2019年9月15日日曜日

統一地方選挙

 今年は、四年に一度のオリンピック・・・ならぬ統一地方選挙の年。加えて、夏には参議院選挙がある。さらに、もしかしたら衆参同日選挙になるのではないかというような話まで出ているようなので、まさに選挙イヤーである。
 興味深い選挙がいくつかあったが、私が一番関心を持っていたのは、他でもない衆議院沖縄三区である。自民党・安倍総理が推した島尻安伊子(元沖縄・北方担当大臣)氏と玉城知事が支援した元沖縄タイムス論説委員の屋良朝博氏の一騎打ちだ。なんせ元沖縄担当大臣なのだから安倍内閣総力を挙げて選挙戦を勝利し、普天間基地の辺野古移設への国民の信を得たことにしたかったに違いない。ところが今回も、辺野古移設反対が賛成を上回る結果となったのだ。辺野古移設反対の立場ながら支援した公明県本部の幹部は「辺野古で譲歩したことに有権者が厳しい審判を下したと受け止めている」と述べたとのことだが、何度も突き付けられる辺野古移設反対の沖縄の声を自民党・安倍内閣はきちんと受け止めなければならない。

 そしてもう一つが大阪府知事・大阪市長の選挙だ。大阪維新の会の松井代表が大阪知事を辞めて大阪市長に立候補し、同じく維新の大阪市長・吉村洋文氏が市長を辞めて大阪府知事選挙に立候補するという前代未聞の珍事がおこったのだ。否決された大阪都構想を再び蒸し返そうというわけだから、私には喜劇を通り越して悲劇にしか見えなかったのだが、驚くことに、吉村博文大阪府知事が誕生し、松井一郎大阪市長が生まれた。まさに悲劇への幕開けとなった。何でそうなった?良く分からないので、しばらく考えてみたい。

 私は、投票率が50%を下回るほど低かったから云々というような話はひとまず置いておき、それぞれの選挙区で有権者である民衆が、何故この結果を選んだのかということを考えてみなければならないと思っている。構成員の強固な組織で選挙戦を勝利する公明党、企業や地縁・血縁を支持基盤として選挙を闘う自民党、少数精鋭の党員を中心に組織戦を繰り広げる日本共産党・・・選挙というと何となくそんな風に見てきたような気がするが、この二つの選挙結果はそれでは説明がつかない。

 また、衆議院議員大阪12区でも維新の藤田文武さんが自民党公認候補を破って当選を果たし、野党統一候補と位置付けられて、いい勝負をするのではないかと思っていた宮本たけし氏が大きく差をつけられて4位という結果に驚いた人が多かった。勿論私も驚いた一人だった。

 これらの選挙から何がわかるのか・・・私の考えを整理しておきたいと思って書き始めたのだが、ずいぶん長いこと放っておいた結果、もう何を書こうとしていたのか忘れてしまった。続きはまたの機会にということで、いったん書き終えたことにしたい。

2019年3月9日土曜日

キーワードは協働化

 介護業界に身を置いていて私が考えていることは、インフラの整備から協働化へとシフトチェンジが求められているということだ。高齢者人口が増加を続ける局面では、特別養護老人ホームに入居を希望する人が供給をはるかに上回り、年単位で順番を待たなければならないというような問題が発生した。もちろんこれは、2000年に特別養護老人ホームへの入所を措置から契約に変更しておいたので、「待機者問題」ですんだわけで、措置制度のままだったら措置入所の先がないなどという事態は許されなかった。その意味では、公的責任を追及される前に、措置制度から契約制度に変えておこうという作戦は、見事にその役割を果たすことができたといえる。
 そしてさらに2015年に国がやったことは、それまで要介護認定されれば特養に入居可能だったものを、施設サービスは中重度者向けのサービスにするのだという理屈をつけて、要介護1、2の高齢者を施設サービスから締め出すことだった。この結果、いわゆる「待機者問題」はほぼ解消することができた。
 しかし、それでもまだこれからも高齢者人口は増え続ける。ではどうすればいいのか・・・。私の意見は、ありあまる日本の住宅を活用して、地域包括ケアシステムがいうところの住まいの問題を解決してしまえばいいということだ。国が借り上げるなり、買い取るなりして、高齢者の標準的な住まいを国が現物給付する仕組みを作る。もちろん、バリアフリー化するなどひと手間加えなければならないわけだが、それを公共事業でやればいい。世界の脱ダム化の動きに逆らってダムをつくったり、東京と大阪を地下鉄でつなぐようなリニア新幹線のような大型公共投資を見直して、こうした地域包括ケアシステムの基盤となる住まいの整備を公共事業でやるのだと考えれば、そんなに難しい話ではない。
 こうしてユニバーサルデザインの標準的な住まいを高齢者に現物給付する仕組みをつくれば、施設整備に係る予算は削減できるので、あとはその「我が家」での暮らしを支えるサービスを確保すればいいということになる。
 地域で暮らすということは、用水路の清掃、地域の祭り、昔からの伝統行事への参加など、それぞれの地域での役割、関係性が維持されなければならない。そこで、一人暮らし高齢者や高齢者のみ世帯には生活相談員を配置し、そうした地域行事への参加を含め、暮し丸ごとコーディネイトする。「電球が切れた」「水道が水漏れした」「ゴミ出しができない」「ペットの散歩ができなくなった」「お盆の前に墓掃除したい」「料理はできるが買い物に行けない」そうした暮らしの困りごとから、介護サービスの受け取り手になるのをできるだけ先延ばしするフレイル対策、介護が必要になった時の介護サービスの利用まで、それこそ暮し丸ごとどんなことにも対応する窓口として生活相談員がいて、そこを起点にしてあらゆるサービスが提供される。そうすれば、施設は必要ない。もちろん、効率を考えると施設に収容するというのは一つの選択肢として残すとしても、入所したらそこが終の棲家になるというような場ではなく、昔、農閑期に一定の期間湯治に行ったりしたようなイメージで、一定期間施設をうまく活用し、また地域に帰るという一時的な滞在場所にするべきだ。
 生活相談員がネットワークのハブの役割を果たし、そこから様々なサービスにネットワークがつながり、必要な時に、必要なだけ、必要なサービスが届くようになれば、地域にある我が家で暮らすことは不可能ではない。むしろその方が高齢者にとっては幸せというものだ。

 厚生労働省が地域包括ケアシステムで「我が事丸ごと」の地域共生社会づくりというようなことを言い始めているが、これまで見てきたことはまさに我が事丸ごとの地域共生社会の一つの在り方だ。

 いずれにしても、社会福祉法人や地域福祉を担うNPOや協同組合、ボランティア組織などがネットワークでつながり、協働して地域の高齢者一人ひとりを支援する仕組みをつくることが今後の課題となっている。これからの地域福祉を考えるときのキーワードは『協働化』だといっていい。

 ところが、社会福祉法人の多くは、そうした将来をみすえた事業活動に手が出せずにいる。なぜか?マンパワー不足に追われ、そこまで考えることができなくなっているように見える。しかし、それでは駄目なんだなぁ。そんなときだからこそ未来を見据えた長期戦略を持つことが必要なんだということに気づけなければ、残念なながらその法人に未来はないとい言っても良い。

2019年2月18日月曜日

社会福祉法人制度改革

 3年前に法改正があって、社会福祉法人制度改革が始まった。国が何をやろうとしているのかといえば、社会保障費が増大する中で、安上がりな社会福祉制度をめざそうとしていることは間違いない。国が描いているのは例えばこんなことだろう。

 全国に2万以上ある社会福祉法人のうち約4割は介護保険制度がスタートして以降につくられており、一法人一施設という小さな法人も多い。こうした小さな法人は経営基盤が不安定なため、介護報酬引き下げですぐに赤字体質に転落してしまう。
 経営基盤を安定させるためには、小さな法人が合併して事業規模を拡大させることが一つの方法となる。あるいは、「ある社会福祉法人は障がい者向けの福祉サービスで発展してきて、最近特別養護老人ホームの事業を開始したが、どうも高齢者向け事業の経験不足で、特養の赤字が続いており、法人全体の足を引っ張っている。」という場合に、特養を他の法人に事業譲渡し、障がい者福祉に特化することで、経営の安定化を図ると同時に、赤字だった特養を高齢者福祉で成長してきた法人に譲渡することで、お荷物だった特養が新しい発展の可能性を手に入れることができる・・・といった具合だ。加えて、社会福祉法人が営利事業を行うことについて、障害が取り除かれ、営利事業をかなり幅広くやれるようになった。これから先、社会福祉法人と営利法人の合併などということも実現するようになるのかもしれない。
 合併や事業譲渡などで経営の規模拡大を目指すとして、どこまで大きくなればいいのかという問題があるが、まずは10億円を超える事業規模を目指すことになる。なぜ10億円かといえば、社会福祉法人制度改革で、一定の規模を超える社会福祉法人に会計監査人による監査を義務付け、ガバナンスの強化、財務規律の強化を図ることとされ、その一定の規模が10億円以上とされたのだ。
 また、合併で10億円以上の事業規模まで大きくなれない法人については、いくつかの法人が集まって協働化するべきだと言われている。要するに、10億円の事業規模をめざして合併しろ、それが無理でも少なくともいくつかの法人が集まってグループを作り、協働するグループで10億円以上を目指しなさい。そして、適当な時期に、そのグループで一つにまとまりなさいと言っているわけだ。

 また、社会福祉事業で形成された内部留保について社会福祉事業に再投資することが求められることになった。長い歴史のある社会福祉法人では、内部の蓄積がかなりの額にのぼっていたり、介護保険制度以降に発足した社会福祉法人では、社会福祉法人でありながら営利法人のように運営されていたりと、税金が投入されている社会福祉事業で内部留保のためこみの実態が明らかになったり、経営者にその利益が還元される仕組みが作られていたりと、不適切な状態が生まれていた。余剰資産をため込むのではなく、自らの法人の事業整備に活用する部分を除いて地域福祉の向上のために計画的に使いなさい。自らその計画を作成し、提出しなさいということになったのだ。そして、そういう活動を地域住民に公開し、地域住民から意見を聞いて、地域要望に応える福祉事業に取り組むことが求められている。
 社会保障財源が膨らんでいくので、社会福祉法人が内部に蓄積してきた資産を、地域福祉のために活用し、社会保障財源の伸びをできるだけ抑えようというわけだ。

 さらに、法人としての意思決定機関として、評議員会と理事会があり、実態としてその性格が必ずしも明確に分かれていなかったが、法人の重要な意思決定は評議員会で行い、理事会は評議員会が決めた方針の執行機関として業務執行のための意思決定を行う機関ということになった。評議員会が決定機関、理事会が執行機関ということに整理しようということになったわけだ。これまで年に1回、株主総会のように開催されていた評議員会が、四半期に一度くらいは開催しないと決定機関としての役割は果たせなくなるということだ。評議員会、理事会で決定できる事項については法律で定められているが、あらためて、法人の決裁規程を整備し、理事会が担うこと、評議員会の役割を明文化しておくことが求められている。

 そしてこうした社会福祉法人制度改革に対応できな法人については社会福祉事業から退席してもらおうというわけだ。ただ単に施設を閉めて去ってもらうのではサービスが不足することにつながるので、合併や事業譲渡をやりやすくして、退席してもらいたい法人から、国が考える優良な社会福祉法人に事業主体を移して、不適切な法人運営をしてきた社会福祉法人の経営者に去ってもらおうということで、文字通りの意味で「退席」という表現を使っているのであろう。

 こうした社会福祉法人制度改革の意図を考えている社会福祉法人の経営者がどれだけいるのだろう。相変わらず旧態依然とした個人事業主のような理事長(あるいは業務執行理事)がいる法人の姿を見て、そんな疑問を感じている今日この頃なのだ。もちろん社会福祉法人制度改革に真面目に取り組んでいる法人があることも知っているが、そうではないところとの温度差が非常に大きいと感じている。

2019年2月4日月曜日

ノートパソコンが壊れた

 ノートパソコンが突然いうことを聞かなくなった。これまでも起動する度にバッテリーの性能が落ちているというメッセージが出ていて、近いうちにバッテリーパックの交換が必要になるのだろうと思ってはいたのだが、突然その時はやってきた。4、5日前の朝、ノートパソコンの電源スイッチを押したのだが、うんともすんとも言わない。いつもらな緑のLEDが点滅したり、ハードディスクが回転する音が聞こえたりするのに、その日に限って、全くの無反応なのだった。
 愛機は、私が東京の単身赴任を終えて、岡山に帰ることを決めた年に買ったものだから、もう使い始めて6年目になる。東京で機器の調達を担当していた私は、いろんなメーカーと付き合いがあって、このノートパソコンも、私の勤務先に出入りしていた富士通の担当者から購入したものだ。確か10万円程で買ったものだが、ぼちぼちガタが来る頃だ。
 まずはメッセージが出ていたバッテリーがあやしいと見当をつけて、電池パックを買うことにしたのだが、意外に高価なものなのだということに気がついた。インターネットの通販サイトで調べると、12千円前後と、本体価格の10分の1以上の値がついていた。
 話は少し脱線するが、私はこれまでかみさんから小遣いをもらうという生活はしたことがない。私の稼ぎの中から毎月かみさんに決まった額を渡していた。その他に私のクレジットカードの家族カードを作ってかみさんに渡し、必要ならそのカードで買い物などをしてもらっていたのだが、サラリーマン生活を辞め、失業手当をもらい、その後自営業をちょっとだけ経験し、再びサラリーをもらって生活するようになるという過程で、無収入の時を経てかみさんから小遣いをもらって、それで生活するということになった。世のサラリーマン諸兄がどのくらいの小遣いをもらっているのか知らなかったが、かみさんは「みんな3万円だ」と云い、私の小遣いも3万円ということになった。
 その3万円の小遣いの中から1万円余の電池パックを買うということになると、少々高い買い物だ・・・というわけで、サードパーティー製のものを買うことにした。それでも4,500円ほどのしたのだけれど、純正品と比べればはるかに経済的だ。その電池パックが郵パックで届いていたので、早速ノートパソコンに装着してみると、五日ぶりに、無事にノートパソコンが復活した。そんなわけで、復活したノートパソコンで、このブログを書いているのだ。
 ところでかみさんの平均3万円説で決定した私の小遣いだが、ちょっと調べてみると、サラリーマンの小遣いの平均は37,873円なのだそうだ。私の小遣いは平均よりもちょっと少ないわけだ。しかし、昼飯は職場で提供される食事を利用すれば、給料天引きとなるので、特段何も買うものがなかったり、飲み会がなかったりすれば、お金を使う場がないのもまた事実で、今のところそれで困ることもないので、まあ良しとしよう。
 そのうちもっと稼げるようになったら、我が家の春闘を闘ってみたいとも思うのだが、その時に、あの難敵を落とすことができるのか、全く自信がない。

2019年1月17日木曜日

犬との生活

 ずいぶん長いことブログを書かなかった。一言でいえば、多忙だったのである。フェイスブックやツイッター、インスタグラムもやっていて、そちらは時々投稿しているのだが、ブログは、ちょっとまとまった文章を書くというイメージなので、ついついフェイスブックに逃げていたといえなくもない。
 そんなくだならいことを書こうと思っていたのではなく、この間の私の暮らしにおこった変化について書こうとしているのだ。

 タイトルにある通り、2018年8月末から犬を飼っている。もちろん雑種だ。血統書付の犬を大枚はたいて買うなどということはできない。子どもの頃から犬を飼っていた。何頭も飼ってきたが、一度たりと犬を買ったことはない。どこかで子犬が産まれたという話を聞くと、出掛けて行ってそのうちの一頭を貰って来て飼うのが普通だった。隣の家と1kmほども離れた山の中の一軒家だったので、子どもの頃、犬は放し飼いにしていた。何時の頃からか放し飼いはだめということになって、繋ぐようになったが、それでも朝夕の散歩に連れて行くということもなく、30分ほど放してやって、呼べば餌を食べに戻ってきたので、餌を食べている間にリードに繋いだのだった。
 犬といえば番犬と決まっていたので、見慣れない人が来たら吠える犬が重宝された。ある意味で野性を残している犬が良い犬だった。犬とのつきあい方も人が威張っていたし、犬の方もそれが面白くなくって、いやいや言うことは聞いてもいざとなれば逃げだそうという素振りを見せて、それを餌で繋ぎとめておくという感じで、微妙なバランスの上に人と犬の関係が構築されていた。

 大学の5年間と社会人になって最初の家を買うまでの5年、都合10年程、寮とアパートで暮らしたが、それを除けば一戸建てに住んでいたので、犬は基本的に番犬で、庭で飼っていた。僕と犬の間には常に一定の距離があった。前妻と離婚して、アパート暮らしに戻って、当然のことながら犬は飼えなくなった。ところが7年前に再婚し、3年前にペット可マンションを買って、かみさんが犬を飼いたいと言い出した。「ラブラドール・レトリーバーが良い」などというので、調べてみて驚いた。子犬が数十万円の値を付けているではないか。かみさんは「イギリス産のラブラドールは少し小柄で飼いやすいのだ。」などというのだが、何と50万円もするのだ。一度も犬を買ったことが無い私には衝撃的な出来事だった。
 飼えなくなって放置されたペットたちの問題がテレビで取り上げられていたのを思い出して、インターネットで調べてみると、飼えなくなって捨てられた犬が保護されたり、その保護された野犬が子犬を生んだりして、保健所や、動物愛護センターで里親探しが行われているのを知った。もしかしたらそこにラブラドール・レトリーバーの里親募集が行われているかもしれないと思い、時間があればインターネットで調べて、ラブラドールの里親募集に応募してみたこともあるのだが、縁がなかったようでなかなか決まらなかった。そんなときに岡山県動物愛護財団を知り、そこで、保護犬の譲渡会が定期的に開かれていることを知った。そこで、僕と妻は愛護センターを尋ねてみることにした。そして、数カ月にわたって日曜日ごとに(とまではいかないが)愛護センター通いがはじまった。マンションのペット規程は「中型犬まで」、「体高50cm程度」という条件が付されている。その条件を満たしながら出来るだけ大きな犬を探し、1カ月近く成長を見続けながら、僕と妻は、まだまだ暑い8月の終わり頃、保護犬の里親となったのだった。

 これまで僕と犬との間には距離があったが、マンションで犬を飼いはじめて最初の戸惑いは、犬との関係がすごく近いということだった。同居するということは否が応でもお互いに譲り合わないとうまく暮らしていけないということを初めて知った。
 最初は、あっちこっちにシッコはするし、ウンチもする。僕は、介護の現場で人のウンチやシッコを見慣れているので、犬のシッコやウンチの片付けは全然平気なのだが、かみさんはもしかしたら出来ないのではないかと思っていた。しかし、僕の予想を裏切り、かみさんは意外に平気でシッコやウンチの片付けをやっていた。
 それでも床の上にシッコやウンチを漏らされると、いい加減にトイレシートでシッコしてくれと叫びたくなり、トイレトレーニングなんて出来るのかと不安が大きくなっていたのだが、案ずるより産むが易しで、犬がそのうえでシッコしたくなる臭いのついたトイレシートなどという便利な物があって、その力も借りて、いつの間にかトイレシートでシッコが出来るようになった。
 ウンチもトイレシートの上で出来るようになったのだが、ウンチをする時に背中を丸めて力んで動き回るので、なかなかトイレシートの中におさまらない。それにウンチを食うという暴挙にでるので、これには閉口した。野生の犬は自分よりも大きな肉食獣、つまり犬を食いに来る動物から子どもを守るために、子犬の糞を食べてしまう習慣があるのだという。そういう本能的な行為なので、食糞はなかなか治らないといわれたが、成長するにつけ、シッコとウンチの間隔が開いていき、月齢6カ月頃には、基本的に朝晩の散歩時に、還暦を迎えた僕よりもはるかに立派なウンチをひねり出し、シッコをした。外でウンチをすれば私か妻が回収してしまうので、自分のウンチを食べるという行為はできなくなった。しかし、なぜか他の何かのウンチを叢から発見して咥えて喜んでいる。それも産出されたばかりのそれではなく、数日が経過して水分が抜けたような奴を叢から引っ張りでしてくるのだ。一緒に散歩している僕が、スズよりも早くスズが好きそうなウンチを見つけて咥えないようにコントロールするのが一番で、これに関してはかみさんよりも僕の方が上手い。

 歯が生え変わる頃、いろんなものを噛んだ。綿の入ったおもちゃを妻が買って来ては与えるのだが、まずタグが犠牲になる。小さく出っ張ったタグを粘り強く噛み続け、数日で噛み切ってしまう。そうすると、そこから解れていき、今度は、中の綿を引っ張り出すのだ。数週間もすれば、中身がすっかり引っ張り出されて、ボロボロ、ヘロヘロ、フニャフニャになった布の残骸だけが残る。
 最悪だったのは、壁を噛み始めた時だ。壁の角のところを噛んで壁紙を大きく引き剥がしてしまったものだから、接着剤を買って来て、壁の修復を試みた。あまり上手に貼れなかったけれど、また剥がされる可能性があるので、僕の、下手な補修ですませているので、家の壁はフランケンシュタインみたいになっている。もちろん、ただ手をこまねいて見ていたわけではなく、噛む場所に椅子を置いて、防御するといった工夫をしてみたのだが、これが意外に効果があって、それ以後、壁を噛むことをしなくなった。
 長野で大型犬を飼っている古い友人の西村さんが、犬は噛みたいんだから、骨を与えるのが良いよとアドバイスしてくれた。骨を齧らせると他の物を噛まなくなるというので、試してみたのだが、これはなかなか良いアイデアだった。牛の肋骨、鹿の足の骨、羊の足の骨などを与えてきた。歯が生えかわってからは噛む力がますます強くなり、骨をガシガシと噛み砕き、食べてしまうものだから、骨一本を一カ月足らずで食べてしまう。
 備前市では鹿が増えてしまって、鹿を罠を仕掛けて駆除しているのだが、その猟師からもらった肉を毎年おすそ分けしてもらっている。先日、わざわざ備前から届けていただいたのだが、その時に、骨が欲しいとお願いした。犬に齧らせる骨を自分で作ってみようと思い立ったのだ。骨を解体して、肉が多少ついていても気にせず、天日干しにして、干し肉ならぬ干し骨を作り、日持ちするようにしておいて、犬にあげようというわけだ。いつ届くか分からぬ野生の鹿又は猪の骨を首を長くして待っているところなのだ。

 骨で気づいたことがもう一つある。鶏の骨は縦に割れるので犬が飲込むと消化器を傷つけることがあるからやってはいけないという説の誤りだ。犬にも個性があるので、みんながみんな同じだとはいわないが、飲み込める大きさに噛み砕くまでガリガリ、パキパキ噛み続け、それから飲込んでいるし、それでも飲み込みが悪ければ口から出して知らぬ顔をしている。家では素足派の僕の足に、時々、その放っておかれた骨の食べ残しが刺さって痛い思いをするのだが、鶏の骨を与えても問題ないのではないかという思いが強くなった。それに、散歩の時に野鳥を追う姿を見ていると、鳥を狩ろうとしていることは間違いなく、繋がれているので成功しないけれど、捕まえれば間違いなく鳥を食っているわけだから、鶏骨をやってはいけない説は誤りに違いないと思い始めたのだ。
 そこで、手羽先を買ってきて、圧力鍋で10分ほど過熱して与えてみた。観察していると骨が縦に割けるというより普通に横に割れてるし、犬の噛む圧力の前に、ほとんど無力化して細かく噛み砕かれている。そして、予想通り、薄っぺらい小片は飲み込まずに吐き出している。
 次に、手羽元を炊いて肉は僕の酒の肴となり、残った骨をやってみた。手羽先よりも太い骨だが、全く問題なく平らげている。手羽先の骨同様に、小片となっても飲込みにくい骨片は無理して飲込まずに吐き出しているのを見て、鶏の骨はやってはいけない説は誤りだと確信したのだった。

 犬は、匂いを嗅ぐ。何を隠そう僕も実は匂いフェチで、発酵臭が大好きなのだが、犬はとくかく匂いを嗅ぐ。家の中の匂いは嗅ぎつくしたのか、せいぜい僕が帰ると足の臭いを嗅ぐぐらいだが、散歩に出ると、それはもうしつこいくらい匂いを嗅ぐ。犬にとって匂いを嗅ぐというのはどういう意味があるのだろう?
 人は主に視覚によって自分の周りに危険がないとか、ここにはこんな店ができたんだとか、自分のいる環境を確認することが多い。もちろん、音や、臭い、皮膚からも環境の情報は入ってくるが、メインとなるのはやはり視覚からの情報だろう。犬の場合は、どうやらそれが嗅覚と聴覚、中でもやはり嗅覚がメインなのだろうと思う。地面の匂いを嗅いでいる愛犬の姿を見ていると、匂いを嗅ぎながら色んなことを考えているのだろうことは想像に難くない。そして、地面の下に何かを見つけた時には、前足と鼻を使って土を掘り返さないと気が済まない。最初のうちは犬のそんな気持ちが分からなくて、臭い嗅ぎを中断させることもあったが、今は、基本的には気が済むまで匂いを嗅がせている。匂いを嗅ぐ行動は、餌となる小動物、例えばウサギなんかが土の下に巣をつくり、地下に通路を築いているのを見つけ出して、ウサギを狩るという食い物を探すという本能に由来するものだったりするわけで、その匂いを嗅ぐ行動を制限することは、これ以上ないくらいストレスになるに違いない。交尾期に相手を探すのも、雄犬の匂いを嗅いで、健康でたくましい、自分のパートナーに相応しい相手かどうかを判別しているのだろう。飼い主の皮膚癌を匂いの変化で気がついた犬の話をテレビで見たことがあるが、健康な雄犬を嗅ぎ分けてきた歴史がそんな犬の能力を作り上げてきたのだと思う。
 そんなわけで愛犬には自由に匂いを嗅がせているのだ。そして、どうしても時間がない時には、説得するのだ。犬だって人間同様、妥協することを覚える。だから、「もう帰るぞ!」と声をかけると、「仕方ないなぁ。まだ情報不足だけど、まあ、帰ってやるか。」とばかりに、我が家への歩みを速めてくれたりするのだ。もちろん、全くいうことを聞いてくれない時も多々あるんだけどね。

 こんな具合に、犬が私の生活に割り込んできた。というか、むしろ私の生活が犬を中心に回り始めたと言ってもいいくらいだ。朝の散歩はかみさんの出番だ。5時頃から散歩に出かけるので、私には到底無理で、散歩から帰ってくる6時頃に起きだして、戻ってきたスズの足を洗う係を引き受けている。そして朝飯をスズと一緒にすませ、仕事に行く。昼休みの1時間の間に家に戻りスズに餌をやって仕事に戻る。仕事が終わると概ね週の半分は残業をせずに帰って、犬と一緒に散歩に行く。週末は時間があればドッグランに行って、スズに広いスペースを自由に走り回ってもらう。こうした犬中心の暮らしは、ひとえにかみさんの考え方に由来するものだが、こうした暮らしが続いてくると、60年の歴史の中で今が一番犬のことがわかるようになっていることに気づかされる。今までは犬は番犬として飼いならそうと考えていたが、今では、犬は家族の一員となった。相手もたぶん私のことを認めてくれていると思うが、お互いに妥協するところは妥協して、かなりの部分はスズに譲って、私たちの暮らしが成り立っている。もちろんまだまだだけど、これからの暮らしの中で、もっと犬を知り、犬と分かり合えるようになる自信はある。犬との生活が、私に、日々の暮らしの新しい楽しさを教えてくれた。スズに感謝である。