2017年10月23日月曜日

文化としての日本酒とまちづくり

 昔、一村一蔵といわれるほど酒造場はたくさんあった。今のように、流通が発達していないし、冷蔵庫のない時代には長期保存にも限界があった。だから、暮らしの近くに酒造場が作られることになったのだろう。
 それに、何といっても、日本人は古くから酒を飲む習慣があったことが酒造場がたくさん作られた最大の理由かもしれない。例えば、1世紀のころに書かれた中国の思想書『論衡』には、日本人が黒黍で醸した酒に薬草を漬け込んだ薬酒(さしずめ養命酒のルーツのようなものだろうか)を周の成王に献じたという記述があるという。また、中国の歴史書で3世紀ころに書かれた『魏志倭人伝』には日本の習俗を伝える記述があり、「倭人好みて酒を飲む」と日本人に酒を飲む習慣があること、喪にあたっては弔問客が「歌舞飲酒」の風習があることなどが書かれている。今でも、さすがに歌舞はないけれど、弔問客が一緒に酒を飲みながら故人を偲ぶという習慣は残っている。それくらい日本酒は日本人の暮らしに馴染みのものなのだ。
 第二次世界大戦で、灘の酒蔵に大きな被害が出て、実に95%が焼失した。にもかかわらず、戦争が終わって10万人を超える満蒙開拓移民の引き揚げ、国外に出兵していた兵士の帰還、何よりも荒廃したとはいえ平和な世の中になって酒を飲む需要が増える一方だった。酒蔵の戦争被害や農地の荒廃で米も不足し、日本酒の生産が追い付かず、1949年から醸造用糖類,アミノ酸,有機酸を加えた調味アルコールのもろみへの添加が始まる。これにより米だけでつくった純米酒の3倍の増産が可能となり,これを増醸法,三増法と呼んだ。こうして、戦前はすべて純米酒だったのに戦後の三増酒の時代が始まる。純米酒のうまさに比べれば不味いのは当然だが、とにかく酒ならばよしとされ、これが売れたのである。コメの生産が追いつき、酒蔵の再建ができた後も、この増醸法が酒造りの中心の時代が続いた。増醸法が採用され続けた理由は原価が低く抑えられ、利益が良かったからに他ならないわけだが、それが日本酒に苦難を与えることになった。
 高度経済成長期を経てワインやウイスキー、ビールに焼酎など様々な酒が国内外から一般家庭にも届くようになると、三増酒の不味い酒を飲まなくても美味い酒、飲みやすい酒が手に入るようになって一気に日本酒離れが進むことになったのだ。その後さまざまな努力が始まって、日本酒の酒質は年々上がっており毎年旨くなっているが、それでも居酒屋では「とりあえずビール!」なのであって、日本酒の消費量は大きく回復するということにはなっていない。その中で蔵がどんどん無くなっていったのだ。今や実際に酒を仕込んでいる蔵は1,000前後ではないかと思われる。
 和食が世界遺産になり、日本酒も再評価されるつあるが、今や、「日本の文化として残していかなければならない。」などと声高に主張しないと守れない状況にある。

 だから、私は日本酒を愛飲している!ということでもないのだけれど、日本酒が一番性に合っているようで、日本酒だとあまり二日酔いにならない。酒肴をつつきながら朋と酒を酌み交わす。そして、酒の師匠が『ときを呑む』というのを真似て最近私も使っているのだけれど、他愛のないことから人生の悲喜こもごもまで語り合うその時間が何と幸せなことか。今日のストレスを和らげ、明日の生きる糧となること間違いない。
 私が、人の暮らしと日本酒のある風景を大切にしたいと考えるようになったのはそんなことからなのだが、これからのまちづくりを考えるときに、日本酒が一つのキーワードになるのではないかと思っているのだ。一方で、介護が必要になっても住み慣れた地域で暮らし続けることができる町をつくる課題に立ち向かいつつ、もう一方で、日本酒を呑む場を含む日本酒のある暮らしができるまちづくりというようなことを考えている。

 前置きが長くなったけど、昨日は、三冠酒造を訪ねてきた。春に由加神社の境内に瓶に仕込んだ三冠酒造の酒を地中に埋め、地中で熟成させてきたのを掘り出す神事を由加神社で執り行い、その帰りに足を延ばして三冠酒造に行ってきたのだ。
 七代目の前畠眞澄君に案内してもらって、蔵を見せていただいた時に撮ったのが下の写真たちだ。小さな蔵で酒造50石というから一升瓶で5千本という酒造量ということになる。何となく年商がどれくらいか計算できるわけだけれどこれで食べていくのはそう楽ではないことだけは間違いない。七代目は「300石をめざして頑張っている」とのことで、早く実現すると良いね。
 あさひ米の純米吟醸、雄町の純米吟醸、本醸造酒の3種類を利き酒させていただきながら、-7度の冷凍庫に火入れせずに保存していること、蔵のクセ(と七代目)で酸度が高くなること、等の話を聞き、-7度で保存することの必要性や、酸度の高いお酒の美味しい飲み方など日本酒にまつわるあれやこれや語り合いながらの唎酒はとても楽しい時間となったのでした。

蔵の玄関を入ったところにあるショーケース


木製の甑と釜
甑の上を見あえげると木製の大きな滑車が残っています



麹室
DIYで七代目が整備したとのこと

酒造タンク

薮田式の搾り機
この小さいサイズの搾り機は初めて見ました。

唎酒させていただいた三種類


創業は文化3年(1806年)
創業211年になる歴史のある蔵元です。

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