早いもので、今年もあと1か月で終わる。2017年を振り返るには少しだけ早いかもしれないが、私の、2017年を象徴する出来事ベスト5といったら何かなぁと考えた。
何と言っても、第一位は、医療生協を卒業したこと。大学4年の後期に学生を続けながら名古屋の南医療生協に入職しているので、今年の11月まで勤めていれば36年勤続ということになったわけだが、7月末で退職したので36年には4か月足りなかった。それでも大凡36年の長きにわたって、医療生協、民医連、医療福祉生協連という枠組みの中で仕事をしてきたので、そこを辞めるというのは我が人生の中でも一大事である。
遅かれ早かれやってくる定年を待たずに辞めたのには理由がある。私の思い描いている協同組合の姿と、岡山医療生協の常勤役員が考えている協同組合像の間の乖離があまりにも大きくなったということだ。もちろん私の信じる協同組合に近づける努力をするってことが職員としては正しいのだろうが、定年まであと1年という時間を考えると、職員数1,000人を超える大きな協同組合の舵を切ることは難しい。そして、自分の思いと違う方向に進んでいる船に乗り続けることが耐えきれなくなったことが早期退職の理由だ。
第2位は、まちづくり研究所を立ち上げたこと。私は、安心して暮らし続けることのできる町を本気で作りたいと思っている。その実現のためには、地域を変えていくしかない。「暮らしの困った相談所」のようなイメージで地域づくりの活動していきながら、自分の飯の種も何とかしなければならないということで、苦労することになるのは眼に見えているが、それでも世の中にコミットしながら、世の中の一員として歴史の歯車を前に進めるために、とにかく何かをはじめたいという情熱だけは忘れずにやっていきたい。
第3位は、NCS事業協同組合の設立に参加したこと。超高齢社会を生きるためには福祉・介護の仕組みが重要になるわけだが、報酬の低さ、介護労働の厳しさ等から介護人材が不足しているし、今後もさらに人材の確保と育成が難しくなる。人材確保の一つの方策として、この11月から、外国人技能実習生が介護の現場でも導入できることになった。5年の技能実習期間に介護福祉士資格を取得することができると、外国人に在留資格を付与するという制度が始まったのだ。NCS事業協は、その外国人技能実習生を受け入れる監理団体をめざして設立されたのだが、その運営に参加することになった。
外国人実習生が介護人材不足をカバーする仕組みだとは思っていないが、たりないのは事実。何らかの形で外国人材に頼るのはやむを得ないことだ。とすれば、従来のピンハネ目的の監理団体が、その延長で介護職員の受け入れをしようという動きに抗して、まじめに実習生を受け入れ、日本の介護福祉士資格を取得できるようバックアップする体制をしっかり作り、実習生の母国の福祉・介護を担う人材を育てるお手伝いをさせていただくというビジョンをしっかり持った監理団体としてNCS事業協同同組合が活動していくことはこの業界にとって必ずプラスになることだと思っている。
第4位まちづくり研究所の事務所をだしたこと。自営業なので、家が事務所で良いと思っていたけれど、仕事とプライベートの区別がつかないタイプの私が、家を事務所にしているとどうにもいけない。仕事がルーズになってしまうので、経済的な負担のことを考えると厳しい選択ではあったが、岡山県総合グランドの北西・津島南二丁目に事務所を借りた。ミーティングテーブル・書庫・事務机等備品も入り、狭いながらも「我が事務所」である。一国一城の主になった気分は悪くない。
第5位は、群馬のお袋さんが、股関節の人工関節への置換する手術を受けたことかな。自分が年を取るってことは、とりもなおさず親も歳を取るってことで、お袋さんの手術はその象徴的な出来事だった。今年から、米作りを親父殿の甥(定年(60歳)は過ぎてるけどね。)に任せて、我が家は米作りから撤退した。百姓が米作から撤退するのは、サラリーマンが定年退職を迎えたようなものだから、親父殿も83歳にして農業から定年退職した。とはいえ、家の周りの畑で、毎日の食卓を飾る野菜たちの栽培は続いており、さしづめサラリーマンが定年後に再雇用をしてもらったようなものなのだろう。今度、実家に里帰りするときに、その辺りの心境を肴に親仁殿、お袋さん、弟とゆっくり杯を重ねたいものだ。
そんなこんなで、今年も色々あったが、来年はもっと色んなことを”起さないと”いけないなと思いながら、師走を迎えた今日この頃なのである。
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