地域包括ケアシステムを構築しようと厚生労働省は言っている。しかし、本気でやる気があるようには見えない。
地域包括ケアシステムが、地域で暮らし続けることができるよう様々な要素を組み合わせ、その一つ一つの要素が人間の体の中の諸器官のように有機的につな
がって、その総体が一つの意志を持って、地域で暮らす誰かの暮らしの困ったことを解決するために動いて行くものだとすれば、地域に暮らす一人ひとりの生活
の場が地域包括ケアシステムを構築する場でなければならない。
そもそも地域とは何か?地方、県、市、区、中学校区、小学校区、町内会、自治会…そんな官製の地図に描かれたものが地域なのだろうか。厚労省の案では、中学校区を単位に地域ケア会議というのを設置して、そこで地域課題を明らかにし、その課題を解決するための方策を確認しようという。そして、課題解決のための社会資源をネットワークでつなぎ一つひとつの課題を解決していこうというわけだ。
しかし、中学校区の人口は都市部と農村部では大きく異なり、「中学校区」という括りでまとめることができるとは思えない。人口規模も、高齢化率も、地域にある社会資源も、全く異なる「地域」をベースに、そのうえに地域包括ケアシステムを構築しようというわけだが、それは、システムと呼べるような一体的なものとはなりようがない、私にはそう思われる。
もう一つの問題は、「地域」はおそらく一人ひとり違うということだ。例えば、私の日々の暮らしぶりは、岡山市中区さいの自宅から、同じく中区倉田の職場に通勤し、通勤途中に、時々、東川原のおかやまコープ東川原店で食材の買い物をする。休みの日には、かみさんと小旅行に出かけたり、県内の低山を歩きに行ったりして過ごす。移動は車だ。移動範囲はかなり広い。ところが、隣のAさんは、80歳くらいに見えるが、足が不自由で買い物はその不自由な足で1km以上を歩いてスーパーに行っている。月に数度病院に出かけるがそれ以外は不自由な足で歩ける範囲がAさんにとっての日常生活圏となっている。こんな具合で、自動車の運転を諦めた高齢者の生活圏は「徒歩圏」、せいぜい500m〜1kmの範囲が日常生活圏域となる。だから、同じマンションに住んでいるにも拘らず 私の困りごととAさんの困りごとは地域的な広がりが大きく異なっている。
では、地域包括ケアを構築していくべき「地域」は何処なのか・・もう少し考えてみたいと思っている。
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