2017年5月18日木曜日

59歳、誕生日の決意

 5月11日に59歳を迎えた。60歳定年なので、本来ならば後1年残っているのだけれど、今年の6月の総会を区切りに現職を退職することにした。辞める理由はいくつかあるけれど、一番の理由は法人の事業方針と私のやりたいこととの間に小さくないズレが生じていることにある。
 私は、大学を卒業後一貫して協同組合及びその関連する事業に身を置いてきた。その経験の中から、協同組合は『事業体』であると同時に『運動体』であると考えてきた。運動体というと学生運動の延長みたいだけれど、解りやすく言えば事業を営みながら、協同組合の組合員が住んでいるこの町を、安心して暮らし続けることのできる町へと造りかえていくという使命を持った社会的組織だということである。
 私は、「事業」と「運動」のバランスを大事にしてきたし、そんなバランスのとれた協同組合こそが未来の歴史を書くのだと信じてきた。
 3年余前、20年ぶりに古巣の協同組合に戻り、事業の責任者の一翼を任されてきたが、協同組合らしさを感じることができず、大変驚いた。かつてレイドロー報告を読んだときにこんなことが書いてあったと記憶している。
 運動論しか持たない協同組合はすぐにでも倒産してしまうだろう。一般企業の手法をとりいれて事業を継続しようとする協同組合は、運動論しか持たない協同組合よりも長生きするかもしれないが、やがて組合員からの信頼を失い倒産していくことになるだろう。そして、協同組合の二面性を理解し事業を通じて社会的使命に応えようとする協同組合だけが生き残るに違いないと…
 今、私が所属している協同組合は、まさに2番目に出てくる資本主義的な管理手法によって事業を継続的に発展させることが最重要課題であるかのように振る舞っている。国際規格のISO9001の認証を取得し、その維持のために大きな費用と携わる多くの職員の少なくない労働時間を費やしている。ガバナンスが云々され、企業コンプライアンスの遵守が叫ばれ、マーケテリング理論に基づく事業計画の作成が要求される。協同組合の使命が語られることもあるが、その使命を果たすためにどう頑張ったかということが評価されるわけでもなく、事業活動の結果としてつまるところ黒字が出せる事業かどうかということだけが評価の対象となっているように見える。かつてこうした傾向を『経営主義』(経営を最優先する考え方)と呼んで批判していたはずが、いつの間にやら無批判に経営活動を優先する考え方を受け入れているのだ。
 もちろん、自由経済の中で事業を営んでいる以上、赤字を続けていたのでは事業を継続することができないということは言うまでもない。かつて「良い医療を提供し続けることが大事で、その結果赤字となるのはやむを得ない」と考えていた時期もあったが、さすがに今はそういうわけにはいかないということは解っている。しかし、黒字かどうかのみで事業活動を評価するのは間違っている。
 『経営主義』が蔓延する中で、現場でこんな声が聞こえてくる。「事務長はそう言いますが、そんなことしたら赤字になりますよ。それで良いんですか?」と。そして実際に「そんなことしたら赤字に」なることを理由にして、サービスの質を向上させていくことに対してサボタージュが起こっているのだ。私にとってそれは黙認できない事態なのだが、業務監査で監事から赤字を計上していることを批判され、職責者を集めた会議の場で「経営破綻事業所」などとレッテルを貼られることがあるため、現場の責任者からすると事務長の言うことを聞いていたら「痛い目にあう」ということになってしまうわけだ。
 これでは事業の質を高めながら、社会的な使命を果たしていくことなどできるわけもなく、私は心の底で葛藤し続けることになる。

 定年を前にして、何で今更、協同組合のそもそも論で悩まなければならないのだろうかと疑問を感じはじめ、そんなことに時間を費やすことなく、さっさとやるべきことをやる組織を自分で作るべきではないかという思いを抱くようになったのだ。というようなことで、6月末で今の仕事にけりを付け、新しい事業に向かっていくことにしたのだが、さてその事業が上手くいくのかどうか、もちろん上手くいかせる自信はあるが、実のところ不安もあって、時にはこの決断が正しいのかと弱気になることも・・・。でも、心を奮い立たせて、精一杯やってみようと考えている59歳の誕生日なのだ!!