月15日金曜日

バイナリー

 バイナリーやりませんかというお誘いが激しくやってくる。何のことかさっぱりわからないので無視していたが、無視し続けるのもなんなので、何かを調べてみた。

 バイナリーオプションというのが正式のようだけれど、二つの言葉の組み合わせになっている。
バイナリー(binary)= 二進法
オプション(option)= オプション取引

 ということで、二択を予測して選ぶ投資取引という意味らしい。二択というのが、「高くなる」か、「安くなる」かというシンプルな選択肢なので、投資の入り口、登竜門とか言われているようだ。

 例えば、こんな具合だ。ドルが1時間後に現在の1ドル105円から上がると予想したら「1万円分のバイナリーオプションをhighで購入」する。判定時刻に例えば106円になっていれば、予想が当たったので1万円の利益が戻ってくる。そして、残念ながら105円より下がっていれば、1万円がなくなる。1万円が100万円でも1千万円でも同じことで、予想が的中すれば買った額だけリターンがあるという取引がバイナリーオプションというわけだ。もちろん、それでは間に入った業者の利益が出てこないので、ペイアウト率というのを業者が設定しており、ペイアウト率80%と設定している業者からバイナリーオプションを購入した場合は、上の例でいえば、1万円の80%が戻ってくることになる。

 FX(外国為替証拠金取引)の場合、レバレッジという、持っていないお金を「持っている」ことにして取引する方法が用意されていて、例えば1千万円しか資金がないのに、2千万円持っていることにして2千万円を投資できるので、当たった時は大きな利益を上げることができるが、外れた時は逆に膨大な借金を背負うことになってしまう。バイナリーはそれがなく、損をするとしても買った金額だけなので、投資取引の登竜門などとされているわけだ。

 しかし、この仕組みよく考えてみれば、じゃんけんと一緒で、じゃんけんに勝ち続けることができないように、確率的には限りなく勝率50%に収れんされることになる。したがって買った時だけとはいえ(確率的には2回に1回)業者手数料を払うことを考えれば絶対に儲からない仕組みになっている。

 バイナリーオプションの場合、投資できる対象は①外国通貨取引、②株式銘柄取引、③資源(ゴールド、オイル等)があり、その道に精通している人ならば、例えば、株式の上がり下がりなど50%以上の確率で予測できるとすれば、勝率は50%よりも高くなるかもしれない。資源の取引でも上がり下がりの予測が高い精度で的中するのであれば勝率は50%より高くなる。しかし、相場師が暗躍する世界で素人が勝率50%を超えて儲け続けることは残念ながら不可能だろう。

 そんなことをわかったうえで、遊び金があって投資取引で遊んでみようかという人には面白い遊びになるかもしれないが、少なくとも、私が手を出すようなものではないといういうことははっきりした。

 私のバイナリーオプションに対する考え方がまとまったとこで、今度は、インスタグラムやフェイスブックで届けられる、1日何分かのバイナリー取引で優雅に暮らしていると主張している人たちが、実際にはどんな暮らしをしているのか、気になるよね~~。

2017年12月11日月曜日

hate

 ”hate” 「はて?」ではなく「ヘイト」である。少し前、ヘイトスピーチを繰り返すデモに遭遇してびっくりした。「殺せ」とか「日本から出ていけ」とか、まあなんと恐ろしいものだと心が萎びたようになってしまったことを鮮明に覚えている。

 2016年5月24日「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取り組みの推進に関する法律」通称「ヘイトスピーチ解消法」が成立しており、もうこういうのはなくなったと思っていたので、本当に驚いた。実は、この法律「不当な差別的言動は許されないことを宣言」し、人権教育や啓発活動を通じて解消に取り組むと定めた理念法で、罰則がないんだね。差別的言動の解消に向け、国や地域社会が、教育や啓発広報、相談窓口の設置など「地域の実情に応じた施策を講ずる」よう定めているけれど、罰則がないので、完全に止められないということのようだ。

 特に、在日朝鮮人の方に対する酷いシュプレヒコールを聞いていて気分が悪くなった。そもそも遺伝的な研究が進み、「ミトコンドリア・イブ」と呼ばれる人の細胞内のミトコンドリアのDNAの多型をつかって遺伝的なグループ分けがなされているわけだけど、その結果などを見ると、日本人の35%はハプログループDで中国中部から朝鮮半島を経て日本に辿り着いたグループ。つまり、たまたま国籍が日本ではないだけで、遺伝的には同じ民族なんだよ。むしろ、大陸の住人が先祖といった方が正確ですよね。

 そんな同族を蔑み、脅し、虐める行為はもう止めにしよう!そう言いたい。同時に、何故ヘイトスピーチなどというものが生まれたのかを明らかにしておきたいとも思っている。それで、いろいろと考えたのだけれど、次のことに思い当たった。
 朝鮮人に対するヘイトの源泉は、一つには朝鮮半島と日本の関係の歴史、つまり大東亜共栄圏の建設の名のもとに東アジアを支配しようとしてきた歴史の中で、他国民を劣等民族として扱うことが当然のことのように行われてきた歴史の中にある。そして、そこに新自由主義による「勝ち組」「負け組」の言葉に象徴される競争原理の押し付けが、日本の労働者・国民に与えた影響、つまり負け組となった者が、常に下位の者を見出すことで自らを慰め、それが歴史的に払拭しきれない劣等民族意識と結びついたときに、ヘイトとして現れているのではないかというアイデアを思い付いた。

 その時は、動揺して何もできなかったのだけれど、こんな風にヘイトスピーチがどこから来るのかを考えることで、今度は闘える気がしたのでした(闘うといっても喧嘩するということではありませんよ、念のため。)。

気になること

 SNS(フェイスブック、ツイッター等)の発展は目覚ましいものがありますね。スマホなどの携帯ツールの発展がそれを支えていますし、SNSの発展がスマホなどの携帯ツールを進化させるきっかけにもなっている。相乗効果でさらに発展していくのでしょうが、少々気になることがある。

 自由に意見が表明できるのは良いのだけれど、特に、匿名性の高いツイッターの書き込みにあまりに酷いものが多い。簡単に、「ボケ」「アホ」「バカ」等々の悪口を書いてしまう人が多いのが気になって仕方ない。面と向かってはおそらくいえないであろうことを、SNS上ではいとも簡単に言えてしまう。目の前に相手がいないので、かなり酷いことを書いても、せいぜいネット上で炎上することはあっても、具体的な喧嘩にはならない。口汚く罵って、言い逃げですよね。

 何でそんなことになるのか考えてみた。おそらくその背景には、現実世界で抑圧されていることが影響しているのだろうということに気が付いた。そもそも正規雇用の機会が少なく、派遣やバイトで暮らしをつなぎ年収200万円未満の労働者が4人に一人という状況でで悪戦苦闘している一般国民は、うかつに会社批判したら即雇止め、解雇という報復が待っている。労働組合組織もなく、誰も守ってくれないからね。

 安倍総理のヨイショ本を書いた山口何某は準強姦罪の逮捕を免れたが、籠池夫妻は名誉校長の存在による国有地売買劇を明らかにしてしまったために逮捕監禁されている。あるいは前川喜平さんのように「風俗通い」の印象操作の記事を書かれたり、多くの国民は籠池夫妻や前川さんと一緒で、安倍総理に逆らえば情け容赦なく嫌がらせや弾圧が待っている。

 言いたいことも言えず、貝のように押し黙っている国民が、個人を特定されないSNS上でなら言いたいことが言えることに気が付いてしまったのだ。タガが外れたように、尽きることのない泉のように、「本音」が溢れ出てくることになった。いや、本音ではなく、「怒り」が溢れ出たのだ。怒りに裏打ちされた感情の吐露だからこそ、「アホ、ボケ、カス」と口汚い罵りとなってしまうのだろう。

 これでは、せっかく手にしたSNSという自分を発信するツールを使いこなしていることにはならない。相手の人格を否定するような発言は、たとえ相手が巨悪であったとしてもやってはいけない。相手が巨悪であればこそ、事実を積み重ね、その事実の中から相手の悪の本質を描き出し、そこを徹底的に追及するのでなくては、巨悪を倒すことはできない。もっとも、単なる悪口くらいでは腹も立てないくらいの悪が大勢いるから、SNS上で罵詈雑言を浴びてもびくともしないのだろうけどね。

2017年12月6日水曜日

新たな試み

 今週は、名古屋出張で始まった。名古屋で、一つは事業協同組合の設立のお手伝いをする予定で、新設する事業協同組合の中心メンバーの方たちと打ち合わせ。志はあるが、方法論がわからないということで、私は、すでに事業協同組合を3つ設立してきた実績があり、介護事業のコンサルをやっていることもあって、大先輩のMさんから「手伝ってやってほしい」と頼まれて、出かけて行ったのだった。
 お話をお聞きすると、協同組合を作って介護人材の確保の仕事をするという目的意識のもとで、すでに必要なメンバーは集まっている。あとは中小企業団体中央会を通して、設立に向けて手順通りにやっていくだけのように思えた。足らないところを少しだけお手伝いできれば、うまく軌道に乗っていきそうだ。

 もう一つは、海外で水産物の調達をやっている友人からの要請で、名古屋の食品チェーンのA会長を訪ね、フィリピン、ミャンマー、インドネシア等から水産物を日本に入れる仕事についてお願いに行った。会長のグループ企業で水産物の品質チェックと製品化に取り組んでもらって、その実績を含めて購買生協や地域スーパー等への売り込み戦略を立てていくという大まかな方向性を確認。こちらも何とか話が前に進みそうな感触を得ることができた。

 来年度は、まちづくり研究所を軸に、介護人材の確保と養成に取り組むNCS事業協同組合、農業・林業・漁業という人の暮らしを支える基盤産業の保護・育成を本気で考えておかないと、胃袋を外国に依存してばかりでは日本の未来は切り開けないということで、第一次産業の保護・育成をテーマに六次産業化を含む取り組みを具体化していきたいと考えている。そんな試みの一つとして、東南アジアからの水産物の輸入と、養殖を含めた水産資源の保護育成の事業に着手したというところだ。

2017年12月4日月曜日

師走

 早いもので、今年もあと1か月で終わる。2017年を振り返るには少しだけ早いかもしれないが、私の、2017年を象徴する出来事ベスト5といったら何かなぁと考えた。

 何と言っても、第一位は、医療生協を卒業したこと。大学4年の後期に学生を続けながら名古屋の南医療生協に入職しているので、今年の11月まで勤めていれば36年勤続ということになったわけだが、7月末で退職したので36年には4か月足りなかった。それでも大凡36年の長きにわたって、医療生協、民医連、医療福祉生協連という枠組みの中で仕事をしてきたので、そこを辞めるというのは我が人生の中でも一大事である。
 遅かれ早かれやってくる定年を待たずに辞めたのには理由がある。私の思い描いている協同組合の姿と、岡山医療生協の常勤役員が考えている協同組合像の間の乖離があまりにも大きくなったということだ。もちろん私の信じる協同組合に近づける努力をするってことが職員としては正しいのだろうが、定年まであと1年という時間を考えると、職員数1,000人を超える大きな協同組合の舵を切ることは難しい。そして、自分の思いと違う方向に進んでいる船に乗り続けることが耐えきれなくなったことが早期退職の理由だ。

 第2位は、まちづくり研究所を立ち上げたこと。私は、安心して暮らし続けることのできる町を本気で作りたいと思っている。その実現のためには、地域を変えていくしかない。「暮らしの困った相談所」のようなイメージで地域づくりの活動していきながら、自分の飯の種も何とかしなければならないということで、苦労することになるのは眼に見えているが、それでも世の中にコミットしながら、世の中の一員として歴史の歯車を前に進めるために、とにかく何かをはじめたいという情熱だけは忘れずにやっていきたい。

 第3位は、NCS事業協同組合の設立に参加したこと。超高齢社会を生きるためには福祉・介護の仕組みが重要になるわけだが、報酬の低さ、介護労働の厳しさ等から介護人材が不足しているし、今後もさらに人材の確保と育成が難しくなる。人材確保の一つの方策として、この11月から、外国人技能実習生が介護の現場でも導入できることになった。5年の技能実習期間に介護福祉士資格を取得することができると、外国人に在留資格を付与するという制度が始まったのだ。NCS事業協は、その外国人技能実習生を受け入れる監理団体をめざして設立されたのだが、その運営に参加することになった。
 外国人実習生が介護人材不足をカバーする仕組みだとは思っていないが、たりないのは事実。何らかの形で外国人材に頼るのはやむを得ないことだ。とすれば、従来のピンハネ目的の監理団体が、その延長で介護職員の受け入れをしようという動きに抗して、まじめに実習生を受け入れ、日本の介護福祉士資格を取得できるようバックアップする体制をしっかり作り、実習生の母国の福祉・介護を担う人材を育てるお手伝いをさせていただくというビジョンをしっかり持った監理団体としてNCS事業協同同組合が活動していくことはこの業界にとって必ずプラスになることだと思っている。

 第4位まちづくり研究所の事務所をだしたこと。自営業なので、家が事務所で良いと思っていたけれど、仕事とプライベートの区別がつかないタイプの私が、家を事務所にしているとどうにもいけない。仕事がルーズになってしまうので、経済的な負担のことを考えると厳しい選択ではあったが、岡山県総合グランドの北西・津島南二丁目に事務所を借りた。ミーティングテーブル・書庫・事務机等備品も入り、狭いながらも「我が事務所」である。一国一城の主になった気分は悪くない。

 第5位は、群馬のお袋さんが、股関節の人工関節への置換する手術を受けたことかな。自分が年を取るってことは、とりもなおさず親も歳を取るってことで、お袋さんの手術はその象徴的な出来事だった。今年から、米作りを親父殿の甥(定年(60歳)は過ぎてるけどね。)に任せて、我が家は米作りから撤退した。百姓が米作から撤退するのは、サラリーマンが定年退職を迎えたようなものだから、親父殿も83歳にして農業から定年退職した。とはいえ、家の周りの畑で、毎日の食卓を飾る野菜たちの栽培は続いており、さしづめサラリーマンが定年後に再雇用をしてもらったようなものなのだろう。今度、実家に里帰りするときに、その辺りの心境を肴に親仁殿、お袋さん、弟とゆっくり杯を重ねたいものだ。

 そんなこんなで、今年も色々あったが、来年はもっと色んなことを”起さないと”いけないなと思いながら、師走を迎えた今日この頃なのである。

2017年12月1日金曜日

おうちのでんわ

 事務所を探していることは前に書いた。自営業なので職場と家が一緒でいいやと思っていたのだけれど、仕事とプライベートの区別がつかず、加えてどうしても仕事の書類などが家の中で目に付くようになる。かみさんからも厳しいご指摘をいただくことも多く、私の蔵書も本棚からはみ出してきた。そんなこんなで、11月からアパートを借りた。

 事務所というより、私の書斎といった方がいいかもしれないが、ここが活動の拠点になる。家には固定電話を引いてなかったんだけど、仕事場には固定電話があったほうが良い。Skypeで良いかなと思っていたんだけど、先日、ワイモバイルがPHS向けに提供している料金プランの新規受付および変更、PHS端末への機種変更受付を、今年度で停止するという連絡を受けて、PHSから携帯・スマホへの移行プランが有利ということでスマホに変えた際、『おうちのでんわ』というサービスがあることを知っていた。

 そこで、今回、「おうちのでんわ」を契約してきた。家の電話機をこれに繋ぐだけで、番号も変わらずに、SoftBank、Y!mobileの携帯電話とセットで月額500円の基本料金で使えるのだ。NTTの固定電話を引けば月額1,600円の基本料金がかかるが、この「おうちのでんわ」はその三分の一以下ということになる。

 本体は、下の写真の白いボックスのみ。電源につないで、家電をこの白いボックスに繋ぐだけという簡単設置で、固定電話として使えるようになる。普通に岡山市内の086で始まる固定番号が割り当てられ、NTT等の固定電話とまったく同じように使えるのだけれど、警察や消防、海上保安本部に電話を掛けた時には070で始まるPHSの番号のような電話番号が表示される。
 要するに、家電がこの白いボックスを通してPHSの回線を使って固定電話のように使えるってことなのだろうね。これならどこに持ち出しても使えそうなものだけど、届け出た住所地以外で使うことは禁じられており、設置場所を変更するときには届け出るようにと注意された。

2017年11月30日木曜日

日馬富士引退

 横綱日馬富士の引退会見を見ました。横綱としての責任をとって引退するということですが、貴ノ岩関に対しては、「礼節」「礼儀」をわきまえない若い奴にそれを教えてやっただけだと言い、怪我を負わせたことに対する明確な謝罪はありませんでした。

 結局、日馬富士関は暴力・暴行を間違っていたと思っていないのでしょうね。いかなる理由があったとしても、暴力は駄目です。でもね、理由もなく暴力に及ぶということもまたあり得ないと思うのです。貴ノ岩関の側に「礼節を欠いた」態度があったというのが事実なのか、また、その内容はどのようなものだったのか、不明確なままです。また、深夜のスナックの個室で、実際に何があったのか、これもまた良く分からないままです。貴ノ岩関本人が何も語らないので、貴ノ岩関のお兄さんや、元旭鷲山さんや、元横綱朝青龍さんなどがいろいろと発言し、それをマスコミがうまく編集してニュースで流しています。

 貴乃花親方は近い新聞には本音(?)を語っているようで、モンゴル出身力士が土俵外で親睦を深めることには反対で、土俵の上で相撲を通じて語り合えというようなことを言っているようです。だから貴ノ岩関は、日頃はモンゴル力士会に出席できていなかったようですね。久しぶり(?)にモンゴル力士会に参加して事件に巻き込まれたということのようですね。
 貴乃花親方はモンゴル力士会の存在を良く思っていなかった、だからこの暴力事件を使ってモンゴル力士会を解散させようとしている(?)そんなうがった見方もあるようです。貴乃花親方の相撲協会へ協力しない、貴ノ岩関の事情徴収を認めない、警察への起訴にこだわる様子を見ていると、もしかしたら腹の中にそんな策略を抱いているのかもしれないと思ってしまいます。
 暴力は断固認めるわけにはいきませんが、ことを大きくして自分の主義主張を通すというようなことがもしあるのならば、それもまた許すことはできないです。貴ノ岩のお兄さんも日馬富士に相撲をやめてほしくないと言っていますし、もしも貴ノ岩もそう思っているのなら、貴乃花親方の行動がどうだったのかということも検証されなければならないでしょうね。

 ただ、責任の取り方は引退しかなかったんでしょうか。確かに横綱が起訴されるということになると責任を問われることは間違いないですが、引退ではなく、横綱から平幕に降格してもう一度やり直す機会を用意しても良いと思うんですよ。どっちにしても何があった、誰が悪い、という犯人捜し的な対応に終始したマスコミの問題や、罪を罪として素直に認識できない相撲界そのものの体質を見直すことなど、本質的な問題に関する検討が進んでいないことがどうなんでしょうね。日馬富士引退でこの問題の幕引きがされるということだと、あちこちに不満の火種がくすぶって、同じような問題が再発する可能性が残ってしまうのではないでしょうか。

北朝鮮のミサイル発射

 北朝鮮がまたミサイルを発射しました。日本の排他的経済水域に落下したとのことです。排他的経済水域というのは、「国連海洋法条約に基づいて設定される、天然資源及び自然エネルギーに関する『主権的権利』、並びに人工島・施設の設置、環境保護・保全、海洋科学調査に関する『管轄権』がおよぶ水域のことを指します。」。およそ他国の排他的経済水域にミサイルを打ち込めば、これはもう戦争ということになるわけですが、今回のミサイルも実弾ではなく、あくまで実験ということで、これをもって直ちに戦争行為というわけではありません。
 しかし、事前に通告や相談があったわけでもなく、世界の平和と安定を脅かす行為であることは間違いありません。まるで、世界を相手に戦争を仕掛けたいかのように振舞う最高指導者の金正恩朝鮮労働党委員長に世界的な批判が集まっています。

 彼の行為には理由があるのだろうと思うのですが、それが全く分かりません。本気で世界と戦争したら、おそらくあっという間に北朝鮮という国が消滅してしまうでしょう。それくらい軍備に差がありますし、ましてや、勝利するなんてことはあり得ないでしょう。そもそも、世界は第二次世界大戦の反省に立って、平和を希求しているわけです。21Cこそ戦争のない平和な世紀になって欲しいと思いながら、世界の人々は21Cを迎えました。
 しかし、現実はそう甘くなく、1989年から続くアフガニスタン紛争はまだ火種が残っていますし、2006年にはイスラエル国防軍によるパレスチナ自治区のガザ地区への侵攻(イスラエル軍における呼称は「夏の雨作戦(מבצע גשמי קיץ、英訳:Operation Summer Rain)」)が行われ、今もイスラエルとパレスチナとの紛争は続いています。
 他にも、2003年まで続いた第二次コンゴ戦争、2005年まで続いた第二次スーダン内線、2008年の南オセチア紛争、2011年リビア内戦、2012年におこったマリ北部紛争、2014年ウクライナ内戦、2015年イエメン内戦などが記憶に残っていますが、これでは世界は平和と呼べる状態にはありません。

 なぜ紛争・戦争が起こるのか。宗教間の対立、民族間の争い、主義主張の違い、いろいろ説明できるのかもしれませんが、結局のところ、お金、利益なのではないでしょうかね。かのマルク先生は、資本論の中で「"大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!" これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない。」と言いました。とにかく、今の目先の利益を追い求め、利益のためなら自分以外にどんな不幸が訪れようが知ったことではない、という利己主義の典型のような話ですが、互いに自己利益を求めるあまり、国家間の対立につながった時に戦争が起こっているのですよ。私にはそう見えます。

 夜の日本列島と朝鮮半島の宇宙からの写真を見ると、北朝鮮はほぼ真っ暗です。明るければいいというものではありませんし、日本は明るすぎると私は思いますが、それでも北朝鮮の暗さには驚かされました。北朝鮮の「道路の舗装率3%」とか、「北朝鮮の農民は全員、農業合作社に所属し1日8時間、週6日間働いている」とか、直接見たわけではありませんので真偽のほどはよくわかりませんが、いずれにしても、北朝鮮の経済力は極東アジアの中では一国だけ落ち込んでいる感は否めません。
 金正恩さんの周辺だけは贅沢に暮らしているように見えますが、貧富の差は日本以上に激しいように思います。そしてその富を核兵器の開発につぎ込んでいるわけですが、その目的はつまるところ北朝鮮という国を富ませること、もっと儲けることしか考えていないのではないかと思えて仕方ないのです。

 今回のミサイル発射を受けて、比較的北朝鮮寄りだった中国も、原油の供給をストップするようですし、このままいくとますます孤立を深め、自滅していくことになるんじゃないですか。核兵器をちらつかせての話し合いではなく、お互いに武器を持たずに平和な友好関係を築くために、同じテーブルについて話し合うことがますます重要になっていると思います。

2017年11月28日火曜日

横綱審議員会

 横綱審議委員会が話題になってますね。委員のメンバーが顔を揃えているところがテレビにも映し出されました。これみておかしいなと思ったのは私だけでしょうかね。
 最初の違和感は、男性の後期高齢者にしかみえないような顔々が並んでいることです。相撲界の変革がこのメンバーでできるのか?という率直な疑問がわいたわけです。この面々が伝統や古い精神性に基づき今の相撲界を作ってきたわけですよ。だから体質改善云々、再発防止云々、といいながら残念ながら変えることができなかったということではないでしょうか。自分たちの責任を振り返ることのできない横審の限界ではないかと思います。
 二つ目の違和感は、横審の委員の皆さんは、相撲界の外の人だと云うことです。もちろん、一般社会の常識から判断することが求められることもあり、外部の人が参加することは必要ですが、その世界の価値観を身をもって経験した人が横審の委員にいてもいいと思うんです。もちろん、理事長等協会役員が参加しているのでしょうが、役員以外から、あるいは現役力士の代表が参加するような仕組みも必要ではないでしょうか。何だか外のご意見番の意見を「ご意見ごもっとも。」と聞く場所にしかなってないんじゃないかと思うんです。
 三つ目の違和感は、横審が男ばかりだということです。相撲界そのものが男社会なので、女性が入りにくい面があるのかもしれませんが、女性の眼という物が必要なのではないかと思います。伝統的な価値観以外の判断基準が持ち込まれないと、相撲界の変革は果たせないのではないかと思います。

 横審の後、北村正任委員長が会見しましたが、一つは白鳳関の万歳に違和感の表明がありました。万歳は、いつまでも生き栄えることを意味します。それを祝うために皆で万歳三唱をするわけです。白鳳関のインタビューの前後の脈絡をちゃんと聞いていれば、不祥事が表面化し苦しい状況にある相撲界が、この先いつまでも栄えていって欲しいという未来への決意がこめられていることは明らかでした。しかし、北村さんは、白鳳関の行動を不祥事が起きて大変な状況の中で万歳することに違和感を感じたと批判しました。横審の権威を振りかざすのではなく、白鳳関の行動の意味をちゃんとわかって発言して欲しいと思った次第です。
 そして、貴乃花親方の行動については、理事でありながら協会の動きを壊すような動きだとして批判しました。この件については、私も同感です。相撲協会の執行部の1人として、協会の方針に基づいて行動するべきでしょう。貴乃花親方の行動については私も疑問に感じておりました。一つは、事件が起こったことを把握しておきながら、すぐに届け出ずに数日経過した後だったこと、そして、診断書が二通りあり、貴乃花親方が重症だと主張しているが、診断書を書いた医師は休場するほど重傷ではないといっていることの食い違いです。さらに、貴の岩関本人の事情聴取を認めないことが一番大きな疑問です。本人に語らせれば事実関係がはっきりするんじゃないですかね。それを親方が認めないので事実関係が曖昧なまま様々な意見が飛び交っている状況は、誰にとっても不利益になるのではないかと思います。何よりも、貴乃花親方では巡業に出れないとか、理事を降りるべきだとかいう批判が出てきて、結局、ご本人の相撲界を改革しようという思いと逆行することになるんじゃないかと思うんですが、その辺り貴乃花親方自身に語って欲しいと思います。

2017年11月27日月曜日

白鳳の優勝インタビュー

 大相撲九州場所は、白鳳関の優勝で幕を下ろしました。しかし、日馬富士関の暴力沙汰に及んだ事件の真相究明はこれから幕を開ける事態です。それを象徴するように、白鳳関が優勝インタビューで語ったことが物議をよんでいます。

 白鳳関は、「この場を借りて場所中に水を差すようなことがあり、全国の相撲ファンに対し力士代表としてお詫び申し上げたいと思います。私は15歳で来日し62キロの少年が、ここまで来るとは誰も思わなかったと思います。そして相撲の神様、この国の魂に認められたから、この40回の大台があるのではないかと思います。その土俵の横で誓います。場所後に真実を話し、膿を出し切って、日馬富士関と貴ノ岩関が再び、この土俵に上げてあげたいなと思います。」とインタビューの冒頭で異例の発言を行いました。

 暴力の場に居合わせた一人でもあり、相撲協会による真相究明、警察による捜査が進んでいる段階で不用意に言うべきではなかった・・・反対を代表する意見はこんな感じでしょうか。
 一方で、「力士を代表して、場所中足を運んで応援した人、テレビの前で観戦する相撲ファンに、直接お詫びしたのは好感が持てる。」という声もたくさん聞こえています。私は、直接、白鳳関が国民にお詫びし、「膿を出し切って日馬富士関、貴ノ岩関を土俵に上げてあげたい」と語ったことについて好感が持てました。

 相撲界で続いてきた悪しき習慣が、無くならない不祥事の原因だと思っており、不祥事をなくすためには国民に開かれた相撲界にならなければ駄目だと考えています。その意味で、横綱が九州場所を締めくくる千秋楽の優勝インタビューであえてあの発言をしたことを評価します。もちろん、その後の自身の身の振り方を含めて、色々な影響が出るであろうことは、白鳳関だってわかっていたと思います。それでも「何かを覚悟して、あの発言を行った。」と私には感じられました。白鳳関が言ったように、長い歴史の中で溜まってしまった膿を出し切って、不祥事とは無縁のクリーンな相撲界になって欲しいと思います。

2017年11月22日水曜日

政治資金で飲食

 しんぶん赤旗に「自・公・希 政治資金で飲食三昧、2016年東京都選管政治資金収支報告書」と題する記事が載っていた。
 政治資金で飲食!?それで良いのか?と疑問に感じました。国会議員の政治資金は、企業献金や政党助成金などですが、特に、政党助成金ですよ。これは国民の税金から支払われているわけです。つまり、私の雀の涙ほどの収入の中から容赦なく源泉徴収で回収していく、まさにその税金の一部が含まれているわけです。企業献金のほうは、好きに使えというおおらかさで支出しているのかもしれませんが、政党助成金は、国民の税金が入っている以上、私的な飲み食いに支出するべきではありません。少なくとも私は、私の税金については、私のような薄給で暮らす庶民が行くこともできないような、ミシュランガイドで紹介された銀座の中華料理店や、神楽坂や赤坂の割烹料理店、広尾の高級フランス料理店等々での贅沢三昧は許せないですね。
 政治は何のためにあるのかですよ。国民の安全や安心、幸せの実現のためにあるんでしょう。自分と自分の取り巻き連中が美味い飯が食えればそれでいいというようなさもしい人間に政治を語る資格はないと言いたいです。

【政治資金で飲食】

名 前 政 党 ポスト 支出額 支出例
赤枝 恒雄 自民党 前衆議院議員 370万円 焼肉・中華料理など
高木 陽介 公明党 元経済産業副大臣 333万円 割烹、フランス料理など
松原 仁 民進党 元国家公安委員長 293万円 懐石料理など
若宮 健嗣 自民党 元防衛副大臣 272万円 割烹料理など
鴨下 一郎 自民党 元環境相 231万円 懐石料理、すき焼きなど
※しんぶん赤旗調べ(2017年11月21日付)

 これは政治家個人の話ですが、「自民党東京支部連合会は、赤坂や人形町の高級料亭、懐石料理店、中華料理店、日本橋のウナギ店などで1,546万円余を支出しています。」と記事は伝えています。また、記事が伝えているのは、東京に限っての話で全国を見ればさらなる強者がいそうですが(だって、安倍晋三さんや、麻生太郎さん等が地方にいるもんね。)、税金使っての飲食は、返納させるべきだと私は思います。だって、労働者の給与は減り続けているんですよ。そんな庶民の暮らしは見向きもせず、「自分だけ、今だけ、金だけ」で動いている政治家は、お引き取り願いたいというのが私の言い分です。

 昔から言うじゃない。「食い物の恨みは恐ろしい」って。

2017年11月21日火曜日

岡山県総合グランド

 今日は、西口の国際交流センターで打ち合わせがあり、事務所から歩いていくことにした。打ち合わせが終わって帰る途中、総合グランドの中を抜け、秋色に染まった公園を歩いてきた。
楓の紅葉と木の実
紅と黄と緑
古代と現代が交叉する
蒼空に楓の赤が良く映える
この存在感が良い
このグラデーションの不思議さ
スタジアムと水の流れ
秋陽の昼下がり、何を思って1人ベンチに腰をおろしているのかなぁ。
武道館と楓と
町中には見えないでしょ。
茅の綿毛と蒼空と

2017年11月20日月曜日

社会保障給付費と年金

 2015年度の社会保障給付費が、過去最高を更新し114兆8,596億円(前年比2.4%増)に上ると国立社会保障・人口問題研究所が発表しています。
※国立社会保障・人口問題研究所作成資料を転載させていただいています。
部門別にみると、「年金」がが54 兆 9,465 億円で総額に占める割合は47.8%、、「医
療」が 37 兆 7,107 億円で 32.8%、「福祉その他」が 22 兆 2,024 億円で 19.3%となっています。高齢人口が2.6%増加しているにもかかわらず、年金の対前年伸び率は1.1%となっています。それは何故?
 平成16年度の年金制度改正でマクロ経済スライドが導入されました。マクロ経済スライドは、年金の被保険者(加入者)の減少や平均寿命の延び、更に社会の経済状況を考慮して年金の給付金額を変動させる制度のことをいいます。
 少なくとも5年に1度、年金の財政状態の評価と今後の見通し(「財政の現況と見通し」)を作成する財政検証が行われ(法4条の3第1項)ますので、その際に、将来の財政均衡期間(検証の年以降100年間)にわたり年金財政の均衡を保つことが出来ない(積立金の保有ができない)と見込まれる場合は、年金の給付額の「マクロ経済スライド」と呼ぶ調整を行うとされ(法16条の2第1項等)、政令で給付額を調整する期間(調整期間)の開始年度を定めることになります。そして、2004年(平成16年)の検証により2005年(平成17年)度が調整期間の開始年度とされました(令4条の2の2等)。調整期間は、その後の財政検証で年金財政の均衡を保つことができる(調整がなくても積立金の保有ができる)まで続けられます。
 2015年度は実際にマクロ経済スライドが実施され、年金額の引き下げが行われた年なんですね。だから、高齢人口の伸びを下回る「年金」の伸びに収まったということでしょう。
 加えて、年金支給開始年齢の引き上げの影響もありますよね。1986年4月以前は60歳から支給されていた厚生年金が、2000年の改正で生年月日によって年金の支給開始年齢が引き上げられることが決められました。老齢基礎年金いわゆる国民年金部分は65歳から支給されることになっていますが、老齢厚生年金は、生まれ年によって支給開始年齢が異なります。例えば、私は1958年生まれですので、63歳から支給されますが、1959年4月2日以降の生まれだと64歳から、1961年4月2日以降の生まれの場合だと65歳から支給されることになります。さらに年金支給開始年齢を68歳とか70歳に引き上げようという検討が行われているようですから、当分の間、年金支給はなさそうだという覚悟が要るのかなというようなことを感じています。

2017年11月17日金曜日

お昼休みの散歩

 今日は、お昼休みに町を探検しようと思い立って、北に向かって歩いてみました。すると山の端に妙善寺というお寺がありました。ちょっと調べてみるとこのお寺、弘法大師(774~835年)が開いたと言われているんですね。つまり9世紀のころに建立されているようです。元は、真言宗の福輪寺というお寺でした。
 南北朝時代、つまり14世紀に京都から大覚大僧正(妙実上人)という方が、法華宗の布教のために備前の国に立ち寄って、ここ津島村で百姓たちに、南無妙法連華経の節回しにのせて、後ろに下がりながら苗を植える方法を伝授し、その合理的な方法に感心した村人が、村に招き教化を受けたという話です。
 そして、福輪寺の座主だった良遊さんという方も大覚大僧正の弟子となり、福輪寺という寺名を妙善寺と改めたのがこのお寺のルーツなんですね。この一帯は、松田一族が治めていたのですが、城主も法華宗に帰依し戦国時代を通じて法華宗を庇護したので、その教えは備前から美作にまで広がり「備前法華」呼ばれるようになりました。
 華々しい歴史のあるお寺ですが、同じ宗派の中の「受不施」と「不受不施」両派の派閥争いが起こり、幕府は1666年に不受布施派の布教を禁じたことから、その後長きにわたって弾圧を受けることになりました。
 不受布施派の備前法華の拠点であった妙善寺も備前藩主池田家の激しい弾圧と迫害にさらされることになり、1708年には一切の堂宇を廃棄することになりましたが、住職や信者は信念を崩さず信仰を守り抜き、1876年釈日正上人の請願により日蓮宗不受不施派の再興、翌年の妙善寺の故地に津島教会所設置を経て、1897年には再び妙善寺を名乗ることが許されるという、何ともすごいドラマが秘められたお寺なんですね。
 地域の歴史を知るというのは、大事なことだなぁと思いました。ここに昔から住む人たちの精神世界に、今もその歴史が大きな影響を残していると思うからです。
鷲林山妙善寺の門
門を入ると左手に石碑のような置石があるが、
碑文が書かれている様子もなく、良くわからなかった。
でも、そこに紅葉したモミジの枝が下がった小景が、
ちょっと気に入った・・・

イロハモミジの赤と下の方にノキシノブのが見えてます。
ノキシノブは着生植物なので、樹木から栄養を奪い取るような真似はしません。


一寸坂道を上るとすぐに本堂前の庭に出るのだけれど、
そこに土塀が築かれており、その土塀にかかるモミジは、
まだ、紅葉が始まっていなかった。
桜かな?モミジ同様、紅葉が始まってます。



お寺の庭に池があって、その池に、たぶん雨水を集めて、
池に集めるようになっているんだと思うんだけど、
その土管の上に赤とんぼが停まってた。
写真が前後しちゃったけど、置石の周りみ密生していたスギゴケ
そして、この建物が本堂です。

2017年11月16日木曜日

国旗国歌を考える

 先日、SNS上で学校行事の日の丸、君が代の扱いについて、ある方が「起立したり、礼したり、歌ったりすることは、しても良いし、しなくても良い・・・自由です。」と書き、それを強制し、「従わない人を排除」するのは間違っている、教育者のやることではないと批判しました。
 それに対して、支持する意見が多いのですが、かなりの数の反対の書き込みがあって、その内容があまりに酷いので、この機会に少し整理しておきたいと思っています。

 まずは、法律そのものを見ておきます。
【国旗及び国歌に関する法律(平成11年8月13日法律第127号)】
第1条 国旗は、日章旗とする。
第2条 国歌は、君が代とする。
附則 施行期日の指定、商船規則(明治3年太政官布告第57号)の廃止、商船規則による旧形式の日章旗の経過措置。
別記 日章旗の具体的な形状、君が代の歌詞・楽曲。

 本文は、二つの条文しかありません。どんな時に国旗を掲揚するとか、その際には起立しなければならないとか、公式行事では君が代斉唱を行うのだとか、その際に歌わずに黙っていてはいけないとか、そういう定めは一切ありません。もちろん憲法にはそのような規定はありませんから、国旗を掲揚することや、国旗に礼をすることや、君が代斉唱の際は必ずうたわなければならないというような義務はないということです。 
 にもかかわらず公立学校の入学式、卒業式では国旗掲揚と君が代がセットで式次第にはいっており、国旗に礼をすることや、起立して君が代を歌うことが慣例として行われています。その慣行に従いなさいと学校長が業務命令したり、その業務命令に従わない教員に罰則を与えたりするので、何度も裁判が起こっています。

 では、何故「起立」を強制したり、「君が代」を歌うことを強制することができるのでしょう。それは学習指導要綱で国旗・国家への理解を深めることを求めているからです。文科省は2002年に「卒業式及び入学式における国旗掲揚及び国歌斉唱についても、児童生徒に我が国の国旗と国歌の意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるという学習指導要領の趣旨を踏まえ、域内の全ての学校において適切に実施されるよう一層の指導の徹底をお願いします。」との教育局長通知を出しました。学習指導要綱やこうした通知を踏まえて、学校の現場では「強制」が行われているわけです。

 次に、判例を見ておきましょう。東京都立高校の教諭が提訴した「再雇用拒否処分取消等請求事件(平成22年)」(判例集:民集 第65巻4号1780頁)の上告審判決で、最高裁第二小法廷が憲法に違反しないと判断しました。卒業式の君が代斉唱にあたって「起立」を命じた職務命令について、最高裁が初めての合憲判断を下し「都が戒告処分を理由に(定年後の)再雇用拒否したのは裁量権の範囲内」とした二審・東京高裁判決を支持、損害賠償請求も棄却し、原告全面敗訴となりました。
 判決理由の中で、「本件職務命令当時,公立高等学校における卒業式等の式典において,国旗としての『日の丸』の掲揚及び国歌としての『君が代』の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であって,学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり,かつ,そのような所作として外部からも認識されるものというべきである。」とし、「起立」して「君が代斉唱」することは儀礼的な所作であって、原告の「『日の丸』や『君が代』が戦前の軍国主義等との関係で一定の役割を果たした」という歴史観や世界観を否定するものではないとしました。

 他の同様の裁判でも、概ねこの考え方が踏襲され、いずれも原告敗訴という判決が出されています。日の丸・君が代をどう評価するかは置いておいて、長く慣習として行われてきていることなので、日の丸を掲げたり、君が代を歌うことは思想信条や歴史認識とは無関係だということで良いんじゃないですかと、本質的な判断を避けていますよね。それくらい政治的な問題だということでしょうね。

 こういう事実関係を積み上げての反論ならば大歓迎ですが、「万が一戦争になって北朝鮮や中国が攻め込んできてもまさか自衛隊に助けてもらおうなんて思ってないだろうな。国の助けはあてにせず自力で戦うか逃げるかしろよ!」とか、「貴方は在日ですか?」とか、「結婚式で拍手しないのか⁉️ 葬式で合掌しないのか⁉️ 日本の公式式典で国旗・日の丸掲揚、国家・君が代斉唱は当たり前の“道徳”」などといった書き込みを見ると、ちょっと何とかしてよという気分になりますね。こういうのは批判でも何でもなく、脅し、嫌がらせの類です。言論の自由を暴力でねじ伏せようという輩は大嫌いです。もっとまじめに批判してくださいと言いたいですね。

 ここで止めてもいいんですが、そうすると私が国旗国歌に賛成しているように思われてしまうので、もう少し書きます。

 戦前の絶対主義的天皇制の社会で、「日の丸」が国旗、「君が代」が国歌と定められました。しかし、なかなか広がらないため、主に軍隊と学校教育の場で浸透させられていきます。特に学校教育では、皇室に関わる祝日に行われる儀式の際に、天皇制国家への服従と忠誠心を持った臣民を育てるために、「日の丸」に向かって敬礼し「君が代」を高らかに歌うことが、有無を言わさずに求められました。
 こうした戦前の絶対主義的天皇制、軍国主義の象徴の一つであった「日の丸」「君が代」を、学校教育の中で「強制」するなと主張することは、間違ったことでしょうか。「教育とは、生徒の内側から『もっとわかりたい』という要求を引き出して、学習という行為に一緒に誘い込み、いわば伴走者のように励ましながら、生徒が学んでいくことを援助して行く、目的意識的な営みなのです。(梅原利夫)」。生徒たちが自主的に学んでいくことが第一義的な課題で、教職員はその生徒たちの自主性を引き出していくのが仕事というわけです。「強制」は最も教育の現場になじまない行為だと言えますね。

 教育基本法を下に掲げておきますが、その崇高な理念を実践するはずの学校教育で、戦前の絶対主義的天皇制の亡霊のような「国旗」「国家」をありがたく押し頂くことが強制されたのではこれはもう憲法違反と言わざるを得ないと私は思います。

【教育基本法】
第1条(教育の目的)
 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
第2条(教育の目標)
 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

 国旗なので式典で国旗を飾るのは良いと思いますが、わざわざ式典の中に国旗掲揚という項目を起こさず、最初から舞台に掲げておけばいいだけです。君が代も国歌とされているわけだから、君が代を演奏する時間はあっても良いけど、歌うことを強制するのをやめればいいじゃないですか。
 と言いながら、私自身は儀礼的所作という最高裁判決は意外に良いんじゃないかなと思うんですよ。で、国旗掲揚の時は(必要とあらば起立して)国旗を見上げますし、国歌斉唱の時は他のみんなと同じように立ち上がって、しかし無言で通します。所作なんだから、振舞えばいいんですよ。それが嫌なら、もうそういう式典には出ないというのが正しい選択のような気がします。
 もちろん、式典の次第を決めるときに、憲法の表現の自由や、思想・信条の自由に触れてしまいそうな行為は参加者に求めないということを、確認していくことは毎回必ずやっておかなければいけないと思いますよ。それでも決まってしまったのなら、儀礼的な立ち居振る舞いなのだと割り切って、それには従わざるを得ないというのが私の意見です。「悪法でも法は法」ですから。
 

2017年11月15日水曜日

横綱の暴行事件

 大相撲横綱の日馬富士が、貴乃花部屋の貴ノ岩に暴行を加えていた事件が、マスコミを賑わせてます。相撲界では稽古と称した虐めや暴力事件が後を絶ちません。

 21Cに入ってからの暴力事件を拾い上げてみました。
◆2006年7月場所 大嶽部屋の露鵬が九重部屋の千代大海との一戦後、土俵の決着を土俵外に持ち出し口論となり、風呂場のガラスを割り、厳重注意を受けた後、カメラマンに暴行を加え、3日間の出場停止処分となりました。
◆2007年6月 新弟子として時津風部屋に入門した当時17歳の時太山が稽古時間中に心肺停止状態となり、搬送先の犬山中央病院で約1時間後に死亡が確認される事件が起こりました。時太山が人間関係や稽古の厳しさから脱走、それに腹を立てた親方がビール瓶で殴打し、「可愛がってやれ」と指示。集団暴行により時太山が死亡しています。時津風親方は部屋持ち親方としては史上初の解雇処分を受けました。
◆2007年6月 武蔵川部屋の山分親方が、ちゃんこ番の元力士の男性が新弟子を虐めているのを正そうとビールケースの上で蹲踞をさせてダンベルを持たせたり、ぶつかり稽古をさせて「当たりが弱い」と箒の柄の部分で両腕を繰り返し殴り2週間の怪我をさせ、書類送検されました。
◆2008年1月 陸奥部屋の十両豊桜が序の口力士の頭を調理器具のお玉で繰り返し殴打、8針(7cm)縫う怪我を負わせ、書類送検されました。
◆2008年5月 間垣親方が朝稽古で「やってはいけないことをやった」ことを理由に竹刀で太腿や顔、手の甲を叩き1週間の怪我を負わせ、相撲協会から減俸処分を受けています。
◆2010年1月 横綱朝青龍が場所中に深夜のスナックで泥酔。一般男性を殴り怪我を負わせ、横綱審議委員から横綱としては初めて引退勧告を受けました。相撲協会からの事情聴取後、突然引退を表明し新聞号外が出るなど話題を集めました。
◆2015年7月 宮城野部屋の熊ヶ谷親方が仕事上のミスを理由にマネージャーに対して、金属バットで尻を殴り、腕などをすりこ木や金づちで叩くなど暴行を加え、怪我を負わせ書類送検、相撲協会を解雇されました。
◆2017年10月 横綱日馬富士が、同じモンゴル出身の貴ノ岩に「兄弟子に対するあいさつが足りない」と説教中、貴ノ岩の携帯が鳴り操作しようとした貴ノ岩に腹を立ててビール瓶で殴打、さらに素手で何十回と殴り続けた・・・という事件が起こりました。

 暴力事件以外にも野球賭博に大麻事件、暴力団との関係等々いろんなことがありました。その都度、反省・謝罪会見が行われ、調査委員会が設置されたり改善の努力が行われ、改善される事が期待されてきましたが、ここへきて横綱日馬富士のビール瓶殴打事件が起こりました。
 相撲協会には自浄作用が働かないのか?という疑問がわいてきます。私は、相撲界の成り立ちがそうさせている側面が否めないと考えています。一つには、早い子は、中学校卒業で相撲部屋に入り、住み込みで稽古、稽古の相撲漬けの生活おくることになり、社会人としての知恵や知識を学びながら人間性を育んでいくという成長機会が損なわれていることがあげられるのではないでしょうか。
 そして、もう一つが、横綱を頂点とした厳然たるヒエラルキーの存在です。勝負の世界である以上、強い者の位が上になるのは仕方ないとしても、その相撲という勝負の世界の序列が、人格を含めた人間の序列になってしまっているのではないかと思うのです。例えば、関取(十両以上)になると付き人がつき、荷物を運んだり、廻しのつけ外し、テーピング、風呂で体を洗う、洗濯、ちゃんこ番と身の回りのこと全てを片付けてくれます。従順に我が儘を聞いてくれる付き人が、横綱ともなれば一人、二人ではなく、10人くらいつくわけです。そこで、自分はえらい、付き人は何でも自分の言うとおりになる、言うことを聞かないのはおかしい、力づくで言うことを聞かせても良い・・・といった勘違いが起こるのではないかと思うんです。
 こうして強くなって(横綱を目指して)、上にあがっていくことに絶対的な価値があるという価値観が醸成されることで、そのためには手段を択ばないといった考え方が生まれ、そこに稽古という名の虐めや、上の者の暴君のような振る舞いを是認する風土が生まれているのではないかと思います。
 大相撲は日本の国技であり、歴史も古いスポーツです。昔からの伝統を大切にしながらも、科学的な稽古と民主的な部屋の管理運営、人間的な成長を保障するための社会教育への取り組みなどが求められているのではないでしょうかね。そういう努力なしには、相撲界の体質は変えられないような気がします。

2017年11月14日火曜日

国会の質問時間

 国会の質問時間をめぐって、与野党がもめてます。「国会の質問時間を議席数で決めるべきだ」と主張する与党に対して、「質疑から逃げ回っている」「自由な質疑・意見陳述保障が大原則」と反発する野党という構図です。

 現状どうなっているかというと「2009年に民主党が政権をとってからは、『与党2:野党8』の時間配分が慣例に」なっているんです。外国の事情を日本の国会図書館が調べて2013年に発表しているんですが、それを見ると、日本と同じく首相を国会議員から選ぶドイツでは、大きなテーマを扱う大質問では98.4%が野党の質問ですし、毎週政府が議員の質問に応える質問時間でも80.7%が野党質問、タイムリーな話題を扱う時事討論では99%以上を野党が使っています。イギリスやフランスでもドイツほどではないにしろ、野党に多くの時間が与えられています。

 それは考えればわかることで、与党から内閣総理大臣が出ており、与党主導で立法府としての役割を議会が果たしているわけですから、与党に質問の必要性があるのかどうかということですよ。与党が成立させようとしている法案を、批判的に検討するのが野党の仕事なわけですから、「野党が質問して、与党が答える。」のが原則ですよ。場合によっては与党議員が発言することが必要な場面もあるのでしょうが、基本は与党のやろうとしていることついて野党が質問して、間違っている部分は修正したり、補強が必要なことがあればそれを書き加えたりということが議会でやられているわけですから、議席数に応じて質問時間を定めるなんてのはあり得ない話です。

 何か基準を求めるのなら、有権者に対する絶対得票率で質問時間を割り振ったらいいんですよ。そしたらさ、自民党なんてせいぜい全有権者の17%程度の支持しか得ていないわけだから、公明党と合わせたって今の「2:8」がちょうどいいくらいなのですよ。議席数が民意を忠実に反映する選挙制度になっていない中で、議席数で質問時間を案分するなんてことは許しちゃあいかんのです。

しんぶん赤旗 11月15日付の風刺漫画

2017年11月13日月曜日

生活保護法の改正と生活困窮者自立支援法の成立

 生活困窮者自立支援法は、2013(平成25)年にできた比較的新しい法律です(施行は2015年4月)。

 わが国では、これまで憲法25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という定めに基づき(生存権保障)、生活保護法がセイフティーネットの役割を果たしてきました。しかし、下のグラフ(「年収ラボ」)1990年代にバブルが崩壊すると1997(平成9)年をピークにサラリーマンの平均年収が下がり始め、2009(平成21)年には、リーマンショックの影響で一気に平均年収が5%以上落ち込み、翌年から持ち直す兆しが見えたところで2011(平成23)年に東日本大震災が発生するなどした結果、生活保護受給者数は増加の一途をたどっています。

 上の図(「社会実情データ図録」作成)を見るとわかるように、1993、94年の586千世帯から2016年度には1,637千世帯へと増え続けています。危機感を覚えた政府は、生活保護への締め付けを始めました。

 記憶に新しいのは2012年に芸能人の母親が生活保護を受給していたことをとりあげ、まるで「不正受給」であるかのように報道されました。だいたい国の常とう手段で、マスコミを使って世論誘導しておいて制度を改悪していくわけですが、この出来事もまさに国民が生活保護受給者に対して厳しい目を向けるように仕向けられたものでした。この出来事は生活保護法に様々な影響を与え続け、制定後初の生活保護法改正を招くことになりました。
 主な改正内容は、①就労による自立を促進するとして、安定した職業に就くことにより保護から脱却の脱却を促すための給付金の創設(就労自立給付金)、②健康・生活面等に着目した支援といいながら、受給者自らが、健康の保持・増進や収入・支出等の状況の適切な把握に努めることを要求、③不正・不適正受給対策の強化として、福祉事務所の調査権限を拡大し、罰則の引き上げと不正受給に係る返還金の上乗せ、福祉事務所が認めたときは扶養義務者に対して必要な限度で報告を求めること、④医療扶助の適正化では、指定医療機関の指定要件の明確化及び更新制の導入、後発医薬品の使用を促すこと、国による医療機関への直接指導を可能とする、等となっています。
 国は、こうした生活保護法改正を準備する一方で、2012年に社会保障審議会に「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」設置し、翌13年の報告書を受けて、未だ生活保護の対象にならない生活困窮者に対する支援にあたる、生活困窮者自立支援法が生活保護法の改定に合わせて2015年に制定されました。

 生活困窮者自立支援法第1条に目的が書かれています。曰く「この法律は、生活困窮者自立相談支援事業の実施、生活困窮者住居確保給付金の支給その他の生活困窮者に対する自立の支援に関する措置を講ずることにより、生活困窮者の自立の促進を図ることを目的とする。」とされています。

 具体的に行われる事業は次のようなものです。
1.自立相談支援事業の実施及び住居確保給付金の支給(必須事業)
◆ 福祉事務所設置自治体は、「自立相談支援事業」(就労その他の自立に関する相談支援、事業利用のためのプラン作成等)を実施します。
 ※ 自治体直営のほか、社会福祉協議会や社会福祉法人、NPO等への委託も可能
◆ 福祉事務所設置自治体は、離職により住宅を失った生活困窮者等に対し家賃相当の「住居確保給付金」(有期)を支給します。

2.就労準備支援事業、一時生活支援事業及び家計相談支援事業等の実施(任意事業)
◆ 福祉事務所設置自治体は、以下の事業を行うことができます。
 ・ 就労準備支援事業
  就労に必要な訓練を日常生活自立、社会生活自立段階から有期で実施
 ・ 一時生活支援事業
  住居のない生活困窮者に対して一定期間宿泊場所や衣食の提供等を行う
 ・ 家計相談支援事業
  家計に関する相談、家計管理に関する指導、貸付のあっせん等を行う
 ・ 学習支援事業その他の自立促進に必要な事業
  生活困窮家庭の子どもへの学習支援、その他生活困窮者の自立の促進事業

3.都道府県知事等による就労訓練事業(いわゆる「中間的就労」)の認定
◆ 都道府県知事、政令市長、中核市長は、事業者が、生活困窮者に対し、就労の機会の提供を行うとともに、就労に必要な知識及び能力の向上のために必要な訓練等を行う事業を実施する場合、その申請に基づき一定の基準に該当する事業であることを認定する。

4.費用
◆ 自立相談支援事業、住居確保給付金:国庫負担3/4
◆ 就労準備支援事業、一時生活支援事業:国庫補助2/3
◆ 家計相談支援事業、学習支援事業その他生活困窮者の自立の促進に必要な事業:国庫補助1/2

 地域で安心して暮らし続けることができるためのセイフティネットとしての生活保護法と生活困窮者自立支援法、どう活用していくかという視点でしっかり勉強しておかなければならないと思いました。
 

2017年11月7日火曜日

東日本大震災被災地 大川小学校

ここが、78人の児童のうち74名が、13名の教職員のうち10名が死亡するという被災んな津波被害の現場です。校庭の広場でどこに避難するかを議論している間に時間が過ぎてしまい、避難方針が決まって移動を始めた矢先に津波が到達して逃げ遅れることになってしまったのです。

 日本列島は西半分はユーラシアプレートの東端、東半分は北米プレートの上にのっており、北米プレートの下に太平洋プレートが沈み込む際に北米プレートを巻き込んで沈んでいき、その溜まったひずみが一気に解放されて今回の地震が起こっています。
 同じようにユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが沈み込んでおり、東日本同様、地殻の歪が大きくなり、いつ爆発的に解放され、東日本大震災のような巨大地震が西日本を襲ってもおかしくない状態にあります。

 今回の被災地訪問は、東日本大震災の教訓を生かして、災害に強い地域づくりにどう取り組むかのヒントを見つける旅でした。なかなか考えがまとまりませんが、多くの糸口を示してくれたと思っています。

 こうした震災の遺構を残して未来への教訓にしようという意見と、忘れたい過去を思い出させる被災建物が残っているのは耐え難いという意見とが拮抗しているようですが、この大川小学校の被災建物は残されるようです。

卒業制作の壁画が倒れてしまわずに残っていました。









東日本大震災 被災地を歩く

 11月4日、日本福祉大学時代の同窓生と東日本大震災の被災地を巡ってきました。
 ここは、仙石線旧野蒜駅です。旧駅舎が今は震災を語りつぐための施設になっています。現在の野蒜駅は仙石線の内陸化でここから500mほど北の海抜20mの丘の上に新設されています。
身長約170cmの伊東君の背丈の倍以上のところまで津波が押し寄せました。

当時の切符の販売機が津波に壊された時のまま保存・展示されています。
ガイドさんがついて、当時の状況を説明してくれます。
彼女自身も被災者で、津波にのみ込まれたけれど運よく助かったとの由。



駅の南側に用水路があり、その用水路のところで津波の高さがガクッと下がり、
それで、駅舎が津波にのみ込まれなかったので上に逃げた人は助かったのだそうです。
駅舎の後のプラットフォームの部分が残されていて、遺構として残すために
整備が進められていました。

市民公開講座

 昨日は、岡山県自治体問題研究所の市民公開講座に参加してきました。講師は、林原靖氏で、テーマは『「破綻」と「背信」から希望に向けて」。株式会社林原の経営破たん~会社更生法の適用申請~1年2か月で1,400億円の負債総額に対して93%の弁済率で会社更生計画の終結という不可解な決着を見た、「林原乗っ取り計画」ともいえる事件を振り返り、真の問題が何だったのか、何を教訓にしなければならないのか、この先に希望はあるのかを問うた意欲的な講演でした。

【経営破たん前後の経過】・・・講演で触れられなかったことも含めて備忘的に整理した。
●1970年代ハムスター法によるインターフェロンの製造法開発に向けた多額の研究開発費で1700億円の巨額の借入を行ったが、遺伝子組み換えインターフェロンの登場で、借入金の回収ができなかった。その後、トレハロース等の主力製品が開発され、経営改善が進んでいた途中で、今回の事件が起こっている。
●2010年 中国銀行(以下「中銀」)と住友信託銀行(以下「住信」)が内部資料の付合わせを行いB/Sの借入金の差異を指摘。2行の主導で林原健氏および林原靖氏の個人保証、関係各社相互の債務保証への署名捺印を行わせ、不動産を担保に入れさせた。2行の他の債権者を差し置いた行動が、後に他の債権者の不信感へとつながった。
●2010年12月 林原グループは資産のすべてを中銀と住信の2行に担保として差し出している。結果、翌年2月の融資の継続書き換え時に担保不足により資金ショートする公算となる。
●メインバンクの中銀は林原に対して裁判外紛争解決手続き(ADR)を進めるよう指示。ADRの第一人者である西村あさひ法律事務所を紹介した。
●2011年1月 ADR第1回会合で、代表取締役林原健氏が謝罪、弁護士から経営責任をとって社長の林原健氏、専務の林原靖氏、ほか経理担当役員2人が退任する旨の報告を行っている。JR岡山駅南所有地に中銀が、林原美術館に住信が、それぞれ抵当権を設定していることが明らかになったこと、前年末からADR申請まで中銀と住信の2行のみで情報を独占したことに非難が集中。
●2011年2月2日 事業再生ADRの秘密裏に協議を進める原則にも関わらず、新聞各紙に林原のADR申請がスクープされる。中銀、住信のやり方に不満だった銀行関係者がリークしたと想像される。
●2011年2月2日 ADR会合の最中に、同日に代表取締役に就任したとされる福田恵温氏の委任により、西村あさひ法律事務所の弁護士が、東京地方裁判所に林原の会社更生法の申請をおこなった。委任にあたって全株主の同意があったとされているが、林原健氏、靖氏の両名はADR会合に出席しており、福田氏による同申立は西村あさひ法律事務所による不実、私文書偽造の疑いが濃厚と指摘されている。
●こうした経過の中で、ADR不成立、会社更生法の適用となり、保全管理人、更生管財人にはADR時の顧問弁護士団を束ねていた松嶋英機弁護士が横滑りし、参加の西村あさひ法律事務所の弁護団もADR時のまま継続して会社に常駐した。ADR時には林原の弁護側だった西村あさひ法律事務所が一転して糾弾側に立つことになった。
●再建スポンサーは、3回の入札で決まったが、最終的に落札した長瀬産業は、1回目、2回目の入札には参加しておらず、債権者である三井住友銀行がメインバンクの強力な意向により、長瀬産業が再建スポンサーに選ばれたのではないかと考えられる。
●2011年8月3日 最後の入札を経て長瀬産業がスポンサーに決定し、12月31日に東京地裁により更生計画案が認可された。
●JR岡山駅南の林原所有地は、2011年9月21日に入札が行われ、イオンモールに売却が決定。裁判所の更生計画案の認可を待って、2012年1月末に土地の引き渡しが行われた。
●2012年2月1日付で林原商事、林原生物化学研究所の2社は林原に吸収合併され、2月3日には林原は100%減資のうえ、長瀬産業の完全子会社となった。
 長瀬産業(大阪市)からの出融資700億円、売却可能の株式などが約300億円、岡山駅前の土地が約200億円強、その他の土地・建物などが約100億円、そして林原健と靖の私財提供分の数10億円を加えると、ほぼ銀行借入のすべてがこれらによって肩代わりできることになった。結果として総額約1400億円の負債に対し、約1300億円の弁済原資を確保。弁済率は約93%と更生法下では異例の高水準、更生法適用から約1年2ヶ月でのスピード終結となった。
※林原靖氏は、「実際には弁済率100%超だった。」と報告していた。

◆林原靖氏の講演から
【根本の疑問】
・なぜ、世界に向けて快進撃を続けていた有望な会社を大きく育成することを考えず、強引に潰すことになったのか。

【問題はどこに・・・】
1.銀行の問題
 銀行は「短期の自己利益の追求」に奔走し、「社会の幸福を増進」し、「事業を育て」、「経営をサポートする」という機能を全く果たしていない。金貸しは借り手の弱みに付け込みあこぎに奪い取ろうとする。銀行は借り手を育て共に喜び、世の中に新しい価値を創造・提供するという本来的意義を忘れ、単なる金貸しに堕しているのではないか。
2.法律事務所の問題
 「弱き者を守る」社会正義の精神を見失い、教条主義的で「前近代的」のまま。スティーブ・ピンカーの『暴力の人類史』によれば、人類の歴史は「弱い立場の人々を守る歴史」であった。日本の司法界は、自らを絶対権力の体現者と勘違いして、きわめて教条的で、明治以来の「国家主義」「お上の立場」から進歩していない。
3.マスコミの問題
 マスコミは、真実の追及と社会の木鐸たるを忘れ、管財人の流す情報を記事として垂れ流し、「偏見・偏向」に終始した。本来、報道は現場取材を徹底し、自分の足と目と耳で事実を確認し、人類の歴史と文化に学びながら、グローバルな視野を持ちつつ、積み重ねた事実から読み取るべき真実について自分の頭で考え、必要な時には断固闘う決意をもって記事を発信しなければならない。近来のマスコミはそういう普通のことができなくなった。一時の煽情的なあおりだけで、あとは口をつぐみ知らぬ顔。

 講演を聞きながら考えた。

 銀行が金貸しに堕していると指摘しているが、それがその通りだ。そもそも銀行員が色んな産業のことを知らない。もちろん、中には自分が担当している企業の業界の状況をよく勉強している人もいるかもしれない。しかし、私が知っている限り、そんな人はほとんどいなかった。業界の置かれている現状も知らずに、担当企業の財務に口を出すわけだから、結局、保有する資産の価値だとか、預貯金の額だとか、資本金だとか、利益を生んでいるかどうかとか、そういったことで金を貸せるかどうかを判断することになる。
 その企業の事業活動の将来性だとか、地域社会に対する貢献度だと、さらい云えば地域の繁栄や発展という視点から判断して、その企業を育てる観点で共に汗を流すような銀行があったら、どんなにいいだろう。「なければ作る」そんな発想も必要なのかもしれない。

 JR岡山駅南の林原が所有していた土地は、今はAEON MALLになっているが、岡山らしさがあるわけでもなく、渋滞緩和で駐車場は有料とし、周辺に無料駐車場を整備してバス輸送するとしていたが、集客が見込みを下回り、結局、現在は駐車場は事実上無料となっている。こういうところは、新しくできた当初は人が集まるけれど、時間の経過とともに飽きられてしまうことになる。しかし、AEON MALLができたことで閉店を余儀なくされた地域の商店街は戻ってこない。結局、あまり良い事にはならないんだよね。そんな施設を作るよりも、岡山らしく、駅前商店街を含む再開発計画を造り実行する事ができなかったのかと思う。そういう地に足をつけた計画づくりとその実践は、時を積み重ねて成長していけるが、AEON MALLのような施設は作った直後にピークを迎えあとは徐々に後退していくだけだ。
 岡山市内の企業を地域資源の一つとしてとらえ、企業と市民、自治体の仕事をネットワークでつないで、地域の成長と市民の幸福、企業の発展が同時に実現されていくような、そんな共生型の地域社会を作ることにもっと注意を払うべきだ。銀行も法律家も企業も同じプラットフォームの上で、自分たちの仕事を組み立てることを真剣に考えないと、さらに高齢化が進み、人口が減っていくこれからの社会の中で、みんなの幸せを実現する事はできない。

 講義の中で触れていた「3だけ主義」(=「今だけ」「自分だけ」「金だけ」という刹那的・自己中心的な考え方。)では、これから先やっていけないといことを、政治家をはじめ多くの国民が気づかなければならないと強く感じた講演会でした。

2017年10月30日月曜日

質の悪いドタバタ喜劇

 選挙後のドタバタ喜劇があまりにも酷い。

 一つは民進党。前原代表の本音がどこにあったのか、こればかりはご本人が本音を語らないので解りようもないが、自分たちで希望の党への合流を決めておいて、希望の党が選挙に負けたらその「方針が間違っていた。」と前原代表一人に責任を押し付けるかのような周辺議員の反応を見て、「それは違うでしょう。」と言いたいですね。自分たちも参加した両院議員総会で意思統一した話なんでしょう。だとすれば、その決定には、自分たちの責任も生じるでしょう。あなた方も、小池さんが立ち上げた希望の党に、政権をうかがうような勢いを感じて、希望の党から立候補したら当選できてしかも政権与党になれるかもしれないと勘違いしたんですよね。
 だけど、よく考えてください。政党には政党としての主義主張があります。それが綱領だったり、理念だったり、政策だったり、選挙公約(マニフェスト)だったりという形で明らかにされているわけですが、そこに一致できない人を受け入れれられない(小池さんが「排除」という言葉を使ったのが云々と批判されていますが…)というのは、政党として当然の事ではないんですか。私は、小池さんが全員員受け入れる事はできないと言ったのは必然だと思いました。
 希望の党が候補者探しをしている今なら、入れてくれと言えば入れてくれるのではないかと勘違いしたのは、一番最初に言い出した柚木某だったり、それを受け入れて両院議員総会に提案した執行部だったり、さらにそれを了承した衆参両院の民進党の議員の皆さんです。総選挙の度に所属政党が変わるという政治家としての根っこのない人たちが、自分たちの根無し草の境遇を恥じる事なく、落選した責任を前原さんや小池さんに求めるのはあまりにもさもしい姿で見ていられないというのが私の率直なところです。そのドタバタ劇は、まるで喜劇を見ているようで可笑しくて仕方ないです。しかも、その喜劇の質があまりにも低い文化水準なので、それを取り上げるマスコミも、もっと政治家のあり方がどうなのかというような本質に迫る問題提起をすれば良いのにと思うけれど、みように真剣な顔でドタバタ劇を追いかけているので、マスコミのレベルも文句云ってる民進党議員と同じようなものなのだろうと思う。

 そして、希望の党の小池代表批判。「政治は結果責任」というの違うと思うんですよ。結果に対して責任がついてくるのはどの世界でも当然のことですが、政治のめざすべきところは、選挙で当選したかどうかが大事なのではなく、国民の安全・安心・平和をどう守るのかが政治家が一番大事にしなければならない事なんです。それを忘れてしまったかのような責任のなすり合いが実に見苦しいけれど、マスコミもその見苦しい争いにつきあって、柚木議員を登場させて「小池さんは立候補するべきだった」とか、誰が悪い、誰が犠牲になった云々とやっているわけですから同じ穴の狢なんでしょう。
 私は、政党の代表が国会議員でなければならないとは思いませんし、 政党の代表が内閣総理大臣とならなければいけないとも思いません。政党の代表はつとまっても、内閣総理大臣はできない人がいても不思議はないですよね。人には向き不向きというのがありますから。国会議員がその辺りをふまえて、真面目に内閣総理大臣を選ぶ事ができるようになるといいけどね。
 マスコミの興味のあるところは、「ポスト安倍の最右翼は小泉某云々」、「いやいや石破某だ」、「野党分裂状態をもう一度再編して、与党に対抗できる野党結集を図ることが必要だ」、「野党第一党が立憲民主党となり、国会内の部屋割りが…」等、いずれも国民のためにどんな政治をやっていくのかということよりも、国会の勢力争いばかり。

 チャップリンの名言を思い出す。「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である。」…渦中の国会議員は自分に訪れた悲劇を嘆いているのかもしれないが、その悲劇が上演されている国会劇場を、見たくもないのに観客席から見る事を強制されている国民には、質の悪いドタバタ喜劇にしか見えていないことを、国会議員もマスコミも知るべきだと思う。

2017年10月23日月曜日

文化としての日本酒とまちづくり

 昔、一村一蔵といわれるほど酒造場はたくさんあった。今のように、流通が発達していないし、冷蔵庫のない時代には長期保存にも限界があった。だから、暮らしの近くに酒造場が作られることになったのだろう。
 それに、何といっても、日本人は古くから酒を飲む習慣があったことが酒造場がたくさん作られた最大の理由かもしれない。例えば、1世紀のころに書かれた中国の思想書『論衡』には、日本人が黒黍で醸した酒に薬草を漬け込んだ薬酒(さしずめ養命酒のルーツのようなものだろうか)を周の成王に献じたという記述があるという。また、中国の歴史書で3世紀ころに書かれた『魏志倭人伝』には日本の習俗を伝える記述があり、「倭人好みて酒を飲む」と日本人に酒を飲む習慣があること、喪にあたっては弔問客が「歌舞飲酒」の風習があることなどが書かれている。今でも、さすがに歌舞はないけれど、弔問客が一緒に酒を飲みながら故人を偲ぶという習慣は残っている。それくらい日本酒は日本人の暮らしに馴染みのものなのだ。
 第二次世界大戦で、灘の酒蔵に大きな被害が出て、実に95%が焼失した。にもかかわらず、戦争が終わって10万人を超える満蒙開拓移民の引き揚げ、国外に出兵していた兵士の帰還、何よりも荒廃したとはいえ平和な世の中になって酒を飲む需要が増える一方だった。酒蔵の戦争被害や農地の荒廃で米も不足し、日本酒の生産が追い付かず、1949年から醸造用糖類,アミノ酸,有機酸を加えた調味アルコールのもろみへの添加が始まる。これにより米だけでつくった純米酒の3倍の増産が可能となり,これを増醸法,三増法と呼んだ。こうして、戦前はすべて純米酒だったのに戦後の三増酒の時代が始まる。純米酒のうまさに比べれば不味いのは当然だが、とにかく酒ならばよしとされ、これが売れたのである。コメの生産が追いつき、酒蔵の再建ができた後も、この増醸法が酒造りの中心の時代が続いた。増醸法が採用され続けた理由は原価が低く抑えられ、利益が良かったからに他ならないわけだが、それが日本酒に苦難を与えることになった。
 高度経済成長期を経てワインやウイスキー、ビールに焼酎など様々な酒が国内外から一般家庭にも届くようになると、三増酒の不味い酒を飲まなくても美味い酒、飲みやすい酒が手に入るようになって一気に日本酒離れが進むことになったのだ。その後さまざまな努力が始まって、日本酒の酒質は年々上がっており毎年旨くなっているが、それでも居酒屋では「とりあえずビール!」なのであって、日本酒の消費量は大きく回復するということにはなっていない。その中で蔵がどんどん無くなっていったのだ。今や実際に酒を仕込んでいる蔵は1,000前後ではないかと思われる。
 和食が世界遺産になり、日本酒も再評価されるつあるが、今や、「日本の文化として残していかなければならない。」などと声高に主張しないと守れない状況にある。

 だから、私は日本酒を愛飲している!ということでもないのだけれど、日本酒が一番性に合っているようで、日本酒だとあまり二日酔いにならない。酒肴をつつきながら朋と酒を酌み交わす。そして、酒の師匠が『ときを呑む』というのを真似て最近私も使っているのだけれど、他愛のないことから人生の悲喜こもごもまで語り合うその時間が何と幸せなことか。今日のストレスを和らげ、明日の生きる糧となること間違いない。
 私が、人の暮らしと日本酒のある風景を大切にしたいと考えるようになったのはそんなことからなのだが、これからのまちづくりを考えるときに、日本酒が一つのキーワードになるのではないかと思っているのだ。一方で、介護が必要になっても住み慣れた地域で暮らし続けることができる町をつくる課題に立ち向かいつつ、もう一方で、日本酒を呑む場を含む日本酒のある暮らしができるまちづくりというようなことを考えている。

 前置きが長くなったけど、昨日は、三冠酒造を訪ねてきた。春に由加神社の境内に瓶に仕込んだ三冠酒造の酒を地中に埋め、地中で熟成させてきたのを掘り出す神事を由加神社で執り行い、その帰りに足を延ばして三冠酒造に行ってきたのだ。
 七代目の前畠眞澄君に案内してもらって、蔵を見せていただいた時に撮ったのが下の写真たちだ。小さな蔵で酒造50石というから一升瓶で5千本という酒造量ということになる。何となく年商がどれくらいか計算できるわけだけれどこれで食べていくのはそう楽ではないことだけは間違いない。七代目は「300石をめざして頑張っている」とのことで、早く実現すると良いね。
 あさひ米の純米吟醸、雄町の純米吟醸、本醸造酒の3種類を利き酒させていただきながら、-7度の冷凍庫に火入れせずに保存していること、蔵のクセ(と七代目)で酸度が高くなること、等の話を聞き、-7度で保存することの必要性や、酸度の高いお酒の美味しい飲み方など日本酒にまつわるあれやこれや語り合いながらの唎酒はとても楽しい時間となったのでした。

蔵の玄関を入ったところにあるショーケース


木製の甑と釜
甑の上を見あえげると木製の大きな滑車が残っています



麹室
DIYで七代目が整備したとのこと

酒造タンク

薮田式の搾り機
この小さいサイズの搾り機は初めて見ました。

唎酒させていただいた三種類


創業は文化3年(1806年)
創業211年になる歴史のある蔵元です。