2017年11月16日木曜日

国旗国歌を考える

 先日、SNS上で学校行事の日の丸、君が代の扱いについて、ある方が「起立したり、礼したり、歌ったりすることは、しても良いし、しなくても良い・・・自由です。」と書き、それを強制し、「従わない人を排除」するのは間違っている、教育者のやることではないと批判しました。
 それに対して、支持する意見が多いのですが、かなりの数の反対の書き込みがあって、その内容があまりに酷いので、この機会に少し整理しておきたいと思っています。

 まずは、法律そのものを見ておきます。
【国旗及び国歌に関する法律(平成11年8月13日法律第127号)】
第1条 国旗は、日章旗とする。
第2条 国歌は、君が代とする。
附則 施行期日の指定、商船規則(明治3年太政官布告第57号)の廃止、商船規則による旧形式の日章旗の経過措置。
別記 日章旗の具体的な形状、君が代の歌詞・楽曲。

 本文は、二つの条文しかありません。どんな時に国旗を掲揚するとか、その際には起立しなければならないとか、公式行事では君が代斉唱を行うのだとか、その際に歌わずに黙っていてはいけないとか、そういう定めは一切ありません。もちろん憲法にはそのような規定はありませんから、国旗を掲揚することや、国旗に礼をすることや、君が代斉唱の際は必ずうたわなければならないというような義務はないということです。 
 にもかかわらず公立学校の入学式、卒業式では国旗掲揚と君が代がセットで式次第にはいっており、国旗に礼をすることや、起立して君が代を歌うことが慣例として行われています。その慣行に従いなさいと学校長が業務命令したり、その業務命令に従わない教員に罰則を与えたりするので、何度も裁判が起こっています。

 では、何故「起立」を強制したり、「君が代」を歌うことを強制することができるのでしょう。それは学習指導要綱で国旗・国家への理解を深めることを求めているからです。文科省は2002年に「卒業式及び入学式における国旗掲揚及び国歌斉唱についても、児童生徒に我が国の国旗と国歌の意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるという学習指導要領の趣旨を踏まえ、域内の全ての学校において適切に実施されるよう一層の指導の徹底をお願いします。」との教育局長通知を出しました。学習指導要綱やこうした通知を踏まえて、学校の現場では「強制」が行われているわけです。

 次に、判例を見ておきましょう。東京都立高校の教諭が提訴した「再雇用拒否処分取消等請求事件(平成22年)」(判例集:民集 第65巻4号1780頁)の上告審判決で、最高裁第二小法廷が憲法に違反しないと判断しました。卒業式の君が代斉唱にあたって「起立」を命じた職務命令について、最高裁が初めての合憲判断を下し「都が戒告処分を理由に(定年後の)再雇用拒否したのは裁量権の範囲内」とした二審・東京高裁判決を支持、損害賠償請求も棄却し、原告全面敗訴となりました。
 判決理由の中で、「本件職務命令当時,公立高等学校における卒業式等の式典において,国旗としての『日の丸』の掲揚及び国歌としての『君が代』の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であって,学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり,かつ,そのような所作として外部からも認識されるものというべきである。」とし、「起立」して「君が代斉唱」することは儀礼的な所作であって、原告の「『日の丸』や『君が代』が戦前の軍国主義等との関係で一定の役割を果たした」という歴史観や世界観を否定するものではないとしました。

 他の同様の裁判でも、概ねこの考え方が踏襲され、いずれも原告敗訴という判決が出されています。日の丸・君が代をどう評価するかは置いておいて、長く慣習として行われてきていることなので、日の丸を掲げたり、君が代を歌うことは思想信条や歴史認識とは無関係だということで良いんじゃないですかと、本質的な判断を避けていますよね。それくらい政治的な問題だということでしょうね。

 こういう事実関係を積み上げての反論ならば大歓迎ですが、「万が一戦争になって北朝鮮や中国が攻め込んできてもまさか自衛隊に助けてもらおうなんて思ってないだろうな。国の助けはあてにせず自力で戦うか逃げるかしろよ!」とか、「貴方は在日ですか?」とか、「結婚式で拍手しないのか⁉️ 葬式で合掌しないのか⁉️ 日本の公式式典で国旗・日の丸掲揚、国家・君が代斉唱は当たり前の“道徳”」などといった書き込みを見ると、ちょっと何とかしてよという気分になりますね。こういうのは批判でも何でもなく、脅し、嫌がらせの類です。言論の自由を暴力でねじ伏せようという輩は大嫌いです。もっとまじめに批判してくださいと言いたいですね。

 ここで止めてもいいんですが、そうすると私が国旗国歌に賛成しているように思われてしまうので、もう少し書きます。

 戦前の絶対主義的天皇制の社会で、「日の丸」が国旗、「君が代」が国歌と定められました。しかし、なかなか広がらないため、主に軍隊と学校教育の場で浸透させられていきます。特に学校教育では、皇室に関わる祝日に行われる儀式の際に、天皇制国家への服従と忠誠心を持った臣民を育てるために、「日の丸」に向かって敬礼し「君が代」を高らかに歌うことが、有無を言わさずに求められました。
 こうした戦前の絶対主義的天皇制、軍国主義の象徴の一つであった「日の丸」「君が代」を、学校教育の中で「強制」するなと主張することは、間違ったことでしょうか。「教育とは、生徒の内側から『もっとわかりたい』という要求を引き出して、学習という行為に一緒に誘い込み、いわば伴走者のように励ましながら、生徒が学んでいくことを援助して行く、目的意識的な営みなのです。(梅原利夫)」。生徒たちが自主的に学んでいくことが第一義的な課題で、教職員はその生徒たちの自主性を引き出していくのが仕事というわけです。「強制」は最も教育の現場になじまない行為だと言えますね。

 教育基本法を下に掲げておきますが、その崇高な理念を実践するはずの学校教育で、戦前の絶対主義的天皇制の亡霊のような「国旗」「国家」をありがたく押し頂くことが強制されたのではこれはもう憲法違反と言わざるを得ないと私は思います。

【教育基本法】
第1条(教育の目的)
 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
第2条(教育の目標)
 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

 国旗なので式典で国旗を飾るのは良いと思いますが、わざわざ式典の中に国旗掲揚という項目を起こさず、最初から舞台に掲げておけばいいだけです。君が代も国歌とされているわけだから、君が代を演奏する時間はあっても良いけど、歌うことを強制するのをやめればいいじゃないですか。
 と言いながら、私自身は儀礼的所作という最高裁判決は意外に良いんじゃないかなと思うんですよ。で、国旗掲揚の時は(必要とあらば起立して)国旗を見上げますし、国歌斉唱の時は他のみんなと同じように立ち上がって、しかし無言で通します。所作なんだから、振舞えばいいんですよ。それが嫌なら、もうそういう式典には出ないというのが正しい選択のような気がします。
 もちろん、式典の次第を決めるときに、憲法の表現の自由や、思想・信条の自由に触れてしまいそうな行為は参加者に求めないということを、確認していくことは毎回必ずやっておかなければいけないと思いますよ。それでも決まってしまったのなら、儀礼的な立ち居振る舞いなのだと割り切って、それには従わざるを得ないというのが私の意見です。「悪法でも法は法」ですから。
 

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