2016年1月29日金曜日

責任のとりかた

甘利大臣が現金受け取りを認め大臣を辞任

甘利大臣は「閣僚のポストは重いが、政治家としてのけじめをつけること、自分を律することはもっと重い。政治家は結果責任であり、国民の信頼の上にある。何ら国民に恥じることをしていないとしても、私の監督下にある事務所が招いた国民の政治不信を『秘書のせいだ』と責任転嫁することはできない。それは私の政治家としての美学、生きざまに反する」と記者会見で発言したとのこと。

潔いという見方が多いようだけれど、僕は、潔いとは思えない。自分のしてきたことを「何ら国民に恥じることをしていない」と評価しており、口利きで金をもらってきたことを悪いと思っていないし、そのことを反省もしていないからだ。

口利きは政治屋ビジネスと批判されているが、ビジネスで議員をやっている人は政治家でなく、政治屋だと僕も思っている。そして、甘利さんは政治屋だったということだ。国民が期待しているのは、どの政党に属していても本当の政治家だ。その意味で、甘利さんは自分の歩むべき道をどこかで誤ってしまったのだろう。そしてそれはご本人の矜持に反して、ご本人の政治家としての哲学を歪めてしまうほどに、ご本人の心を蝕んでしまったのだろう。だから政治家としての善悪が判断できないようなことになってしまっている。

そのことに気づき、大臣辞任で済ませず議員を辞職することが甘利さんの正しい選択肢だった。それが政治屋から政治家に戻る唯一の道だった。そのチャンスを自ら逃してしまったのではないか。僕は、今回の顛末を見ていてそんなことを考えたのだった。

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