鞆の浦を旅したときに、こんな案内表示を発見。ここは、坂本龍馬の「いろは丸」が紀州藩「明光丸」と衝突して沈没した、事件の補償をめぐって談判が行われた魚屋萬蔵宅(福山市鞆町鞆)なのですね。現在は、家屋が修復され、宿泊のほか食事・喫茶もできる施設となっていました。
談判の場で、龍馬は、万国公法を持ち出し紀州藩側の過失を追及、さらに、長崎で、民衆を煽り紀州藩を批判する流行歌を流行らせたりと、徳川縁の大藩相手にあらゆる手だてを駆使しています。最終的には、龍馬の政治力、交渉力、広範囲な人脈を駆使した、傑出した戦いの勝利となり、事故から1か月後に紀州藩が折れ、賠償金8万3526両198文を支払う事で決着したのでした。
ちなみに、8万3526両198文は現在の貨幣価値では25億円〜42億円に相当します。また、この事故は、日本で最初の海難審判事故だと言われています。
鞆は、歴史のある良い町ですね。
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