選挙後のドタバタ喜劇があまりにも酷い。
一つは民進党。前原代表の本音がどこにあったのか、こればかりはご本人が本音を語らないので解りようもないが、自分たちで希望の党への合流を決めておいて、希望の党が選挙に負けたらその「方針が間違っていた。」と前原代表一人に責任を押し付けるかのような周辺議員の反応を見て、「それは違うでしょう。」と言いたいですね。自分たちも参加した両院議員総会で意思統一した話なんでしょう。だとすれば、その決定には、自分たちの責任も生じるでしょう。あなた方も、小池さんが立ち上げた希望の党に、政権をうかがうような勢いを感じて、希望の党から立候補したら当選できてしかも政権与党になれるかもしれないと勘違いしたんですよね。
だけど、よく考えてください。政党には政党としての主義主張があります。それが綱領だったり、理念だったり、政策だったり、選挙公約(マニフェスト)だったりという形で明らかにされているわけですが、そこに一致できない人を受け入れれられない(小池さんが「排除」という言葉を使ったのが云々と批判されていますが…)というのは、政党として当然の事ではないんですか。私は、小池さんが全員員受け入れる事はできないと言ったのは必然だと思いました。
希望の党が候補者探しをしている今なら、入れてくれと言えば入れてくれるのではないかと勘違いしたのは、一番最初に言い出した柚木某だったり、それを受け入れて両院議員総会に提案した執行部だったり、さらにそれを了承した衆参両院の民進党の議員の皆さんです。総選挙の度に所属政党が変わるという政治家としての根っこのない人たちが、自分たちの根無し草の境遇を恥じる事なく、落選した責任を前原さんや小池さんに求めるのはあまりにもさもしい姿で見ていられないというのが私の率直なところです。そのドタバタ劇は、まるで喜劇を見ているようで可笑しくて仕方ないです。しかも、その喜劇の質があまりにも低い文化水準なので、それを取り上げるマスコミも、もっと政治家のあり方がどうなのかというような本質に迫る問題提起をすれば良いのにと思うけれど、みように真剣な顔でドタバタ劇を追いかけているので、マスコミのレベルも文句云ってる民進党議員と同じようなものなのだろうと思う。
そして、希望の党の小池代表批判。「政治は結果責任」というの違うと思うんですよ。結果に対して責任がついてくるのはどの世界でも当然のことですが、政治のめざすべきところは、選挙で当選したかどうかが大事なのではなく、国民の安全・安心・平和をどう守るのかが政治家が一番大事にしなければならない事なんです。それを忘れてしまったかのような責任のなすり合いが実に見苦しいけれど、マスコミもその見苦しい争いにつきあって、柚木議員を登場させて「小池さんは立候補するべきだった」とか、誰が悪い、誰が犠牲になった云々とやっているわけですから同じ穴の狢なんでしょう。
私は、政党の代表が国会議員でなければならないとは思いませんし、 政党の代表が内閣総理大臣とならなければいけないとも思いません。政党の代表はつとまっても、内閣総理大臣はできない人がいても不思議はないですよね。人には向き不向きというのがありますから。国会議員がその辺りをふまえて、真面目に内閣総理大臣を選ぶ事ができるようになるといいけどね。
マスコミの興味のあるところは、「ポスト安倍の最右翼は小泉某云々」、「いやいや石破某だ」、「野党分裂状態をもう一度再編して、与党に対抗できる野党結集を図ることが必要だ」、「野党第一党が立憲民主党となり、国会内の部屋割りが…」等、いずれも国民のためにどんな政治をやっていくのかということよりも、国会の勢力争いばかり。
チャップリンの名言を思い出す。「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である。」…渦中の国会議員は自分に訪れた悲劇を嘆いているのかもしれないが、その悲劇が上演されている国会劇場を、見たくもないのに観客席から見る事を強制されている国民には、質の悪いドタバタ喜劇にしか見えていないことを、国会議員もマスコミも知るべきだと思う。
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