2019年3月9日土曜日

キーワードは協働化

 介護業界に身を置いていて私が考えていることは、インフラの整備から協働化へとシフトチェンジが求められているということだ。高齢者人口が増加を続ける局面では、特別養護老人ホームに入居を希望する人が供給をはるかに上回り、年単位で順番を待たなければならないというような問題が発生した。もちろんこれは、2000年に特別養護老人ホームへの入所を措置から契約に変更しておいたので、「待機者問題」ですんだわけで、措置制度のままだったら措置入所の先がないなどという事態は許されなかった。その意味では、公的責任を追及される前に、措置制度から契約制度に変えておこうという作戦は、見事にその役割を果たすことができたといえる。
 そしてさらに2015年に国がやったことは、それまで要介護認定されれば特養に入居可能だったものを、施設サービスは中重度者向けのサービスにするのだという理屈をつけて、要介護1、2の高齢者を施設サービスから締め出すことだった。この結果、いわゆる「待機者問題」はほぼ解消することができた。
 しかし、それでもまだこれからも高齢者人口は増え続ける。ではどうすればいいのか・・・。私の意見は、ありあまる日本の住宅を活用して、地域包括ケアシステムがいうところの住まいの問題を解決してしまえばいいということだ。国が借り上げるなり、買い取るなりして、高齢者の標準的な住まいを国が現物給付する仕組みを作る。もちろん、バリアフリー化するなどひと手間加えなければならないわけだが、それを公共事業でやればいい。世界の脱ダム化の動きに逆らってダムをつくったり、東京と大阪を地下鉄でつなぐようなリニア新幹線のような大型公共投資を見直して、こうした地域包括ケアシステムの基盤となる住まいの整備を公共事業でやるのだと考えれば、そんなに難しい話ではない。
 こうしてユニバーサルデザインの標準的な住まいを高齢者に現物給付する仕組みをつくれば、施設整備に係る予算は削減できるので、あとはその「我が家」での暮らしを支えるサービスを確保すればいいということになる。
 地域で暮らすということは、用水路の清掃、地域の祭り、昔からの伝統行事への参加など、それぞれの地域での役割、関係性が維持されなければならない。そこで、一人暮らし高齢者や高齢者のみ世帯には生活相談員を配置し、そうした地域行事への参加を含め、暮し丸ごとコーディネイトする。「電球が切れた」「水道が水漏れした」「ゴミ出しができない」「ペットの散歩ができなくなった」「お盆の前に墓掃除したい」「料理はできるが買い物に行けない」そうした暮らしの困りごとから、介護サービスの受け取り手になるのをできるだけ先延ばしするフレイル対策、介護が必要になった時の介護サービスの利用まで、それこそ暮し丸ごとどんなことにも対応する窓口として生活相談員がいて、そこを起点にしてあらゆるサービスが提供される。そうすれば、施設は必要ない。もちろん、効率を考えると施設に収容するというのは一つの選択肢として残すとしても、入所したらそこが終の棲家になるというような場ではなく、昔、農閑期に一定の期間湯治に行ったりしたようなイメージで、一定期間施設をうまく活用し、また地域に帰るという一時的な滞在場所にするべきだ。
 生活相談員がネットワークのハブの役割を果たし、そこから様々なサービスにネットワークがつながり、必要な時に、必要なだけ、必要なサービスが届くようになれば、地域にある我が家で暮らすことは不可能ではない。むしろその方が高齢者にとっては幸せというものだ。

 厚生労働省が地域包括ケアシステムで「我が事丸ごと」の地域共生社会づくりというようなことを言い始めているが、これまで見てきたことはまさに我が事丸ごとの地域共生社会の一つの在り方だ。

 いずれにしても、社会福祉法人や地域福祉を担うNPOや協同組合、ボランティア組織などがネットワークでつながり、協働して地域の高齢者一人ひとりを支援する仕組みをつくることが今後の課題となっている。これからの地域福祉を考えるときのキーワードは『協働化』だといっていい。

 ところが、社会福祉法人の多くは、そうした将来をみすえた事業活動に手が出せずにいる。なぜか?マンパワー不足に追われ、そこまで考えることができなくなっているように見える。しかし、それでは駄目なんだなぁ。そんなときだからこそ未来を見据えた長期戦略を持つことが必要なんだということに気づけなければ、残念なながらその法人に未来はないとい言っても良い。