南北朝時代、つまり14世紀に京都から大覚大僧正(妙実上人)という方が、法華宗の布教のために備前の国に立ち寄って、ここ津島村で百姓たちに、南無妙法連華経の節回しにのせて、後ろに下がりながら苗を植える方法を伝授し、その合理的な方法に感心した村人が、村に招き教化を受けたという話です。
そして、福輪寺の座主だった良遊さんという方も大覚大僧正の弟子となり、福輪寺という寺名を妙善寺と改めたのがこのお寺のルーツなんですね。この一帯は、松田一族が治めていたのですが、城主も法華宗に帰依し戦国時代を通じて法華宗を庇護したので、その教えは備前から美作にまで広がり「備前法華」呼ばれるようになりました。
華々しい歴史のあるお寺ですが、同じ宗派の中の「受不施」と「不受不施」両派の派閥争いが起こり、幕府は1666年に不受布施派の布教を禁じたことから、その後長きにわたって弾圧を受けることになりました。
不受布施派の備前法華の拠点であった妙善寺も備前藩主池田家の激しい弾圧と迫害にさらされることになり、1708年には一切の堂宇を廃棄することになりましたが、住職や信者は信念を崩さず信仰を守り抜き、1876年釈日正上人の請願により日蓮宗不受不施派の再興、翌年の妙善寺の故地に津島教会所設置を経て、1897年には再び妙善寺を名乗ることが許されるという、何ともすごいドラマが秘められたお寺なんですね。
地域の歴史を知るというのは、大事なことだなぁと思いました。ここに昔から住む人たちの精神世界に、今もその歴史が大きな影響を残していると思うからです。
鷲林山妙善寺の門 |
門を入ると左手に石碑のような置石があるが、 碑文が書かれている様子もなく、良くわからなかった。 でも、そこに紅葉したモミジの枝が下がった小景が、 ちょっと気に入った・・・ |
イロハモミジの赤と下の方にノキシノブのが見えてます。 ノキシノブは着生植物なので、樹木から栄養を奪い取るような真似はしません。 |
一寸坂道を上るとすぐに本堂前の庭に出るのだけれど、 そこに土塀が築かれており、その土塀にかかるモミジは、 まだ、紅葉が始まっていなかった。 |
桜かな?モミジ同様、紅葉が始まってます。 |
お寺の庭に池があって、その池に、たぶん雨水を集めて、 池に集めるようになっているんだと思うんだけど、 その土管の上に赤とんぼが停まってた。 |
写真が前後しちゃったけど、置石の周りみ密生していたスギゴケ |
そして、この建物が本堂です。 |
0 件のコメント:
コメントを投稿