2017年11月30日木曜日

日馬富士引退

 横綱日馬富士の引退会見を見ました。横綱としての責任をとって引退するということですが、貴ノ岩関に対しては、「礼節」「礼儀」をわきまえない若い奴にそれを教えてやっただけだと言い、怪我を負わせたことに対する明確な謝罪はありませんでした。

 結局、日馬富士関は暴力・暴行を間違っていたと思っていないのでしょうね。いかなる理由があったとしても、暴力は駄目です。でもね、理由もなく暴力に及ぶということもまたあり得ないと思うのです。貴ノ岩関の側に「礼節を欠いた」態度があったというのが事実なのか、また、その内容はどのようなものだったのか、不明確なままです。また、深夜のスナックの個室で、実際に何があったのか、これもまた良く分からないままです。貴ノ岩関本人が何も語らないので、貴ノ岩関のお兄さんや、元旭鷲山さんや、元横綱朝青龍さんなどがいろいろと発言し、それをマスコミがうまく編集してニュースで流しています。

 貴乃花親方は近い新聞には本音(?)を語っているようで、モンゴル出身力士が土俵外で親睦を深めることには反対で、土俵の上で相撲を通じて語り合えというようなことを言っているようです。だから貴ノ岩関は、日頃はモンゴル力士会に出席できていなかったようですね。久しぶり(?)にモンゴル力士会に参加して事件に巻き込まれたということのようですね。
 貴乃花親方はモンゴル力士会の存在を良く思っていなかった、だからこの暴力事件を使ってモンゴル力士会を解散させようとしている(?)そんなうがった見方もあるようです。貴乃花親方の相撲協会へ協力しない、貴ノ岩関の事情徴収を認めない、警察への起訴にこだわる様子を見ていると、もしかしたら腹の中にそんな策略を抱いているのかもしれないと思ってしまいます。
 暴力は断固認めるわけにはいきませんが、ことを大きくして自分の主義主張を通すというようなことがもしあるのならば、それもまた許すことはできないです。貴ノ岩のお兄さんも日馬富士に相撲をやめてほしくないと言っていますし、もしも貴ノ岩もそう思っているのなら、貴乃花親方の行動がどうだったのかということも検証されなければならないでしょうね。

 ただ、責任の取り方は引退しかなかったんでしょうか。確かに横綱が起訴されるということになると責任を問われることは間違いないですが、引退ではなく、横綱から平幕に降格してもう一度やり直す機会を用意しても良いと思うんですよ。どっちにしても何があった、誰が悪い、という犯人捜し的な対応に終始したマスコミの問題や、罪を罪として素直に認識できない相撲界そのものの体質を見直すことなど、本質的な問題に関する検討が進んでいないことがどうなんでしょうね。日馬富士引退でこの問題の幕引きがされるということだと、あちこちに不満の火種がくすぶって、同じような問題が再発する可能性が残ってしまうのではないでしょうか。

北朝鮮のミサイル発射

 北朝鮮がまたミサイルを発射しました。日本の排他的経済水域に落下したとのことです。排他的経済水域というのは、「国連海洋法条約に基づいて設定される、天然資源及び自然エネルギーに関する『主権的権利』、並びに人工島・施設の設置、環境保護・保全、海洋科学調査に関する『管轄権』がおよぶ水域のことを指します。」。およそ他国の排他的経済水域にミサイルを打ち込めば、これはもう戦争ということになるわけですが、今回のミサイルも実弾ではなく、あくまで実験ということで、これをもって直ちに戦争行為というわけではありません。
 しかし、事前に通告や相談があったわけでもなく、世界の平和と安定を脅かす行為であることは間違いありません。まるで、世界を相手に戦争を仕掛けたいかのように振舞う最高指導者の金正恩朝鮮労働党委員長に世界的な批判が集まっています。

 彼の行為には理由があるのだろうと思うのですが、それが全く分かりません。本気で世界と戦争したら、おそらくあっという間に北朝鮮という国が消滅してしまうでしょう。それくらい軍備に差がありますし、ましてや、勝利するなんてことはあり得ないでしょう。そもそも、世界は第二次世界大戦の反省に立って、平和を希求しているわけです。21Cこそ戦争のない平和な世紀になって欲しいと思いながら、世界の人々は21Cを迎えました。
 しかし、現実はそう甘くなく、1989年から続くアフガニスタン紛争はまだ火種が残っていますし、2006年にはイスラエル国防軍によるパレスチナ自治区のガザ地区への侵攻(イスラエル軍における呼称は「夏の雨作戦(מבצע גשמי קיץ、英訳:Operation Summer Rain)」)が行われ、今もイスラエルとパレスチナとの紛争は続いています。
 他にも、2003年まで続いた第二次コンゴ戦争、2005年まで続いた第二次スーダン内線、2008年の南オセチア紛争、2011年リビア内戦、2012年におこったマリ北部紛争、2014年ウクライナ内戦、2015年イエメン内戦などが記憶に残っていますが、これでは世界は平和と呼べる状態にはありません。

 なぜ紛争・戦争が起こるのか。宗教間の対立、民族間の争い、主義主張の違い、いろいろ説明できるのかもしれませんが、結局のところ、お金、利益なのではないでしょうかね。かのマルク先生は、資本論の中で「"大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!" これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない。」と言いました。とにかく、今の目先の利益を追い求め、利益のためなら自分以外にどんな不幸が訪れようが知ったことではない、という利己主義の典型のような話ですが、互いに自己利益を求めるあまり、国家間の対立につながった時に戦争が起こっているのですよ。私にはそう見えます。

 夜の日本列島と朝鮮半島の宇宙からの写真を見ると、北朝鮮はほぼ真っ暗です。明るければいいというものではありませんし、日本は明るすぎると私は思いますが、それでも北朝鮮の暗さには驚かされました。北朝鮮の「道路の舗装率3%」とか、「北朝鮮の農民は全員、農業合作社に所属し1日8時間、週6日間働いている」とか、直接見たわけではありませんので真偽のほどはよくわかりませんが、いずれにしても、北朝鮮の経済力は極東アジアの中では一国だけ落ち込んでいる感は否めません。
 金正恩さんの周辺だけは贅沢に暮らしているように見えますが、貧富の差は日本以上に激しいように思います。そしてその富を核兵器の開発につぎ込んでいるわけですが、その目的はつまるところ北朝鮮という国を富ませること、もっと儲けることしか考えていないのではないかと思えて仕方ないのです。

 今回のミサイル発射を受けて、比較的北朝鮮寄りだった中国も、原油の供給をストップするようですし、このままいくとますます孤立を深め、自滅していくことになるんじゃないですか。核兵器をちらつかせての話し合いではなく、お互いに武器を持たずに平和な友好関係を築くために、同じテーブルについて話し合うことがますます重要になっていると思います。

2017年11月28日火曜日

横綱審議員会

 横綱審議委員会が話題になってますね。委員のメンバーが顔を揃えているところがテレビにも映し出されました。これみておかしいなと思ったのは私だけでしょうかね。
 最初の違和感は、男性の後期高齢者にしかみえないような顔々が並んでいることです。相撲界の変革がこのメンバーでできるのか?という率直な疑問がわいたわけです。この面々が伝統や古い精神性に基づき今の相撲界を作ってきたわけですよ。だから体質改善云々、再発防止云々、といいながら残念ながら変えることができなかったということではないでしょうか。自分たちの責任を振り返ることのできない横審の限界ではないかと思います。
 二つ目の違和感は、横審の委員の皆さんは、相撲界の外の人だと云うことです。もちろん、一般社会の常識から判断することが求められることもあり、外部の人が参加することは必要ですが、その世界の価値観を身をもって経験した人が横審の委員にいてもいいと思うんです。もちろん、理事長等協会役員が参加しているのでしょうが、役員以外から、あるいは現役力士の代表が参加するような仕組みも必要ではないでしょうか。何だか外のご意見番の意見を「ご意見ごもっとも。」と聞く場所にしかなってないんじゃないかと思うんです。
 三つ目の違和感は、横審が男ばかりだということです。相撲界そのものが男社会なので、女性が入りにくい面があるのかもしれませんが、女性の眼という物が必要なのではないかと思います。伝統的な価値観以外の判断基準が持ち込まれないと、相撲界の変革は果たせないのではないかと思います。

 横審の後、北村正任委員長が会見しましたが、一つは白鳳関の万歳に違和感の表明がありました。万歳は、いつまでも生き栄えることを意味します。それを祝うために皆で万歳三唱をするわけです。白鳳関のインタビューの前後の脈絡をちゃんと聞いていれば、不祥事が表面化し苦しい状況にある相撲界が、この先いつまでも栄えていって欲しいという未来への決意がこめられていることは明らかでした。しかし、北村さんは、白鳳関の行動を不祥事が起きて大変な状況の中で万歳することに違和感を感じたと批判しました。横審の権威を振りかざすのではなく、白鳳関の行動の意味をちゃんとわかって発言して欲しいと思った次第です。
 そして、貴乃花親方の行動については、理事でありながら協会の動きを壊すような動きだとして批判しました。この件については、私も同感です。相撲協会の執行部の1人として、協会の方針に基づいて行動するべきでしょう。貴乃花親方の行動については私も疑問に感じておりました。一つは、事件が起こったことを把握しておきながら、すぐに届け出ずに数日経過した後だったこと、そして、診断書が二通りあり、貴乃花親方が重症だと主張しているが、診断書を書いた医師は休場するほど重傷ではないといっていることの食い違いです。さらに、貴の岩関本人の事情聴取を認めないことが一番大きな疑問です。本人に語らせれば事実関係がはっきりするんじゃないですかね。それを親方が認めないので事実関係が曖昧なまま様々な意見が飛び交っている状況は、誰にとっても不利益になるのではないかと思います。何よりも、貴乃花親方では巡業に出れないとか、理事を降りるべきだとかいう批判が出てきて、結局、ご本人の相撲界を改革しようという思いと逆行することになるんじゃないかと思うんですが、その辺り貴乃花親方自身に語って欲しいと思います。

2017年11月27日月曜日

白鳳の優勝インタビュー

 大相撲九州場所は、白鳳関の優勝で幕を下ろしました。しかし、日馬富士関の暴力沙汰に及んだ事件の真相究明はこれから幕を開ける事態です。それを象徴するように、白鳳関が優勝インタビューで語ったことが物議をよんでいます。

 白鳳関は、「この場を借りて場所中に水を差すようなことがあり、全国の相撲ファンに対し力士代表としてお詫び申し上げたいと思います。私は15歳で来日し62キロの少年が、ここまで来るとは誰も思わなかったと思います。そして相撲の神様、この国の魂に認められたから、この40回の大台があるのではないかと思います。その土俵の横で誓います。場所後に真実を話し、膿を出し切って、日馬富士関と貴ノ岩関が再び、この土俵に上げてあげたいなと思います。」とインタビューの冒頭で異例の発言を行いました。

 暴力の場に居合わせた一人でもあり、相撲協会による真相究明、警察による捜査が進んでいる段階で不用意に言うべきではなかった・・・反対を代表する意見はこんな感じでしょうか。
 一方で、「力士を代表して、場所中足を運んで応援した人、テレビの前で観戦する相撲ファンに、直接お詫びしたのは好感が持てる。」という声もたくさん聞こえています。私は、直接、白鳳関が国民にお詫びし、「膿を出し切って日馬富士関、貴ノ岩関を土俵に上げてあげたい」と語ったことについて好感が持てました。

 相撲界で続いてきた悪しき習慣が、無くならない不祥事の原因だと思っており、不祥事をなくすためには国民に開かれた相撲界にならなければ駄目だと考えています。その意味で、横綱が九州場所を締めくくる千秋楽の優勝インタビューであえてあの発言をしたことを評価します。もちろん、その後の自身の身の振り方を含めて、色々な影響が出るであろうことは、白鳳関だってわかっていたと思います。それでも「何かを覚悟して、あの発言を行った。」と私には感じられました。白鳳関が言ったように、長い歴史の中で溜まってしまった膿を出し切って、不祥事とは無縁のクリーンな相撲界になって欲しいと思います。

2017年11月22日水曜日

政治資金で飲食

 しんぶん赤旗に「自・公・希 政治資金で飲食三昧、2016年東京都選管政治資金収支報告書」と題する記事が載っていた。
 政治資金で飲食!?それで良いのか?と疑問に感じました。国会議員の政治資金は、企業献金や政党助成金などですが、特に、政党助成金ですよ。これは国民の税金から支払われているわけです。つまり、私の雀の涙ほどの収入の中から容赦なく源泉徴収で回収していく、まさにその税金の一部が含まれているわけです。企業献金のほうは、好きに使えというおおらかさで支出しているのかもしれませんが、政党助成金は、国民の税金が入っている以上、私的な飲み食いに支出するべきではありません。少なくとも私は、私の税金については、私のような薄給で暮らす庶民が行くこともできないような、ミシュランガイドで紹介された銀座の中華料理店や、神楽坂や赤坂の割烹料理店、広尾の高級フランス料理店等々での贅沢三昧は許せないですね。
 政治は何のためにあるのかですよ。国民の安全や安心、幸せの実現のためにあるんでしょう。自分と自分の取り巻き連中が美味い飯が食えればそれでいいというようなさもしい人間に政治を語る資格はないと言いたいです。

【政治資金で飲食】

名 前 政 党 ポスト 支出額 支出例
赤枝 恒雄 自民党 前衆議院議員 370万円 焼肉・中華料理など
高木 陽介 公明党 元経済産業副大臣 333万円 割烹、フランス料理など
松原 仁 民進党 元国家公安委員長 293万円 懐石料理など
若宮 健嗣 自民党 元防衛副大臣 272万円 割烹料理など
鴨下 一郎 自民党 元環境相 231万円 懐石料理、すき焼きなど
※しんぶん赤旗調べ(2017年11月21日付)

 これは政治家個人の話ですが、「自民党東京支部連合会は、赤坂や人形町の高級料亭、懐石料理店、中華料理店、日本橋のウナギ店などで1,546万円余を支出しています。」と記事は伝えています。また、記事が伝えているのは、東京に限っての話で全国を見ればさらなる強者がいそうですが(だって、安倍晋三さんや、麻生太郎さん等が地方にいるもんね。)、税金使っての飲食は、返納させるべきだと私は思います。だって、労働者の給与は減り続けているんですよ。そんな庶民の暮らしは見向きもせず、「自分だけ、今だけ、金だけ」で動いている政治家は、お引き取り願いたいというのが私の言い分です。

 昔から言うじゃない。「食い物の恨みは恐ろしい」って。

2017年11月21日火曜日

岡山県総合グランド

 今日は、西口の国際交流センターで打ち合わせがあり、事務所から歩いていくことにした。打ち合わせが終わって帰る途中、総合グランドの中を抜け、秋色に染まった公園を歩いてきた。
楓の紅葉と木の実
紅と黄と緑
古代と現代が交叉する
蒼空に楓の赤が良く映える
この存在感が良い
このグラデーションの不思議さ
スタジアムと水の流れ
秋陽の昼下がり、何を思って1人ベンチに腰をおろしているのかなぁ。
武道館と楓と
町中には見えないでしょ。
茅の綿毛と蒼空と

2017年11月20日月曜日

社会保障給付費と年金

 2015年度の社会保障給付費が、過去最高を更新し114兆8,596億円(前年比2.4%増)に上ると国立社会保障・人口問題研究所が発表しています。
※国立社会保障・人口問題研究所作成資料を転載させていただいています。
部門別にみると、「年金」がが54 兆 9,465 億円で総額に占める割合は47.8%、、「医
療」が 37 兆 7,107 億円で 32.8%、「福祉その他」が 22 兆 2,024 億円で 19.3%となっています。高齢人口が2.6%増加しているにもかかわらず、年金の対前年伸び率は1.1%となっています。それは何故?
 平成16年度の年金制度改正でマクロ経済スライドが導入されました。マクロ経済スライドは、年金の被保険者(加入者)の減少や平均寿命の延び、更に社会の経済状況を考慮して年金の給付金額を変動させる制度のことをいいます。
 少なくとも5年に1度、年金の財政状態の評価と今後の見通し(「財政の現況と見通し」)を作成する財政検証が行われ(法4条の3第1項)ますので、その際に、将来の財政均衡期間(検証の年以降100年間)にわたり年金財政の均衡を保つことが出来ない(積立金の保有ができない)と見込まれる場合は、年金の給付額の「マクロ経済スライド」と呼ぶ調整を行うとされ(法16条の2第1項等)、政令で給付額を調整する期間(調整期間)の開始年度を定めることになります。そして、2004年(平成16年)の検証により2005年(平成17年)度が調整期間の開始年度とされました(令4条の2の2等)。調整期間は、その後の財政検証で年金財政の均衡を保つことができる(調整がなくても積立金の保有ができる)まで続けられます。
 2015年度は実際にマクロ経済スライドが実施され、年金額の引き下げが行われた年なんですね。だから、高齢人口の伸びを下回る「年金」の伸びに収まったということでしょう。
 加えて、年金支給開始年齢の引き上げの影響もありますよね。1986年4月以前は60歳から支給されていた厚生年金が、2000年の改正で生年月日によって年金の支給開始年齢が引き上げられることが決められました。老齢基礎年金いわゆる国民年金部分は65歳から支給されることになっていますが、老齢厚生年金は、生まれ年によって支給開始年齢が異なります。例えば、私は1958年生まれですので、63歳から支給されますが、1959年4月2日以降の生まれだと64歳から、1961年4月2日以降の生まれの場合だと65歳から支給されることになります。さらに年金支給開始年齢を68歳とか70歳に引き上げようという検討が行われているようですから、当分の間、年金支給はなさそうだという覚悟が要るのかなというようなことを感じています。

2017年11月17日金曜日

お昼休みの散歩

 今日は、お昼休みに町を探検しようと思い立って、北に向かって歩いてみました。すると山の端に妙善寺というお寺がありました。ちょっと調べてみるとこのお寺、弘法大師(774~835年)が開いたと言われているんですね。つまり9世紀のころに建立されているようです。元は、真言宗の福輪寺というお寺でした。
 南北朝時代、つまり14世紀に京都から大覚大僧正(妙実上人)という方が、法華宗の布教のために備前の国に立ち寄って、ここ津島村で百姓たちに、南無妙法連華経の節回しにのせて、後ろに下がりながら苗を植える方法を伝授し、その合理的な方法に感心した村人が、村に招き教化を受けたという話です。
 そして、福輪寺の座主だった良遊さんという方も大覚大僧正の弟子となり、福輪寺という寺名を妙善寺と改めたのがこのお寺のルーツなんですね。この一帯は、松田一族が治めていたのですが、城主も法華宗に帰依し戦国時代を通じて法華宗を庇護したので、その教えは備前から美作にまで広がり「備前法華」呼ばれるようになりました。
 華々しい歴史のあるお寺ですが、同じ宗派の中の「受不施」と「不受不施」両派の派閥争いが起こり、幕府は1666年に不受布施派の布教を禁じたことから、その後長きにわたって弾圧を受けることになりました。
 不受布施派の備前法華の拠点であった妙善寺も備前藩主池田家の激しい弾圧と迫害にさらされることになり、1708年には一切の堂宇を廃棄することになりましたが、住職や信者は信念を崩さず信仰を守り抜き、1876年釈日正上人の請願により日蓮宗不受不施派の再興、翌年の妙善寺の故地に津島教会所設置を経て、1897年には再び妙善寺を名乗ることが許されるという、何ともすごいドラマが秘められたお寺なんですね。
 地域の歴史を知るというのは、大事なことだなぁと思いました。ここに昔から住む人たちの精神世界に、今もその歴史が大きな影響を残していると思うからです。
鷲林山妙善寺の門
門を入ると左手に石碑のような置石があるが、
碑文が書かれている様子もなく、良くわからなかった。
でも、そこに紅葉したモミジの枝が下がった小景が、
ちょっと気に入った・・・

イロハモミジの赤と下の方にノキシノブのが見えてます。
ノキシノブは着生植物なので、樹木から栄養を奪い取るような真似はしません。


一寸坂道を上るとすぐに本堂前の庭に出るのだけれど、
そこに土塀が築かれており、その土塀にかかるモミジは、
まだ、紅葉が始まっていなかった。
桜かな?モミジ同様、紅葉が始まってます。



お寺の庭に池があって、その池に、たぶん雨水を集めて、
池に集めるようになっているんだと思うんだけど、
その土管の上に赤とんぼが停まってた。
写真が前後しちゃったけど、置石の周りみ密生していたスギゴケ
そして、この建物が本堂です。

2017年11月16日木曜日

国旗国歌を考える

 先日、SNS上で学校行事の日の丸、君が代の扱いについて、ある方が「起立したり、礼したり、歌ったりすることは、しても良いし、しなくても良い・・・自由です。」と書き、それを強制し、「従わない人を排除」するのは間違っている、教育者のやることではないと批判しました。
 それに対して、支持する意見が多いのですが、かなりの数の反対の書き込みがあって、その内容があまりに酷いので、この機会に少し整理しておきたいと思っています。

 まずは、法律そのものを見ておきます。
【国旗及び国歌に関する法律(平成11年8月13日法律第127号)】
第1条 国旗は、日章旗とする。
第2条 国歌は、君が代とする。
附則 施行期日の指定、商船規則(明治3年太政官布告第57号)の廃止、商船規則による旧形式の日章旗の経過措置。
別記 日章旗の具体的な形状、君が代の歌詞・楽曲。

 本文は、二つの条文しかありません。どんな時に国旗を掲揚するとか、その際には起立しなければならないとか、公式行事では君が代斉唱を行うのだとか、その際に歌わずに黙っていてはいけないとか、そういう定めは一切ありません。もちろん憲法にはそのような規定はありませんから、国旗を掲揚することや、国旗に礼をすることや、君が代斉唱の際は必ずうたわなければならないというような義務はないということです。 
 にもかかわらず公立学校の入学式、卒業式では国旗掲揚と君が代がセットで式次第にはいっており、国旗に礼をすることや、起立して君が代を歌うことが慣例として行われています。その慣行に従いなさいと学校長が業務命令したり、その業務命令に従わない教員に罰則を与えたりするので、何度も裁判が起こっています。

 では、何故「起立」を強制したり、「君が代」を歌うことを強制することができるのでしょう。それは学習指導要綱で国旗・国家への理解を深めることを求めているからです。文科省は2002年に「卒業式及び入学式における国旗掲揚及び国歌斉唱についても、児童生徒に我が国の国旗と国歌の意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるという学習指導要領の趣旨を踏まえ、域内の全ての学校において適切に実施されるよう一層の指導の徹底をお願いします。」との教育局長通知を出しました。学習指導要綱やこうした通知を踏まえて、学校の現場では「強制」が行われているわけです。

 次に、判例を見ておきましょう。東京都立高校の教諭が提訴した「再雇用拒否処分取消等請求事件(平成22年)」(判例集:民集 第65巻4号1780頁)の上告審判決で、最高裁第二小法廷が憲法に違反しないと判断しました。卒業式の君が代斉唱にあたって「起立」を命じた職務命令について、最高裁が初めての合憲判断を下し「都が戒告処分を理由に(定年後の)再雇用拒否したのは裁量権の範囲内」とした二審・東京高裁判決を支持、損害賠償請求も棄却し、原告全面敗訴となりました。
 判決理由の中で、「本件職務命令当時,公立高等学校における卒業式等の式典において,国旗としての『日の丸』の掲揚及び国歌としての『君が代』の斉唱が広く行われていたことは周知の事実であって,学校の儀式的行事である卒業式等の式典における国歌斉唱の際の起立斉唱行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり,かつ,そのような所作として外部からも認識されるものというべきである。」とし、「起立」して「君が代斉唱」することは儀礼的な所作であって、原告の「『日の丸』や『君が代』が戦前の軍国主義等との関係で一定の役割を果たした」という歴史観や世界観を否定するものではないとしました。

 他の同様の裁判でも、概ねこの考え方が踏襲され、いずれも原告敗訴という判決が出されています。日の丸・君が代をどう評価するかは置いておいて、長く慣習として行われてきていることなので、日の丸を掲げたり、君が代を歌うことは思想信条や歴史認識とは無関係だということで良いんじゃないですかと、本質的な判断を避けていますよね。それくらい政治的な問題だということでしょうね。

 こういう事実関係を積み上げての反論ならば大歓迎ですが、「万が一戦争になって北朝鮮や中国が攻め込んできてもまさか自衛隊に助けてもらおうなんて思ってないだろうな。国の助けはあてにせず自力で戦うか逃げるかしろよ!」とか、「貴方は在日ですか?」とか、「結婚式で拍手しないのか⁉️ 葬式で合掌しないのか⁉️ 日本の公式式典で国旗・日の丸掲揚、国家・君が代斉唱は当たり前の“道徳”」などといった書き込みを見ると、ちょっと何とかしてよという気分になりますね。こういうのは批判でも何でもなく、脅し、嫌がらせの類です。言論の自由を暴力でねじ伏せようという輩は大嫌いです。もっとまじめに批判してくださいと言いたいですね。

 ここで止めてもいいんですが、そうすると私が国旗国歌に賛成しているように思われてしまうので、もう少し書きます。

 戦前の絶対主義的天皇制の社会で、「日の丸」が国旗、「君が代」が国歌と定められました。しかし、なかなか広がらないため、主に軍隊と学校教育の場で浸透させられていきます。特に学校教育では、皇室に関わる祝日に行われる儀式の際に、天皇制国家への服従と忠誠心を持った臣民を育てるために、「日の丸」に向かって敬礼し「君が代」を高らかに歌うことが、有無を言わさずに求められました。
 こうした戦前の絶対主義的天皇制、軍国主義の象徴の一つであった「日の丸」「君が代」を、学校教育の中で「強制」するなと主張することは、間違ったことでしょうか。「教育とは、生徒の内側から『もっとわかりたい』という要求を引き出して、学習という行為に一緒に誘い込み、いわば伴走者のように励ましながら、生徒が学んでいくことを援助して行く、目的意識的な営みなのです。(梅原利夫)」。生徒たちが自主的に学んでいくことが第一義的な課題で、教職員はその生徒たちの自主性を引き出していくのが仕事というわけです。「強制」は最も教育の現場になじまない行為だと言えますね。

 教育基本法を下に掲げておきますが、その崇高な理念を実践するはずの学校教育で、戦前の絶対主義的天皇制の亡霊のような「国旗」「国家」をありがたく押し頂くことが強制されたのではこれはもう憲法違反と言わざるを得ないと私は思います。

【教育基本法】
第1条(教育の目的)
 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
第2条(教育の目標)
 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

 国旗なので式典で国旗を飾るのは良いと思いますが、わざわざ式典の中に国旗掲揚という項目を起こさず、最初から舞台に掲げておけばいいだけです。君が代も国歌とされているわけだから、君が代を演奏する時間はあっても良いけど、歌うことを強制するのをやめればいいじゃないですか。
 と言いながら、私自身は儀礼的所作という最高裁判決は意外に良いんじゃないかなと思うんですよ。で、国旗掲揚の時は(必要とあらば起立して)国旗を見上げますし、国歌斉唱の時は他のみんなと同じように立ち上がって、しかし無言で通します。所作なんだから、振舞えばいいんですよ。それが嫌なら、もうそういう式典には出ないというのが正しい選択のような気がします。
 もちろん、式典の次第を決めるときに、憲法の表現の自由や、思想・信条の自由に触れてしまいそうな行為は参加者に求めないということを、確認していくことは毎回必ずやっておかなければいけないと思いますよ。それでも決まってしまったのなら、儀礼的な立ち居振る舞いなのだと割り切って、それには従わざるを得ないというのが私の意見です。「悪法でも法は法」ですから。
 

2017年11月15日水曜日

横綱の暴行事件

 大相撲横綱の日馬富士が、貴乃花部屋の貴ノ岩に暴行を加えていた事件が、マスコミを賑わせてます。相撲界では稽古と称した虐めや暴力事件が後を絶ちません。

 21Cに入ってからの暴力事件を拾い上げてみました。
◆2006年7月場所 大嶽部屋の露鵬が九重部屋の千代大海との一戦後、土俵の決着を土俵外に持ち出し口論となり、風呂場のガラスを割り、厳重注意を受けた後、カメラマンに暴行を加え、3日間の出場停止処分となりました。
◆2007年6月 新弟子として時津風部屋に入門した当時17歳の時太山が稽古時間中に心肺停止状態となり、搬送先の犬山中央病院で約1時間後に死亡が確認される事件が起こりました。時太山が人間関係や稽古の厳しさから脱走、それに腹を立てた親方がビール瓶で殴打し、「可愛がってやれ」と指示。集団暴行により時太山が死亡しています。時津風親方は部屋持ち親方としては史上初の解雇処分を受けました。
◆2007年6月 武蔵川部屋の山分親方が、ちゃんこ番の元力士の男性が新弟子を虐めているのを正そうとビールケースの上で蹲踞をさせてダンベルを持たせたり、ぶつかり稽古をさせて「当たりが弱い」と箒の柄の部分で両腕を繰り返し殴り2週間の怪我をさせ、書類送検されました。
◆2008年1月 陸奥部屋の十両豊桜が序の口力士の頭を調理器具のお玉で繰り返し殴打、8針(7cm)縫う怪我を負わせ、書類送検されました。
◆2008年5月 間垣親方が朝稽古で「やってはいけないことをやった」ことを理由に竹刀で太腿や顔、手の甲を叩き1週間の怪我を負わせ、相撲協会から減俸処分を受けています。
◆2010年1月 横綱朝青龍が場所中に深夜のスナックで泥酔。一般男性を殴り怪我を負わせ、横綱審議委員から横綱としては初めて引退勧告を受けました。相撲協会からの事情聴取後、突然引退を表明し新聞号外が出るなど話題を集めました。
◆2015年7月 宮城野部屋の熊ヶ谷親方が仕事上のミスを理由にマネージャーに対して、金属バットで尻を殴り、腕などをすりこ木や金づちで叩くなど暴行を加え、怪我を負わせ書類送検、相撲協会を解雇されました。
◆2017年10月 横綱日馬富士が、同じモンゴル出身の貴ノ岩に「兄弟子に対するあいさつが足りない」と説教中、貴ノ岩の携帯が鳴り操作しようとした貴ノ岩に腹を立ててビール瓶で殴打、さらに素手で何十回と殴り続けた・・・という事件が起こりました。

 暴力事件以外にも野球賭博に大麻事件、暴力団との関係等々いろんなことがありました。その都度、反省・謝罪会見が行われ、調査委員会が設置されたり改善の努力が行われ、改善される事が期待されてきましたが、ここへきて横綱日馬富士のビール瓶殴打事件が起こりました。
 相撲協会には自浄作用が働かないのか?という疑問がわいてきます。私は、相撲界の成り立ちがそうさせている側面が否めないと考えています。一つには、早い子は、中学校卒業で相撲部屋に入り、住み込みで稽古、稽古の相撲漬けの生活おくることになり、社会人としての知恵や知識を学びながら人間性を育んでいくという成長機会が損なわれていることがあげられるのではないでしょうか。
 そして、もう一つが、横綱を頂点とした厳然たるヒエラルキーの存在です。勝負の世界である以上、強い者の位が上になるのは仕方ないとしても、その相撲という勝負の世界の序列が、人格を含めた人間の序列になってしまっているのではないかと思うのです。例えば、関取(十両以上)になると付き人がつき、荷物を運んだり、廻しのつけ外し、テーピング、風呂で体を洗う、洗濯、ちゃんこ番と身の回りのこと全てを片付けてくれます。従順に我が儘を聞いてくれる付き人が、横綱ともなれば一人、二人ではなく、10人くらいつくわけです。そこで、自分はえらい、付き人は何でも自分の言うとおりになる、言うことを聞かないのはおかしい、力づくで言うことを聞かせても良い・・・といった勘違いが起こるのではないかと思うんです。
 こうして強くなって(横綱を目指して)、上にあがっていくことに絶対的な価値があるという価値観が醸成されることで、そのためには手段を択ばないといった考え方が生まれ、そこに稽古という名の虐めや、上の者の暴君のような振る舞いを是認する風土が生まれているのではないかと思います。
 大相撲は日本の国技であり、歴史も古いスポーツです。昔からの伝統を大切にしながらも、科学的な稽古と民主的な部屋の管理運営、人間的な成長を保障するための社会教育への取り組みなどが求められているのではないでしょうかね。そういう努力なしには、相撲界の体質は変えられないような気がします。

2017年11月14日火曜日

国会の質問時間

 国会の質問時間をめぐって、与野党がもめてます。「国会の質問時間を議席数で決めるべきだ」と主張する与党に対して、「質疑から逃げ回っている」「自由な質疑・意見陳述保障が大原則」と反発する野党という構図です。

 現状どうなっているかというと「2009年に民主党が政権をとってからは、『与党2:野党8』の時間配分が慣例に」なっているんです。外国の事情を日本の国会図書館が調べて2013年に発表しているんですが、それを見ると、日本と同じく首相を国会議員から選ぶドイツでは、大きなテーマを扱う大質問では98.4%が野党の質問ですし、毎週政府が議員の質問に応える質問時間でも80.7%が野党質問、タイムリーな話題を扱う時事討論では99%以上を野党が使っています。イギリスやフランスでもドイツほどではないにしろ、野党に多くの時間が与えられています。

 それは考えればわかることで、与党から内閣総理大臣が出ており、与党主導で立法府としての役割を議会が果たしているわけですから、与党に質問の必要性があるのかどうかということですよ。与党が成立させようとしている法案を、批判的に検討するのが野党の仕事なわけですから、「野党が質問して、与党が答える。」のが原則ですよ。場合によっては与党議員が発言することが必要な場面もあるのでしょうが、基本は与党のやろうとしていることついて野党が質問して、間違っている部分は修正したり、補強が必要なことがあればそれを書き加えたりということが議会でやられているわけですから、議席数に応じて質問時間を定めるなんてのはあり得ない話です。

 何か基準を求めるのなら、有権者に対する絶対得票率で質問時間を割り振ったらいいんですよ。そしたらさ、自民党なんてせいぜい全有権者の17%程度の支持しか得ていないわけだから、公明党と合わせたって今の「2:8」がちょうどいいくらいなのですよ。議席数が民意を忠実に反映する選挙制度になっていない中で、議席数で質問時間を案分するなんてことは許しちゃあいかんのです。

しんぶん赤旗 11月15日付の風刺漫画

2017年11月13日月曜日

生活保護法の改正と生活困窮者自立支援法の成立

 生活困窮者自立支援法は、2013(平成25)年にできた比較的新しい法律です(施行は2015年4月)。

 わが国では、これまで憲法25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という定めに基づき(生存権保障)、生活保護法がセイフティーネットの役割を果たしてきました。しかし、下のグラフ(「年収ラボ」)1990年代にバブルが崩壊すると1997(平成9)年をピークにサラリーマンの平均年収が下がり始め、2009(平成21)年には、リーマンショックの影響で一気に平均年収が5%以上落ち込み、翌年から持ち直す兆しが見えたところで2011(平成23)年に東日本大震災が発生するなどした結果、生活保護受給者数は増加の一途をたどっています。

 上の図(「社会実情データ図録」作成)を見るとわかるように、1993、94年の586千世帯から2016年度には1,637千世帯へと増え続けています。危機感を覚えた政府は、生活保護への締め付けを始めました。

 記憶に新しいのは2012年に芸能人の母親が生活保護を受給していたことをとりあげ、まるで「不正受給」であるかのように報道されました。だいたい国の常とう手段で、マスコミを使って世論誘導しておいて制度を改悪していくわけですが、この出来事もまさに国民が生活保護受給者に対して厳しい目を向けるように仕向けられたものでした。この出来事は生活保護法に様々な影響を与え続け、制定後初の生活保護法改正を招くことになりました。
 主な改正内容は、①就労による自立を促進するとして、安定した職業に就くことにより保護から脱却の脱却を促すための給付金の創設(就労自立給付金)、②健康・生活面等に着目した支援といいながら、受給者自らが、健康の保持・増進や収入・支出等の状況の適切な把握に努めることを要求、③不正・不適正受給対策の強化として、福祉事務所の調査権限を拡大し、罰則の引き上げと不正受給に係る返還金の上乗せ、福祉事務所が認めたときは扶養義務者に対して必要な限度で報告を求めること、④医療扶助の適正化では、指定医療機関の指定要件の明確化及び更新制の導入、後発医薬品の使用を促すこと、国による医療機関への直接指導を可能とする、等となっています。
 国は、こうした生活保護法改正を準備する一方で、2012年に社会保障審議会に「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」設置し、翌13年の報告書を受けて、未だ生活保護の対象にならない生活困窮者に対する支援にあたる、生活困窮者自立支援法が生活保護法の改定に合わせて2015年に制定されました。

 生活困窮者自立支援法第1条に目的が書かれています。曰く「この法律は、生活困窮者自立相談支援事業の実施、生活困窮者住居確保給付金の支給その他の生活困窮者に対する自立の支援に関する措置を講ずることにより、生活困窮者の自立の促進を図ることを目的とする。」とされています。

 具体的に行われる事業は次のようなものです。
1.自立相談支援事業の実施及び住居確保給付金の支給(必須事業)
◆ 福祉事務所設置自治体は、「自立相談支援事業」(就労その他の自立に関する相談支援、事業利用のためのプラン作成等)を実施します。
 ※ 自治体直営のほか、社会福祉協議会や社会福祉法人、NPO等への委託も可能
◆ 福祉事務所設置自治体は、離職により住宅を失った生活困窮者等に対し家賃相当の「住居確保給付金」(有期)を支給します。

2.就労準備支援事業、一時生活支援事業及び家計相談支援事業等の実施(任意事業)
◆ 福祉事務所設置自治体は、以下の事業を行うことができます。
 ・ 就労準備支援事業
  就労に必要な訓練を日常生活自立、社会生活自立段階から有期で実施
 ・ 一時生活支援事業
  住居のない生活困窮者に対して一定期間宿泊場所や衣食の提供等を行う
 ・ 家計相談支援事業
  家計に関する相談、家計管理に関する指導、貸付のあっせん等を行う
 ・ 学習支援事業その他の自立促進に必要な事業
  生活困窮家庭の子どもへの学習支援、その他生活困窮者の自立の促進事業

3.都道府県知事等による就労訓練事業(いわゆる「中間的就労」)の認定
◆ 都道府県知事、政令市長、中核市長は、事業者が、生活困窮者に対し、就労の機会の提供を行うとともに、就労に必要な知識及び能力の向上のために必要な訓練等を行う事業を実施する場合、その申請に基づき一定の基準に該当する事業であることを認定する。

4.費用
◆ 自立相談支援事業、住居確保給付金:国庫負担3/4
◆ 就労準備支援事業、一時生活支援事業:国庫補助2/3
◆ 家計相談支援事業、学習支援事業その他生活困窮者の自立の促進に必要な事業:国庫補助1/2

 地域で安心して暮らし続けることができるためのセイフティネットとしての生活保護法と生活困窮者自立支援法、どう活用していくかという視点でしっかり勉強しておかなければならないと思いました。
 

2017年11月7日火曜日

東日本大震災被災地 大川小学校

ここが、78人の児童のうち74名が、13名の教職員のうち10名が死亡するという被災んな津波被害の現場です。校庭の広場でどこに避難するかを議論している間に時間が過ぎてしまい、避難方針が決まって移動を始めた矢先に津波が到達して逃げ遅れることになってしまったのです。

 日本列島は西半分はユーラシアプレートの東端、東半分は北米プレートの上にのっており、北米プレートの下に太平洋プレートが沈み込む際に北米プレートを巻き込んで沈んでいき、その溜まったひずみが一気に解放されて今回の地震が起こっています。
 同じようにユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが沈み込んでおり、東日本同様、地殻の歪が大きくなり、いつ爆発的に解放され、東日本大震災のような巨大地震が西日本を襲ってもおかしくない状態にあります。

 今回の被災地訪問は、東日本大震災の教訓を生かして、災害に強い地域づくりにどう取り組むかのヒントを見つける旅でした。なかなか考えがまとまりませんが、多くの糸口を示してくれたと思っています。

 こうした震災の遺構を残して未来への教訓にしようという意見と、忘れたい過去を思い出させる被災建物が残っているのは耐え難いという意見とが拮抗しているようですが、この大川小学校の被災建物は残されるようです。

卒業制作の壁画が倒れてしまわずに残っていました。









東日本大震災 被災地を歩く

 11月4日、日本福祉大学時代の同窓生と東日本大震災の被災地を巡ってきました。
 ここは、仙石線旧野蒜駅です。旧駅舎が今は震災を語りつぐための施設になっています。現在の野蒜駅は仙石線の内陸化でここから500mほど北の海抜20mの丘の上に新設されています。
身長約170cmの伊東君の背丈の倍以上のところまで津波が押し寄せました。

当時の切符の販売機が津波に壊された時のまま保存・展示されています。
ガイドさんがついて、当時の状況を説明してくれます。
彼女自身も被災者で、津波にのみ込まれたけれど運よく助かったとの由。



駅の南側に用水路があり、その用水路のところで津波の高さがガクッと下がり、
それで、駅舎が津波にのみ込まれなかったので上に逃げた人は助かったのだそうです。
駅舎の後のプラットフォームの部分が残されていて、遺構として残すために
整備が進められていました。

市民公開講座

 昨日は、岡山県自治体問題研究所の市民公開講座に参加してきました。講師は、林原靖氏で、テーマは『「破綻」と「背信」から希望に向けて」。株式会社林原の経営破たん~会社更生法の適用申請~1年2か月で1,400億円の負債総額に対して93%の弁済率で会社更生計画の終結という不可解な決着を見た、「林原乗っ取り計画」ともいえる事件を振り返り、真の問題が何だったのか、何を教訓にしなければならないのか、この先に希望はあるのかを問うた意欲的な講演でした。

【経営破たん前後の経過】・・・講演で触れられなかったことも含めて備忘的に整理した。
●1970年代ハムスター法によるインターフェロンの製造法開発に向けた多額の研究開発費で1700億円の巨額の借入を行ったが、遺伝子組み換えインターフェロンの登場で、借入金の回収ができなかった。その後、トレハロース等の主力製品が開発され、経営改善が進んでいた途中で、今回の事件が起こっている。
●2010年 中国銀行(以下「中銀」)と住友信託銀行(以下「住信」)が内部資料の付合わせを行いB/Sの借入金の差異を指摘。2行の主導で林原健氏および林原靖氏の個人保証、関係各社相互の債務保証への署名捺印を行わせ、不動産を担保に入れさせた。2行の他の債権者を差し置いた行動が、後に他の債権者の不信感へとつながった。
●2010年12月 林原グループは資産のすべてを中銀と住信の2行に担保として差し出している。結果、翌年2月の融資の継続書き換え時に担保不足により資金ショートする公算となる。
●メインバンクの中銀は林原に対して裁判外紛争解決手続き(ADR)を進めるよう指示。ADRの第一人者である西村あさひ法律事務所を紹介した。
●2011年1月 ADR第1回会合で、代表取締役林原健氏が謝罪、弁護士から経営責任をとって社長の林原健氏、専務の林原靖氏、ほか経理担当役員2人が退任する旨の報告を行っている。JR岡山駅南所有地に中銀が、林原美術館に住信が、それぞれ抵当権を設定していることが明らかになったこと、前年末からADR申請まで中銀と住信の2行のみで情報を独占したことに非難が集中。
●2011年2月2日 事業再生ADRの秘密裏に協議を進める原則にも関わらず、新聞各紙に林原のADR申請がスクープされる。中銀、住信のやり方に不満だった銀行関係者がリークしたと想像される。
●2011年2月2日 ADR会合の最中に、同日に代表取締役に就任したとされる福田恵温氏の委任により、西村あさひ法律事務所の弁護士が、東京地方裁判所に林原の会社更生法の申請をおこなった。委任にあたって全株主の同意があったとされているが、林原健氏、靖氏の両名はADR会合に出席しており、福田氏による同申立は西村あさひ法律事務所による不実、私文書偽造の疑いが濃厚と指摘されている。
●こうした経過の中で、ADR不成立、会社更生法の適用となり、保全管理人、更生管財人にはADR時の顧問弁護士団を束ねていた松嶋英機弁護士が横滑りし、参加の西村あさひ法律事務所の弁護団もADR時のまま継続して会社に常駐した。ADR時には林原の弁護側だった西村あさひ法律事務所が一転して糾弾側に立つことになった。
●再建スポンサーは、3回の入札で決まったが、最終的に落札した長瀬産業は、1回目、2回目の入札には参加しておらず、債権者である三井住友銀行がメインバンクの強力な意向により、長瀬産業が再建スポンサーに選ばれたのではないかと考えられる。
●2011年8月3日 最後の入札を経て長瀬産業がスポンサーに決定し、12月31日に東京地裁により更生計画案が認可された。
●JR岡山駅南の林原所有地は、2011年9月21日に入札が行われ、イオンモールに売却が決定。裁判所の更生計画案の認可を待って、2012年1月末に土地の引き渡しが行われた。
●2012年2月1日付で林原商事、林原生物化学研究所の2社は林原に吸収合併され、2月3日には林原は100%減資のうえ、長瀬産業の完全子会社となった。
 長瀬産業(大阪市)からの出融資700億円、売却可能の株式などが約300億円、岡山駅前の土地が約200億円強、その他の土地・建物などが約100億円、そして林原健と靖の私財提供分の数10億円を加えると、ほぼ銀行借入のすべてがこれらによって肩代わりできることになった。結果として総額約1400億円の負債に対し、約1300億円の弁済原資を確保。弁済率は約93%と更生法下では異例の高水準、更生法適用から約1年2ヶ月でのスピード終結となった。
※林原靖氏は、「実際には弁済率100%超だった。」と報告していた。

◆林原靖氏の講演から
【根本の疑問】
・なぜ、世界に向けて快進撃を続けていた有望な会社を大きく育成することを考えず、強引に潰すことになったのか。

【問題はどこに・・・】
1.銀行の問題
 銀行は「短期の自己利益の追求」に奔走し、「社会の幸福を増進」し、「事業を育て」、「経営をサポートする」という機能を全く果たしていない。金貸しは借り手の弱みに付け込みあこぎに奪い取ろうとする。銀行は借り手を育て共に喜び、世の中に新しい価値を創造・提供するという本来的意義を忘れ、単なる金貸しに堕しているのではないか。
2.法律事務所の問題
 「弱き者を守る」社会正義の精神を見失い、教条主義的で「前近代的」のまま。スティーブ・ピンカーの『暴力の人類史』によれば、人類の歴史は「弱い立場の人々を守る歴史」であった。日本の司法界は、自らを絶対権力の体現者と勘違いして、きわめて教条的で、明治以来の「国家主義」「お上の立場」から進歩していない。
3.マスコミの問題
 マスコミは、真実の追及と社会の木鐸たるを忘れ、管財人の流す情報を記事として垂れ流し、「偏見・偏向」に終始した。本来、報道は現場取材を徹底し、自分の足と目と耳で事実を確認し、人類の歴史と文化に学びながら、グローバルな視野を持ちつつ、積み重ねた事実から読み取るべき真実について自分の頭で考え、必要な時には断固闘う決意をもって記事を発信しなければならない。近来のマスコミはそういう普通のことができなくなった。一時の煽情的なあおりだけで、あとは口をつぐみ知らぬ顔。

 講演を聞きながら考えた。

 銀行が金貸しに堕していると指摘しているが、それがその通りだ。そもそも銀行員が色んな産業のことを知らない。もちろん、中には自分が担当している企業の業界の状況をよく勉強している人もいるかもしれない。しかし、私が知っている限り、そんな人はほとんどいなかった。業界の置かれている現状も知らずに、担当企業の財務に口を出すわけだから、結局、保有する資産の価値だとか、預貯金の額だとか、資本金だとか、利益を生んでいるかどうかとか、そういったことで金を貸せるかどうかを判断することになる。
 その企業の事業活動の将来性だとか、地域社会に対する貢献度だと、さらい云えば地域の繁栄や発展という視点から判断して、その企業を育てる観点で共に汗を流すような銀行があったら、どんなにいいだろう。「なければ作る」そんな発想も必要なのかもしれない。

 JR岡山駅南の林原が所有していた土地は、今はAEON MALLになっているが、岡山らしさがあるわけでもなく、渋滞緩和で駐車場は有料とし、周辺に無料駐車場を整備してバス輸送するとしていたが、集客が見込みを下回り、結局、現在は駐車場は事実上無料となっている。こういうところは、新しくできた当初は人が集まるけれど、時間の経過とともに飽きられてしまうことになる。しかし、AEON MALLができたことで閉店を余儀なくされた地域の商店街は戻ってこない。結局、あまり良い事にはならないんだよね。そんな施設を作るよりも、岡山らしく、駅前商店街を含む再開発計画を造り実行する事ができなかったのかと思う。そういう地に足をつけた計画づくりとその実践は、時を積み重ねて成長していけるが、AEON MALLのような施設は作った直後にピークを迎えあとは徐々に後退していくだけだ。
 岡山市内の企業を地域資源の一つとしてとらえ、企業と市民、自治体の仕事をネットワークでつないで、地域の成長と市民の幸福、企業の発展が同時に実現されていくような、そんな共生型の地域社会を作ることにもっと注意を払うべきだ。銀行も法律家も企業も同じプラットフォームの上で、自分たちの仕事を組み立てることを真剣に考えないと、さらに高齢化が進み、人口が減っていくこれからの社会の中で、みんなの幸せを実現する事はできない。

 講義の中で触れていた「3だけ主義」(=「今だけ」「自分だけ」「金だけ」という刹那的・自己中心的な考え方。)では、これから先やっていけないといことを、政治家をはじめ多くの国民が気づかなければならないと強く感じた講演会でした。