世界の野生動物、2020年までに3分の2絶滅も
世界自然保護基金(WWF)は27日、最新の報告書で地球上の野生動物について、しかるべき対策を講じなければ2020年までに全体の個体数の3分の2以上が絶滅する恐れがあると発表しました。
生物多様性を脅かしている最大の要因は、生息地の消失と劣化。また資源としての過剰な利用や気候変動(地球温暖化)、外来生物、汚染など、いくつもの影響が指摘されています。そして、その背景にあるのは人間の活動です。
「生物生産力(バイオキャパシティ)」とは、自然が持つ木材や水産物(シーフード)、安全に利用できる水などをもたらす生産力や、森林が大気中の二酸化炭素(CO2)を吸収する機能といった、「生態系サービス」の供給力を意味します。「生物生産力(バイオキャパシティ)」には当然、地球1個分という「限界」がありますが、2012年の時点で人間が一年間に消費した自然資源は、実に地球1.6個分に相当するそうです。自然の持つ回復力と、その母体の環境そのものを犠牲にする形で、大規模な消費が続いており、このままではいずれ、多くの野生生物が絶滅に追い込まれ、自然資源は枯渇し、結果として人類も健康で文化的な生活を送ることができなくなるというわけです。
しかも、2012年時点の、日本国民一人当たりの「エコロジカル・フットプリント(さまざまな自然資源の消費をはじめとする人間活動が、地球環境に与えている圧力の大きさを示す指標)」を計算すると、世界中の人が日本人と同じ暮らしをした場合、一年間に必要とされる資源の量は、地球2.9個分になるといいます。日本人の暮らしは地球環境に対する大きなダメージを与えているんです。
「交通」「住居・光熱費」などのフットプリントを下げていく必要がありますが、石油・石炭に由来したエネルギーから再生可能エネルギーへの転換が待ったなしの課題です。当然のことですが、原子力もだめ!CO2を出さないといいますが、核廃棄物の最終処分が出来ない状態の中で、その管理には膨大な費用がかかっています。
食料生産の母体となる土地や海の利用に支えられている「食」の問題は、地球上で広く自然が失われている現状に影響を及ぼしています。また「食」においては、食料が大量に廃棄される問題も指摘されています。日本は先進国の中でも食料自給率が低く、外国から大量の食材を輸入していますが、実にその18%は廃棄されているという現実をご存知ですか?この食料廃棄の量を減らし、食のムダをなくすだけでも、農業や漁業などによる地球環境への負荷を抑えることができるのです。
何とかしないといけない。一人ひとりがそれに気づき、できるところから具体的な取り組みを始める・・・それ抜きには人類がこの地球で生きていくことそれ自体が不可能になってしまう。そんなことを考えさせられたニュースでした。
私が社会に求めるのは自由。人は生まれながらにして自由を享受する権利がある。もちろん、その自由は誰かを抑圧することで得られるものであってはならない。そんな世の中になれば良いのになぁと思いながら、青い空を漂泊する白い雲に憧れている私なのです。
2016年11月29日火曜日
続・捨て台詞
そもそも、まだ11月で12月の勤務予定表はそりゃあ確定しなければならない時期だけれど、1月の勤務予定はまだ確定しなくてもいい話で、それよりも年末年始休暇中の訪問介護のスケジュールの調整が先だと管理者・Xに指示していたのですよ。外泊する人の確定、掃除など前後にずらせる訪問は前後にずらして年末年始休暇中の訪問を出来るだけ減らし、それをカバーするのに必要な勤務計画を立てればいいわけで、職員からの休みの希望にこたえられるかどうかは、年末年始の訪問がどれだけ必要なのかというサービス提供量の確定後で良いだろうと言っていたのですね。それから、1月から人が足りないこともわかっているので、何とか人を入れたいと思って動いており、当然、人の確保ができれば勤務計画も変わってくるわけで、そんなこともあって焦って1月の勤務予定を組まなくても良かったんです。
その指示を無視して、1月3日の勤務者の確保に走ったものでいらぬ揉め事につながっているのですね。
それにしてもAさんがそんなにむきになるのもおかしいので、本部で雇用契約の内容を確認したところ、管理者・Xがいっていた「土、日、祝日が休みの週休3日制」が正確ではなかったことが判明。正しくは「土、日、祝日が休みの週休3日制。年末年始休暇中の勤務は要相談。」となっているとのこと。Aさんの夫の捨て台詞は論外だが、Aさんが立腹したのもうなづける。管理者・Xが「雇用契約どおりに週4日働いてもらう。」と業務命令のようにしてしまったのがいけなかった。「年末年始休暇中の勤務は要相談」となっている以上、Aさんに「体制が厳しくて勤務者が足りないので、3日は働いてください。」とお願いしなければいけなかったんだね。それを雇用契約どおりに働くのが当然といった態度でいけば、「それが相談する態度か!」となるわなぁ。
私も巻き込まれているので、直接Aさんに会って「人を入れる予定があるから1月の勤務をあわてて組まないでといっていたのに『3日に出勤しなさい』みたいな話を急にもっていったようで申し訳ない。雇用契約の内容を確認をしないまま話をしたので、きつい言い方になってしまったようです。それを許した私に責任があるので、ごめんなさいね。」とお詫びさせていただいた。
Aさんも「相談なら出てもいいという返事が出来たと思うんですけど、3日は出勤しなさいみたいな言い方だったんで腹も立って、できませんと返事したんです。」・・・ということで、基本的には和解できたけど、管理者・Xとの関係はさらにこじれた感があるなぁ・・どうしようかな。
その指示を無視して、1月3日の勤務者の確保に走ったものでいらぬ揉め事につながっているのですね。
それにしてもAさんがそんなにむきになるのもおかしいので、本部で雇用契約の内容を確認したところ、管理者・Xがいっていた「土、日、祝日が休みの週休3日制」が正確ではなかったことが判明。正しくは「土、日、祝日が休みの週休3日制。年末年始休暇中の勤務は要相談。」となっているとのこと。Aさんの夫の捨て台詞は論外だが、Aさんが立腹したのもうなづける。管理者・Xが「雇用契約どおりに週4日働いてもらう。」と業務命令のようにしてしまったのがいけなかった。「年末年始休暇中の勤務は要相談」となっている以上、Aさんに「体制が厳しくて勤務者が足りないので、3日は働いてください。」とお願いしなければいけなかったんだね。それを雇用契約どおりに働くのが当然といった態度でいけば、「それが相談する態度か!」となるわなぁ。
私も巻き込まれているので、直接Aさんに会って「人を入れる予定があるから1月の勤務をあわてて組まないでといっていたのに『3日に出勤しなさい』みたいな話を急にもっていったようで申し訳ない。雇用契約の内容を確認をしないまま話をしたので、きつい言い方になってしまったようです。それを許した私に責任があるので、ごめんなさいね。」とお詫びさせていただいた。
Aさんも「相談なら出てもいいという返事が出来たと思うんですけど、3日は出勤しなさいみたいな言い方だったんで腹も立って、できませんと返事したんです。」・・・ということで、基本的には和解できたけど、管理者・Xとの関係はさらにこじれた感があるなぁ・・どうしようかな。
2016年11月28日月曜日
捨て台詞
昨日、久しぶりに捨て台詞を聴かされた。うちの事業所で妻が働き、夫は別の事業所にいるんだけれど、1月3日に妻の方に出勤を頼んだのが気に入らなかったようで「こっちにも考えがある。」と脅されたのだ。
経過をまとめるとこんなことだ。彼の妻仮にAさんとしよう、そのAさんの雇用契約は、管理者・Xによると「土、日、祝日が休みの週休3日制」となっているという。その雇用契約を前提に、社会保険に加入し、うちの法人の共済組合にも常勤職員と同様に加入し、共済の給付も受けている。
介護職不足の状況は、うちの事業所も例外ではなく、特に年末年始の勤務のやりくりは現場の管理者(仮にXとしよう)が頭を痛めるところだ。カレンダーを見れば1月1日は元旦で祝日だけれど日曜日なので翌2日が振替休日になっている。Aさんの雇用契約に基づき3日から6日までの4日勤務する計画を立てたところ、Aさんが「3日は夫の母の誕生日なので休ませて欲しい。」と希望を出したという。困った管理者Xは、私に電話してきて「Aさんが3日に休むとすると週4日労働という雇用契約に1日足りなくなるんですけど・・」という。
そもそもそんなことは現場で解決するべき問題だと思うけれど、一般的に夫の母の誕生日なので休みを欲しいというような希望を出す事自体があり得ないだろう。Aさんの家では朝からお母さんの誕生日を祝うイベントが行われ、「長男の嫁」という立場でその朝から行われる誕生日イベントに参加しないわけにはいかないというような事情があったとしても、義母の誕生日という理由で休暇希望を出して、年始の休み中の勤務編成に苦しむ時期に希望通り休みが認められることがそもそもあり得ない話だ。
私は、管理者Xに「管理者として雇用契約通りに働くよう話をするのが当然だろう。仮に3日に休むことが必要なら、代わりに土曜日には出てもらうなど、週4日の労働日は確保してもらわないと、権利は行使し義務は果たさないということを認めることになるよ。」というような話をした。管理者Xは私の話を聞いて、「事務長がそういったと言っていいですか?」と聴くので、私の話として伝えるのではなく、「管理者としてそう判断したということを伝えなければ、管理者としての存在を失くすことになるよ。」と言ったのだが、どうやらそうはできなかったようだ。
昨日、法人の研修でAさんの夫と一緒になり、彼の方から「Xさんからうちの妻が『事務長が週4日働いてもらわないといかん。』と言っていると聴いたんですが本当ですか?」と声をかけてきた。管理者Xが私を使って週4日働くようAさんに言ったようで、それは本来ならあり得ない話だけれど、私がそう指導したのは事実なので「どのように話をしたか具体的には知らないが、雇用契約通りに働いてもらうのが当たり前だという話はしたよ。」と返事をした。すると「そっちがそこに拘るならこっちにも考えがありますよ。」と捨て台詞を残して彼は去っていったのだ。
唖然として言葉を失うよね。自分の子どもにも非があるのに、それを認めずに子どもの喧嘩に口を出し一方的に相手を攻撃していなくなる自己中な親みたいだなというのが私の感想だった。
週4日労働という契約をしておきながら、年の初めの職員の配置に四苦八苦する時期に3日しか働かないと休み希望を出され、それでは困るので契約通り週4日働いて欲しいといったことのどこに問題があるというのだろう。私には全く理解できない。しかも妻の働く事業所の管理者Xの上司である私に、同じ法人とはいえ別の事業部で働く夫から、妻の働かせ方が気に入らないので、介護職不足を人質に希望通り休みをくれないなら辞めさせますよと脅してくる行為は、堅気な人のやることには思えない。それに彼の行為は、法人の管理ラインを全く無視しており組織人として彼は大丈夫かと心配にさえなる。
困ったもんだ。
経過をまとめるとこんなことだ。彼の妻仮にAさんとしよう、そのAさんの雇用契約は、管理者・Xによると「土、日、祝日が休みの週休3日制」となっているという。その雇用契約を前提に、社会保険に加入し、うちの法人の共済組合にも常勤職員と同様に加入し、共済の給付も受けている。
介護職不足の状況は、うちの事業所も例外ではなく、特に年末年始の勤務のやりくりは現場の管理者(仮にXとしよう)が頭を痛めるところだ。カレンダーを見れば1月1日は元旦で祝日だけれど日曜日なので翌2日が振替休日になっている。Aさんの雇用契約に基づき3日から6日までの4日勤務する計画を立てたところ、Aさんが「3日は夫の母の誕生日なので休ませて欲しい。」と希望を出したという。困った管理者Xは、私に電話してきて「Aさんが3日に休むとすると週4日労働という雇用契約に1日足りなくなるんですけど・・」という。
そもそもそんなことは現場で解決するべき問題だと思うけれど、一般的に夫の母の誕生日なので休みを欲しいというような希望を出す事自体があり得ないだろう。Aさんの家では朝からお母さんの誕生日を祝うイベントが行われ、「長男の嫁」という立場でその朝から行われる誕生日イベントに参加しないわけにはいかないというような事情があったとしても、義母の誕生日という理由で休暇希望を出して、年始の休み中の勤務編成に苦しむ時期に希望通り休みが認められることがそもそもあり得ない話だ。
私は、管理者Xに「管理者として雇用契約通りに働くよう話をするのが当然だろう。仮に3日に休むことが必要なら、代わりに土曜日には出てもらうなど、週4日の労働日は確保してもらわないと、権利は行使し義務は果たさないということを認めることになるよ。」というような話をした。管理者Xは私の話を聞いて、「事務長がそういったと言っていいですか?」と聴くので、私の話として伝えるのではなく、「管理者としてそう判断したということを伝えなければ、管理者としての存在を失くすことになるよ。」と言ったのだが、どうやらそうはできなかったようだ。
昨日、法人の研修でAさんの夫と一緒になり、彼の方から「Xさんからうちの妻が『事務長が週4日働いてもらわないといかん。』と言っていると聴いたんですが本当ですか?」と声をかけてきた。管理者Xが私を使って週4日働くようAさんに言ったようで、それは本来ならあり得ない話だけれど、私がそう指導したのは事実なので「どのように話をしたか具体的には知らないが、雇用契約通りに働いてもらうのが当たり前だという話はしたよ。」と返事をした。すると「そっちがそこに拘るならこっちにも考えがありますよ。」と捨て台詞を残して彼は去っていったのだ。
唖然として言葉を失うよね。自分の子どもにも非があるのに、それを認めずに子どもの喧嘩に口を出し一方的に相手を攻撃していなくなる自己中な親みたいだなというのが私の感想だった。
週4日労働という契約をしておきながら、年の初めの職員の配置に四苦八苦する時期に3日しか働かないと休み希望を出され、それでは困るので契約通り週4日働いて欲しいといったことのどこに問題があるというのだろう。私には全く理解できない。しかも妻の働く事業所の管理者Xの上司である私に、同じ法人とはいえ別の事業部で働く夫から、妻の働かせ方が気に入らないので、介護職不足を人質に希望通り休みをくれないなら辞めさせますよと脅してくる行為は、堅気な人のやることには思えない。それに彼の行為は、法人の管理ラインを全く無視しており組織人として彼は大丈夫かと心配にさえなる。
困ったもんだ。
2016年11月27日日曜日
2016年11月22日火曜日
2016年11月21日月曜日
2016年11月20日日曜日
2016年11月19日土曜日
80kg
今年5月、減量を決意したときの体重は約86kg。今日、風呂上がりに計測したところ、ジャスト80.0kgになってました。減量の要因は、食事の量を減らしたことにつきます。基本的にはうちのかみさんのおかげなんだけど、家の食卓は野菜中心で、野菜炒めなどのいくらか油を使った料理はあるけど、天婦羅や唐揚げみたいな揚げ物は基本的には食卓にはのぼらない。僕用にコープのお店の総菜コーナーの鯵フライや唐揚げが用意されることはあるけどね・・
【食事の原則】
①野菜中心の料理で天婦羅などの揚げ物はめったに食べない。
②魚と肉はバランスよく食べる。
③炭水化物の摂取量を減らす。特に晩ご飯にご飯は食べない。
④晩酌は2合まで。
⑤間食はしない。
日本酒好きで、酒の席に呼ばれることも多いので、その時にはこの原則に拘らず出されたものを肴に酒を飲むことになりますが、概ねこの原則で食事しているだけです。
あと気をつけているのは、適度な運動ですね。なかなか時間がとれませんが、家から操山や竜の口山まで歩いたり、玉野市の深山公園まで行って園内の周回道路を1時間ほど歩いたり、そんな感じで歩く努力してます。深酒をしなかったときには、岡山市内の飲屋街から自宅まで、1時間以上掛けて(千鳥足まではいかないけれど)歩いて帰ったりしています。
努力するほどではないけれど、そんなことに気をつけていたらだんだん減ってきて、82、83キロで停滞期がありましたが、7か月で6kgの減量となりました。当面、高橋先生から指摘された「めざせ78キロ!」引き続きもう少し減量したいと思っていま〜す!
【食事の原則】
①野菜中心の料理で天婦羅などの揚げ物はめったに食べない。
②魚と肉はバランスよく食べる。
③炭水化物の摂取量を減らす。特に晩ご飯にご飯は食べない。
④晩酌は2合まで。
⑤間食はしない。
日本酒好きで、酒の席に呼ばれることも多いので、その時にはこの原則に拘らず出されたものを肴に酒を飲むことになりますが、概ねこの原則で食事しているだけです。
あと気をつけているのは、適度な運動ですね。なかなか時間がとれませんが、家から操山や竜の口山まで歩いたり、玉野市の深山公園まで行って園内の周回道路を1時間ほど歩いたり、そんな感じで歩く努力してます。深酒をしなかったときには、岡山市内の飲屋街から自宅まで、1時間以上掛けて(千鳥足まではいかないけれど)歩いて帰ったりしています。
努力するほどではないけれど、そんなことに気をつけていたらだんだん減ってきて、82、83キロで停滞期がありましたが、7か月で6kgの減量となりました。当面、高橋先生から指摘された「めざせ78キロ!」引き続きもう少し減量したいと思っていま〜す!
2016年11月15日火曜日
韓国の大規模抗議行動
発端・・・先月24日にテレビ局JTBCが、崔氏が持っていたパソコンのファイルを分析したところ、大統領府の内部文書が大量に発見されたと報じたことでした。ここから大統領と「親友」だったとされる崔氏が、国政に介入していたという疑惑が浮上。朴大統領自身は翌日、崔容疑者に演説原稿や外交・安保問題の資料を渡し、助言を受けていたことを認め謝罪しました。
これをきっかけに司直の手が入り、大統領側近の二人が逮捕されました。逮捕されたのは大統領府の安鍾範(アン・ジョンボム)前政策調整首席秘書官とチョン・ホソン前秘書官。
これをきっかけに司直の手が入り、大統領側近の二人が逮捕されました。逮捕されたのは大統領府の安鍾範(アン・ジョンボム)前政策調整首席秘書官とチョン・ホソン前秘書官。
安前首席秘書官は、文化・スポーツ事業振興を目的に崔容疑者が主導して設立した「ミル財団」と「Kスポーツ財団」の資金集めに深く関与。企業に圧力をかけ、二つの財団への資金拠出を強要したとして、職権乱用などの容疑で逮捕されました。サムスン電子など財閥から拠出された金額は70億円にのぼるとみられています。
チョン前秘書官は、崔容疑者に政府の内部文書を渡し、人事や政策についても話し合っていたとして、公務上の機密漏えい容疑で逮捕されました。
朴大統領は人事刷新で事態打開を図ろうとしましたが、大統領府が検察の捜査を拒否したことなどを受け、世論の怒りはさらに高まり、朴大統領は崔容疑者が3日に逮捕されたのを受け再度、謝罪。自らも捜査に協力することを表明せざるを得ませんでした。
日本ではどうでしょう。そもそも、テレビ局が安倍首相の親友が持っているパソコンのファイルを分析するなどということがありえないでしょうね。よしんば別の理由でファイルを調べて、仮に、同様の問題ファイルが見つかったとして、日本のテレビ局がそれを報じることは無いでしょうね。それほどに、日本のテレビマスコミは安倍政権によって骨抜きにされてしまっていると思います。
日本の公益財団法人の多くは、国の補助金を受け取っています。公務員の天下りの受け入れ先だったりもしています。こうしたことから、そもそも今回韓国で起こったようなことは日常茶飯事であるような気がしますね。領収証を自分で書いて小銭を稼ぐ国会議員や地方議員より、大きな金がそこには動いているわけで、徹底的に追求するようなテレビマスコミがあればいいなと思いますが、テレビ局のトップが安倍さんと会食して喜んでいるようじゃあそんなことはまったく期待できないですね。
日本の国民に真実が知らされない。仮に真実が知らされても、日ごろ政治でお世話になっている御方のすることだから、何か庶民のためになることを考えてのことであるのに違いないと、日本国民はおそらくそれを許すのでしょうね。それほどに人の良い集団なのだと日本人を見ていてそう思うのです。
2016年11月14日月曜日
森國酒造に行ってきた
小豆島唯一の日本酒蔵元『森國酒造』
この蔵のお酒のネーミングが面白い。本醸造酒が『びびび』、飲むと醸造用アルコールがビビビっとくるからか・・、吟醸酒が『ふふふ』、軽快で爽やかな味わいに思わず「ふふふ」っとなるからですか・・、でもって、純米吟醸酒が『ふわふわ』、純米酒が『うとうと』。純米酒の「うとうと」は何となくわかる。ついつい深酒して一升瓶をだいて居眠りしたことがあるからね。
で、土産に買ったのは『うとうと』でした!
で、土産に買ったのは『うとうと』でした!
二十四の瞳映画村
先日、かみさんと二十四の瞳映画村に行ってきました。岬の先のバスの終点が映画村です。この辺りは醤油を造っている蔵が多く、バス停の待合室が古い木の仕込み樽を使ったものでした。今は巨木が無くなって、こんな大きな樽を作ることができなくなって、扱いも便利な琺瑯の樽などに変わっているようです。
バス停のところに土産物屋さんがあって、その奥に櫓が立てられていました。火の見櫓でしょうかね。
映画村の中に入ると海側の広場に先生と生徒たちの像が立っています。
朝早く行ったので、食べられなかったけれど、懐かしの給食が「給食セット」で味わえるようになってました。
で、これが学校の廊下です。廊下の窓から外を見るとコスモスの花が咲き、のどかな田舎の学校という雰囲気を作っていました。
昔の暮らしを再現した古い家・・洗濯物が干してあったりして、生活感がにじみ出ています。
小学校の校庭と校舎・・写ってないけど右手は海が拡がっていて良い感じでした。この小学校で勉強してみたかったですね。
2016年11月13日日曜日
作品No.111 国境を越えて・潮
かみさんと小豆島に行ってきた。瀬戸内国際芸術祭2016の作品を鑑賞しにね!この作品は、リン・シュンロンさんの『国境を越えて・潮』という。説明には「ビーチに196体の子どもの像を設置。海に消えた子どもをイメージし、196は日本が承認する世界の国の数を示す。首に下げたプレートには各国の首都の座標と大部港からの距離が記されている。」とある。子どもの象は砂でできており、潮の満ち引きや台風などで海水を浴びて少しずつ消えていく。その時の流れがまた作品に精神世界の奥行きを与えているように見える。
一番最後に、像と一緒に同じポーズで立ってみました。
砂浜に佇む196体の子どもの像は壮観 |
子どもの象の写真を撮っていたら子どもたちが入り込んできた |
頭部には、こんな白いバラが隠されていた |
何体かはすでに砂が全て流されてしまった |
子どもの表情が良い |
後ろ姿も存在感があるね |
実物の子どもたちの後ろ姿が良い |
首都の座標が書かれているとのことだけど何処の国だかわからない?? |
砂の像の土台部分には国の名前が刻まれていた |
時の流れの中で少しずつ姿を変えていく像・・ |
どうにも格好の悪いおっさんだなぁ。撮影はかみさん。 |
2016年11月11日金曜日
インダストリー
かみさんがパン好きなんですよね。で、東総社のインダストリーというパン屋を訪ねました。私は、パンよりもご飯派なので、かみさんがパンを物色している間、外で時間をつぶしていたのですが、そのときに撮った一枚!
「車は道具」と割り切っている私は、車に詳しくありませんが、クラシックな車が店先に停められていました。単に装飾としておかれているわけではなく実用されているようです。ちょっとオシャレな雰囲気を出していて、いい感じでしたね・・
国分寺五重塔
備中国分寺を旅した。備中国分寺は、総社市にあり真言宗御室派の寺院です。国の重要文化財に指定されている五重塔が田園風景に良く似合いますね。
デイサービスの利用者さんの遠足に付き添ってきて、散策したグループのみんなと、五重塔をバックに記念撮影!雲一つない蒼空に五重塔・・なかなか素敵な写真になりました。
2016年11月10日木曜日
カレーハウス CoCo壱番屋 岡山灘崎店 (ココイチ)
先日玉野に向かう途中、30号線沿いのCoCo壱番屋でカレーラーメンをいただいた。カレーうどんがあるのだから、カレーラーメンがあっても良い・・意外に旨いんだなぁ。
カレー肉そば&餃子セット(990)!ご飯は、そばを食べ終わってから、残ったカレースープに投入して、カレーライスのようにしていただく。一遍に2度美味しい!満腹!口福!でございました。
普通の太さのストレート麺、ちょっと固い印象の麺でした。 |
真ん中に肉のそぼろがのっている |
刻んだキャベツに餃子、ご飯がセットになってま〜す! |
店内はこんな感じ・・ |
メニューで〜す! |
2016年11月6日日曜日
中華そば伴 下中野店
下中野にある中華そば伴の冷やし中華。夏のメニューで、もうじき終了である夏の名残を楽しもうと9月の終わりのある日のランチに注文したのです!
私には一寸したこだわりがあって、冷やし中華の具材のキュウリは、きちんと揃っていて欲しいのですね。これ駄目です。しかも、ゆで卵の上にも本来卵の下にあるべきモヤシが一本だけはみ出るようにのってしまってます。そういう手間って、たいした時間がかかるわけじゃない。数秒、せいぜい10秒くらいのもんでしょう。その手間を惜しまず、奇麗に盛りつけて欲しい!それが私の冷やし中華への注文です。卵もね、ゆで卵じゃなくて錦糸卵が良いな・・終了間際のメニューだからこうなったのでしょうかね。いずれにしても、一寸残念でした。味は悪くないんだけどね・・
私には一寸したこだわりがあって、冷やし中華の具材のキュウリは、きちんと揃っていて欲しいのですね。これ駄目です。しかも、ゆで卵の上にも本来卵の下にあるべきモヤシが一本だけはみ出るようにのってしまってます。そういう手間って、たいした時間がかかるわけじゃない。数秒、せいぜい10秒くらいのもんでしょう。その手間を惜しまず、奇麗に盛りつけて欲しい!それが私の冷やし中華への注文です。卵もね、ゆで卵じゃなくて錦糸卵が良いな・・終了間際のメニューだからこうなったのでしょうかね。いずれにしても、一寸残念でした。味は悪くないんだけどね・・
ウィング トンカツ定食
今日(10月7日)のランチは、児島湖を見渡すウィングの日替わり定食。この日は、トンカツ定食でした!ボリュームのある定食なんですね。大きなトンカツ、大きめの飯碗、まさに労働者の味方の日替わり定食だと思います。大食漢の私も満腹で、口福を感じた瞬間です。
2016年11月4日金曜日
中華蕎麦かたやま
今日は、アヴィラージュ北長瀬駅前という住宅型有料老人ホームに事業所を出していて、そこでお仕事ついでに昼飯は「中華蕎麦かたやま」に行ってみた。このお店、少し前に近道を探していたときに偶然発見して、機会があれば行ってみようと思っていたお店なんですね。
注文は、シンプルに中華蕎麦(750円)!待つことしばし、出てきたのがこちらです。中細のストレート麺の上に、叉焼、ゆで卵、モヤシ、青ねぎ、モヤシの山の上に蒲鉾が2枚のってます。盛り付けは少々丁寧さにかけますが、許容範囲ですよね。あとから写真見て、旨そうに見えるもん。
麺の茹で加減は少し浅いかも・・コシがあるというより少し固い印象。でも、固めの好きな人には受けると思うよ。私はもう少し茹でた方がいいような気がするけど、これも許容範囲。スープが意外に熱々ではない印象だけど、食べやすくしていると思えばこれも許容範囲だね。鶏の旨みのある岡山の醤油ラーメンといえる一杯に出会えて感謝。口福でございました。
まだまだ改善の余地があるってことは、これからもっと旨くなる可能性があるって事で、その可能性も含めて、☆☆です。
注文は、シンプルに中華蕎麦(750円)!待つことしばし、出てきたのがこちらです。中細のストレート麺の上に、叉焼、ゆで卵、モヤシ、青ねぎ、モヤシの山の上に蒲鉾が2枚のってます。盛り付けは少々丁寧さにかけますが、許容範囲ですよね。あとから写真見て、旨そうに見えるもん。
麺の茹で加減は少し浅いかも・・コシがあるというより少し固い印象。でも、固めの好きな人には受けると思うよ。私はもう少し茹でた方がいいような気がするけど、これも許容範囲。スープが意外に熱々ではない印象だけど、食べやすくしていると思えばこれも許容範囲だね。鶏の旨みのある岡山の醤油ラーメンといえる一杯に出会えて感謝。口福でございました。
まだまだ改善の余地があるってことは、これからもっと旨くなる可能性があるって事で、その可能性も含めて、☆☆です。
小豆島への旅
先週の日曜日、かみさんと小豆島を旅した。新岡山港から土庄港に向かうフェリーの中で食べたきつねうどん。こういうA級でも、B級でもない、C級グルメ好きの私。フェリーの中というシチューエーションの中で食すうどんというものについつい手を出してしまうのだ。で、海をバックに撮ったのがこれ!コンパクトデジカメの限界か、私の腕の問題か、うどんが暗く、海は飛んでしまって中途半端な写真になってしまったが、写真の出来栄えおいておいて何だか旅の途中という雰囲気が出ているんでなないかい!意外に気に入った一枚なのでした。
激辛アラビアータ
そもそもアラビアータ (イタリア語: all'arrabbiata)は、イタリア料理で唐辛子を利かせたトマトソースのこと。唐辛子を多めに入れたり、オイルに辛い味付けしたりして、唐辛子の味(辛さ)を強くしたソースを作り、それを茹でたパスタに絡めていただく。
これは、そんなアラビアータ味のカップラーメンなのだ。 蓋のラベルには「うんまくて、怒りんぼーのほほゆるむ〜 うま辛ずきん」と何だかほんわかした絵が描かれているが、味の方はそんなほんわかしたムードをかき消すような確かに激辛なインスタントラーメンだ。激辛5オーバーという表現はまさに正解、トマトの酸味と唐辛子の辛さが強烈なパンチとなって辛いというよりは口の中が痛いに近い。しかも、辛さの成分が蒸気と一緒に立ち上がってくるせいで、カップを口に近づけただけで咽せるし、眼から涙がにじんでくる。というような激辛スープまで完食するのは困難でした。
2016年11月2日水曜日
地域包括ケア〜地域とは
地域包括ケアシステムを構築しようと厚生労働省は言っている。しかし、本気でやる気があるようには見えない。
地域包括ケアシステムが、地域で暮らし続けることができるよう様々な要素を組み合わせ、その一つ一つの要素が人間の体の中の諸器官のように有機的につな がって、その総体が一つの意志を持って、地域で暮らす誰かの暮らしの困ったことを解決するために動いて行くものだとすれば、地域に暮らす一人ひとりの生活 の場が地域包括ケアシステムを構築する場でなければならない。
そもそも地域とは何か?地方、県、市、区、中学校区、小学校区、町内会、自治会…そんな官製の地図に描かれたものが地域なのだろうか。厚労省の案では、中学校区を単位に地域ケア会議というのを設置して、そこで地域課題を明らかにし、その課題を解決するための方策を確認しようという。そして、課題解決のための社会資源をネットワークでつなぎ一つひとつの課題を解決していこうというわけだ。
しかし、中学校区の人口は都市部と農村部では大きく異なり、「中学校区」という括りでまとめることができるとは思えない。人口規模も、高齢化率も、地域にある社会資源も、全く異なる「地域」をベースに、そのうえに地域包括ケアシステムを構築しようというわけだが、それは、システムと呼べるような一体的なものとはなりようがない、私にはそう思われる。
もう一つの問題は、「地域」はおそらく一人ひとり違うということだ。例えば、私の日々の暮らしぶりは、岡山市中区さいの自宅から、同じく中区倉田の職場に通勤し、通勤途中に、時々、東川原のおかやまコープ東川原店で食材の買い物をする。休みの日には、かみさんと小旅行に出かけたり、県内の低山を歩きに行ったりして過ごす。移動は車だ。移動範囲はかなり広い。ところが、隣のAさんは、80歳くらいに見えるが、足が不自由で買い物はその不自由な足で1km以上を歩いてスーパーに行っている。月に数度病院に出かけるがそれ以外は不自由な足で歩ける範囲がAさんにとっての日常生活圏となっている。こんな具合で、自動車の運転を諦めた高齢者の生活圏は「徒歩圏」、せいぜい500m〜1kmの範囲が日常生活圏域となる。だから、同じマンションに住んでいるにも拘らず 私の困りごととAさんの困りごとは地域的な広がりが大きく異なっている。
では、地域包括ケアを構築していくべき「地域」は何処なのか・・もう少し考えてみたいと思っている。
地域包括ケアシステムが、地域で暮らし続けることができるよう様々な要素を組み合わせ、その一つ一つの要素が人間の体の中の諸器官のように有機的につな がって、その総体が一つの意志を持って、地域で暮らす誰かの暮らしの困ったことを解決するために動いて行くものだとすれば、地域に暮らす一人ひとりの生活 の場が地域包括ケアシステムを構築する場でなければならない。
そもそも地域とは何か?地方、県、市、区、中学校区、小学校区、町内会、自治会…そんな官製の地図に描かれたものが地域なのだろうか。厚労省の案では、中学校区を単位に地域ケア会議というのを設置して、そこで地域課題を明らかにし、その課題を解決するための方策を確認しようという。そして、課題解決のための社会資源をネットワークでつなぎ一つひとつの課題を解決していこうというわけだ。
しかし、中学校区の人口は都市部と農村部では大きく異なり、「中学校区」という括りでまとめることができるとは思えない。人口規模も、高齢化率も、地域にある社会資源も、全く異なる「地域」をベースに、そのうえに地域包括ケアシステムを構築しようというわけだが、それは、システムと呼べるような一体的なものとはなりようがない、私にはそう思われる。
もう一つの問題は、「地域」はおそらく一人ひとり違うということだ。例えば、私の日々の暮らしぶりは、岡山市中区さいの自宅から、同じく中区倉田の職場に通勤し、通勤途中に、時々、東川原のおかやまコープ東川原店で食材の買い物をする。休みの日には、かみさんと小旅行に出かけたり、県内の低山を歩きに行ったりして過ごす。移動は車だ。移動範囲はかなり広い。ところが、隣のAさんは、80歳くらいに見えるが、足が不自由で買い物はその不自由な足で1km以上を歩いてスーパーに行っている。月に数度病院に出かけるがそれ以外は不自由な足で歩ける範囲がAさんにとっての日常生活圏となっている。こんな具合で、自動車の運転を諦めた高齢者の生活圏は「徒歩圏」、せいぜい500m〜1kmの範囲が日常生活圏域となる。だから、同じマンションに住んでいるにも拘らず 私の困りごととAさんの困りごとは地域的な広がりが大きく異なっている。
では、地域包括ケアを構築していくべき「地域」は何処なのか・・もう少し考えてみたいと思っている。
登録:
投稿 (Atom)