2017年9月30日土曜日

希望の党を考える

 「希望」について考えてみたい。国語辞典を見ると「1.あることの実現をのぞみ願うこと。また、その願い。」「2.将来に対する期待。また、明るい見通し。」とある。小池何某が代表となって新しくできた「希望の党」は、将来の明るい見通しを生み出す党だと言いたいのだろう。果たして、かの党にそれが可能なのか。よく見極める必要がありそうだ。

 昨日のニュース番組で、宮崎県知事をされていた東国原氏が小池さんを評して「安倍さんよりも右寄りの考えの人ですからね。」と言っていた。前にも書いたけれど、たぶんそれは違う。日本会議との距離感を見ても、安倍さんは憲法解釈を変えて集団的自衛権を認める閣議決定を行い、共謀罪や北朝鮮のミサイル実験に対し「対話よりも圧力」を声高に叫び、次の総選挙で勝ったら間違いなく憲法改正に踏み出すであろうと想像され、草の根右翼の日本会議の本流を行く人だと思う。小池さんはそうした日本会議とは少し距離を置いている。その柔軟さが、保守からリベラルまでカバーする幅広い政策となって表れているように見える。

 問題は、安倍首相が「TPP反対」のポスターを掲げて当選したら手のひらを返してTPP推進に回ったように、選挙で当選目当ての政策かどうかだろう。安倍さんの選挙公約が全くあてにならないことは前回の総選挙で明らかになってしまったので、今度はどうするつもりなのかよくわからないが、小池さんの対応はどうなのだろう。小池さんが都知事選挙を闘った時に最初に語ったのは「都政の透明化」だった。都議会自民党の強引なやり方を批判し、「いつ、だれが、どこで、なにを」決めたのかわかりやすくすると言いました。もちろん手放しで評価できるほどではないにしても、「何故」決めたのかという部分を除いて、都民にわかりやすくしようという姿勢を垣間見ることはできたと思います。そして都知事の報酬は公約通りそれまでの半分の報酬に引き下げています。
 
  そういう経過を見ていると、安倍さんのように公約を反古にするようなことはなさそうだというのが私の感想です。とすると、国政でも希望の党が政権を取ることがあれば、安倍さんよりは大分マシになるのではないかと思いたいですね。おそらく、私のように考えて、希望の党に投票する人は意外に多いかもしれません。

  だけど、もう少し考えてみた方が良い。最初から小池さんとタッグを組んできた若狭氏はさておき、細野某や長島某など民進党から希望の党へ鞍替えする連中が大勢いること、そして、前原代表が希望の党への合流を口にしていること等をみると、事実上の民進党解党、希望の党への押し掛け合同という状況になってきている。

  希望の党にとって、これは良くない。民進党が勝手に潰れていくのは自業自得だが、迂闊に消え行く定めの民進党を吸収したのでは、希望の党の値打ちが下がってしますというモノだ。早々と希望の党へ鞍替えした細野某が、菅さんや野田さん等を「ご遠慮いただく。」などと自分がさも人選ができるかのような口をきいているが、こういう奴が一番信用できないと思うのは私だけだろうか。
  私から見れば、細野某と菅さんや野田さんに如何ほどの違いがあるというのか。もしも希望の党が民進党出身者を大量に公認するというようなことになるのであれば、希望の党は、私にとって単なる政治権力争いの中で生まれた既存政党の焼き直しでしかない。
 
  希望の党は、ついこの間結党したばかりなので、もう少し様子を見ないと何ともいえないところもあるけれど、どうにも心の底から信頼できる感じがしないのは、民進党を辞めた細野氏が参加したあたりからいつもの選挙前の離合集散劇を見ているような気がしてならないからだ。まだ時間があるので、よーく考えよう。

2017年9月29日金曜日

岡山市長選挙

 岡山市長選挙の選挙戦も終盤、いよいよ明日が最終日だ。仕事をしていたころは選挙がもっと身近だったかもしれないが、今は、自営業のようなもので、選挙に駆り出されることもなく、平穏な日々を過ごしている。そういう立場で選挙を見ていると、盛り上がってないですね。

 現職の大森さんは、それはもう今現在市長なわけだけど、それを知らない人がいるんだね。確かに市長を知らなくても日々の暮らしは成り立っていくのだけれど、それでも現市長を知らない人がいるというのはある意味新鮮な驚きだった。とはいえ新人の矢引さんよりも知られていることは間違いないけどね。

 大森さん確かに目立った成果を上げてないように見えるけれど、何か大きな失敗をしたということもなく、保育所の待機者数の多さについては、それなり努力もしているのがみえる。もちろんまだまだ足りてなくて、どう整備するかが相変わらず課題ではあるけれど、知り合いの社会福祉法人の定員増が認められたりして、不十分ながら手を打っているように見える。
 山陽新聞によれば、この4年間を振り返って「透明性を確保し、さまざまな分野で布石は打ってきた。一定の成果は上がっていると思うが、まだまだ課題は多い。ステップアップを図りながら岡山市、市民のために、もっと力を尽くしたい。」と語っているが、一定の成果は上がっているがまだまだ課題は多いという自己評価は、市民の見方とそんなにかけ離れたものではないような気がする。
 重点課題には、「全国ワースト2位の待機児童の対策」、「学力向上」、「中心市街地の賑わい創出」をあげ、実績を前面に押し出して闘うとしている。

 矢引さんのほうは残念ながらどういう人物なのか論じるほどの材料を持っていないが、日本共産党岡山地区委員長で、岡山市政の評価は「国民健康保険(国保)の保険料引き下げを願う市民は多いが、10年連続で据え置かれたままで、今後は値上げの可能性もある。待機児童対策も責任を持って取り組んでいるとは言い難い。福祉に冷たい市政だ。」と手厳しい。
 重点政策は、「待機児童の解消」、「国保料の引き下げ、子供の医療費助成の拡大」、「教育の再生-30人学級の実現」、そして「中心市街地の賑わいよりも市発注工事で最低賃金や労働時間などの基準を定める公契約条例を設け、中小の下請け企業も利益が得られる仕組みに」と訴えている。また、トップダウン型ではなく、市民の声を聞きながら、共感した上で必要なものを取り入れ、市民と力を合わせてやっていきたい。透明性を高め、開かれた市政にするとし、この点では大森候補よりも市民の立場を尊重するという点で優れていると思う。私は矢引さんを支持したいと思う。

 しかし、とにかく選挙戦を闘っているという盛り上がりに欠けている。こういう時には残念ながら現職が強いだろうな。

 何故こういう選挙になったのかを総括する必要がある。いつも思うんだけど、4年先の次の選挙を見据えて、市民の立場で奮闘してくれる市長候補を選び、地道な活動を積み上げるということを何故しないのかなんだよね。事前の選挙運動は禁止されているけれど、政治活動が禁じられているわけではないわけで、4年かけてすべての市民に岡山市政の課題を語り、市民の要求を聞き、文字通り市民の声をしっかり盛り込んだ政策を作り上げていけば、自然と当選できるだけの地盤固めにつながっていく。そういう地道な取り組みが必要だと思う。今回だって8月だよね。矢引さんの立候補が決まったの。その辺りがいつも残念に思うところだね。

解散権は誰が持ち何のために行使するべきか

 なんとなく流してしまったけど、衆議院を解散する権利を持っているのは誰なのか?議長が「日本国憲法第7条により衆議院を解散する。」と詔勅を読み上げて解散される。しかし、憲法7条は天皇さんの国事行為を定めたもので、次のように書かれている。

第七条
 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
1.憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
2.国会を召集すること。
3.衆議院を解散すること。
4.国会議員の総選挙の施行を公示すること。
5.国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
6.大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
7.栄典を授与すること。
8.批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
9.外国の大使及び公使を接受すること。
10.儀式を行ふこと。

 ここから、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、衆議院を解散する行為を行う。」ということになり、内閣に解散権があることが読み取れる。しかし、大事なのは「国民のために、次の国事に関する行為を行う。」と書かれている部分で、国民のためになるのかどうかが問われるのだと思う。

 さて、今回の解散は、国民のためになるのかどうかが検証されなければならない。国政の上で今国民の関心が集まっているのは、国内問題では「モリカケ」問題は結局何が真実なのかということだし、安倍首相はアベノミクスの成果を強調するが国民の実感としては暮らしは苦しくなる一方で、このままアベノミクスを続けることが是か非かということだったりする。国際問題では、北朝鮮の軍備強化・核保有と核兵器使用の可能性だったり、それに対して北朝鮮も含めて国際的に非核化を進めることが大事だという提起があり、被爆国日本としてその流れを太く大きくするためにどう動いていくのかということだったりする。

 そういう国民の国政への期待に応える解散なのかどうかといえば、応えは否である。前にも書いたが、国会が始まると「モリカケ」問題の追求が始まるし、民進党が離党者が相次ぎ求心力を失くしている今なら総選挙で勝てるかもしれないし、そうすれば政権の寿命をのばすことができるので、今度こそ憲法改正をやりたい、そんな私利私欲で解散に踏み切ったようにしか見えない。

 また、憲法69条にも解散に関する規定がある。

第六十九条
 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

 こちらの規定ははっきりしていて、内閣不信任案が可決されたときに、総辞職をせずに、不信任を決めたことに対抗して、衆議院を解散することができることになっている。

 今回の解散は当然のことながら第69条による解散ではない。先に見たように、国民のためという大義があるわけでもない。とすれば、今回の解散は内閣の職権乱用解散と見るべきだと考える。そんな自公政権を勝たせてしまっては、これまでの立憲主義を否定し続けた安倍内閣を信任することになるし、安倍首相の側用人政治を肯定し、安倍内閣を延命させることになってしまう。それは国民の暮らしにとって平和と安心が損なわれることを意味する。ならば今度の選挙どうしたら良いのか、国民一人ひとりがよく考えて行動するべきだ。

内視鏡検査

 先日、内視鏡検査を受けた。経鼻内視鏡を選択したので、鼻から麻酔薬を注入するのだけれど、こいつが不味い。酸っぱいような苦いような何ともいえない味がする。そいつが鼻の奥から喉のほうに伝っていく。麻酔薬が通過した後に熱感が残る。直に喉がマヒした感覚を感じる。そうこうしていると検査台に移動するよう促され、検査台に左を下にした側臥位で横になる。

 真鍋先生が左の鼻から内視鏡を挿入する。鼻の奥で鋭角に喉の方に向きを変えるのだけれど、そこで引っかかる感じに少々痛い。オリンパスの内視鏡なのだけれど、経鼻内視鏡は富士フィルムメディカのほうが良い。中野に住んでいた時に江古田沼袋診療所で初めて内視鏡検査を受けたのだけど、その時は富士フィルムの内視鏡だった。もっと鼻の奥でしなやかに向きを変えて痛みは全く感じなかったし、鼻の奥に触れた感じも柔らかさを感じたものだが、オリンパスのは硬い感じがする。喉のところを超えるのに「唾を呑み込むようにして」と言われその通りにすると、よいっしょという感じで内視鏡が食道に入っていく。何だか今日はむかむかしてえずくが容赦なく内視鏡は胃へと進んでいく。

 胃へと到達し胃の中がモニターに映し出される。「粘液が多いな。ピロリ菌がいるように見えるよ。除菌ができているとポリープが小さくなるって言われてるけど、ポリープ小さくなってなし、呼気検査してみようか。」と先生が言う。除菌のための抗生物質を飲んで3か月後の呼気検査で陰性だったし、2年前に同じく内視鏡検査をした時には、粘液が多い部分の胃壁を採取してピロリの検査をしたけれどやっぱり陰性だった。今回もまたピロリ菌の検査をすることになったのだが、まあ仕方ない。やっておくしかないか。

 粘液が多いというモニターをながめて、私の印象は、検査前に飲み込んだ唾液ではないのかという感じ。前の検査が長引いて1時間近く待合室で待つことになり、その時のテレビCMでマクドナルドのハンバーガーを美味そうに食うシーンが流れ、空腹に堪え兼ねた胃袋が何か喰わせろというメッセージを発し、それに反応した唾液腺から唾がジュワーッと滲みだす。それを飲み込むということがCMのたびに繰り返されたのだから、目の前のモニターに写るくらいの唾液が胃壁に張り付いていても不思議じゃないんじゃないのと思ったのだが、内視鏡ごしでは区別はつかないわね。

 「ピロリ菌がいそうなことを除けば特に問題ないよ。」と言われたけれど、それが問題だという感じだった。検査後はするするとアッとう間に引き抜かれあっけなく終了。呼気検査の予約をして帰ったのでした。

解散総選挙

 昨日、衆議院が解散した。森友学園問題、加計学園問題等安倍首相の側用人ばかり集めた政治体制が長く続いたなれの果てのような事件が起こって、『行性が歪められた』と内部告発者まで出て、それでも白を切り続け、真相解明にはほど遠い状況にある。国会が開会されるとまたぞろ「カケモリ」問題の追及が始まる。それを嫌がっての逃げの一手解散という批判が出されても当然だといえる。

 民進党が求心力を失い解体の危機に直面している今なら、総選挙で勝てると踏んだのかもしれないが、そこに希望の党が割って入った。
 小池都知事は日本会議国会議員懇談会の加入議員リストに名を連ねる右翼思想の持ち主だという意見があるが、私はそうではないとみている。彼女は、機を見るに敏な政治家なのだ。国民会議に名を連ねたのはおそらく我々が町内会に参加するくらいの気持ちだけだと思う。現に、都知事選挙の後「日本の国益、伝統、歴史は大切にするという点では賛成している」としながらも、「ここ数年は距離を置いている」と述べているのだ。都知事選挙への立候補しかり、自民党のからの離党しかり、都議選での圧勝を経てこのタイミングでの希望の党の結党までの流れを見ているとまさに潮の流れをよく読んで、政治の世界をうまく渡っているようにみえる。
 希望の党が割って入ったことで、安倍首相や民進党の前原党首が思い描いていた自民党対民進党という構図が崩れ、総選挙の新たな構図として「しがらみ政治Vs改革派」という流れができた。脱原発、消費税増税凍結、選択的夫婦別姓、保育の充実など「寛容な改革保守」というだけに保守からリベラルまで網羅した政策を打ち出したことで希望の党への有権者の関心が高まっていることは間違いない。さらに民進党の前原代表が希望の党への合流を表明するに至ってはこれはもう解党的な事態に追い込まれたともいえる。

 最も保守的な政党「日本のこころ」の中山恭子参議院議員も希望の党に参加したし、日本維新の会も希望の党と一緒にやっていきたいというのが本音だろう。残る野党は公明党と日本共産党だが、公明党は都議会では小池んさんと組んだ実績もあり、国会で連携することにあまり大きな障壁はなさそうだ。

 となると、いよいよ日本共産党だけが本当に野党らしく闘うということになり、かつての「共産党を除く」会派Vs共産党という構図にならざるを得ないのかな。地域によってはこの間の野党共闘の名残で候補者の絞り込みができそうなところもあるようだけれど、希望の党の結党で野党共闘に大きな綻びが生じているというのが今の状況だ。

 私のスタンスは変わらない。今の私にできることはそう多くないけれど、常に国民の側に身を置いて、その立場から今の政治をどう見るべきなのか、何が真実なのか、情報を発信し続けることはできる。そして、まちづくりの活動を通して、政治への関心を高めていきながら安心して暮らし続けることのできる平和な町を作っていきたい。そういう活動の結果、私たちが選ぶべき政治家像が明瞭になってきて、国会や地方自治体の政治勢力が変わっていく、そうなっていけば良いなと思っているのだ。そして、そんな街で心安らかに暮らすことが私の夢なのだ。

2017年9月22日金曜日

断捨離

断捨離は、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を、ヨーガの行法である断行・捨行・離行を応用し、不要な物を断ち、捨てることで、物への執着から離れ、自身で作り出している重荷からの解放を図り、身軽で快適な生活と人生を手に入れることが目的である。

断:入ってくるいらない物を断つ。
捨:家にずっとあるいらない物を捨てる。
離:物への執着から離れる。

単に、不要のモノを捨てる行為のことではない。

でも、断捨離というと何だか捨てることとイコールのようなイメージが普及しているような気がするのだが、私の気のせいだろうか?

私の知り合いに、定年退職を機に断捨離を断行するのだといい、とくにかく色々捨てまくっていた先輩がいた。しかし、その後の彼の暮らしぶりを見ていると、結局また、新たな物を買い求め、捨てて空いたスペースが別のあるもので満たされていた。曰く「これは不要のものではない、必要があって手に入れたものである」と・・。う~ん、本当にそうか?だってそのモノの上にすでに埃溜まってんじゃん。

2017年9月20日水曜日

まちづくり研究所

NPOすばる『まちづくり研究所』、これが私の今後の活動の拠点である。私の目指すところは、「一人ひとりが、自分の人生を、自分らしく全うできること」であり、そして、それが可能となる地域をつくることであり、ひいては国づくりにまでつながっていくものだ。

まずは、地域がどうなっているのか明らかにし、地域に住む人の暮らしの課題を明確にすることが求められる。そして、その地域課題をどう克服していくのか、解決の道筋を政策提言しつつ、不足する社会資源を地域の人たちとともに作っていくことが私の活動になる。

もちろんその中のいくつかの課題は、NPOとして事業化することも検討している。具体的には、空き家対策を兼ねて低家賃の住宅を形にしたいと思うし、地域に点在するごみ屋敷の整理整頓とその家主のフォローを考えていきたい。そこには遺品整理も含まれるかな。遺品整理って、たんに残った不用品を片付けることじゃなくて、お亡くなりになった方の生きたあかしや文化を次の世代に引き継ぐこと、文化の継承だと思うんだよね。そんな気持ちを持ちながらやっていきたい。

『我が事、丸ごとの地域づくり』と厚生労働省が言い始めている。国が言うと、「安上がりの互助組織作り」だなんて反発が聞こえてきそうだけれど、悪いことばかりじゃない。

人は、一人では生きていけないわけで、地域と関わりながら生きている。自給自足で、衣食住をすべて自分で作り出しているという人がいれば別だけれど、多くの人は、食材をスーパーや魚屋、肉屋などで買い、服をシマムラやユニクロで買って、アパートを借りたり自分の家を大工さんにメンテナンスしてもらったりして生きている。信用を保証してもらうために住民登録したり印鑑登録して、必要に応じて住民票や印鑑証明などを活用して契約したりしている。あまり意識していないかもしれないが、役所を含め社会の様々な組織や人との関係性の中で生きているのだ。

つまり一人ひとりの問題・課題は、同時に地域社会の抱える問題・課題でもあるのだ。だから、『我が事、丸ごとの地域づくり』という厚労省の提案は至極当たり前のことを言っているだけのことなのだ。

国は国民を団結させないために常に分断してきた。マスコミをうまく使って、例えば、「富士見産婦人科事件」をセンセーショナルに取り上げたり、「病院が高齢者のサロン化」しているといい、「検査漬け」・「薬漬け」医療と批判したりして、医療は悪いものというイメージを国民に植え付けながら診療報酬切り下げを断行して見せた。
3K赤字(米、国鉄、健保)と喧伝し、国の財政を困難にする悪者のように描きながら、生産者米価を切り下げるなど日本の農業を破壊し続け、結果として食料自給率は先進資本主義国で最低の40%未満にまで落ち込み、国鉄は民営化され、健康保険本人の負担割合はゼロから3割負担へと大幅に負担が強化された。
新自由主義で競争をあおり、「負け組」から「勝ち組」を目指すことを国民に迫り、国民一人ひとりが分断されてしまった。地域にはもともと助け合う文化があったのに、それを新自由主義で破壊し、介護の世界でみればサービス提供事業所と利用者の契約に矮小化してしまった。制度の持続可能性云々ですでに全国一律の保険制度の体をなしていない制度になってしまった。
ここまできてやっと気づいたんだね。昔の村落共同体の助け合い組織の素晴らしさに。そしてその共同体的な助け合い組織こそが一番財源がかからない仕組みだってことに。しかし、いったん壊したものを再生するのにはすごいエネルギーが必要で、それぞれの自治体でいろんな努力が始まったところだけど、効果を出すには暫く時間がかかりそうだ。

日本には協同組合があり、新自由主義に翻弄されることなく、「分断」ではなく「団結」や「連帯」が大切だということを事業と運動で示して見せた。その経験を大切にしながら、地域共同体の再生をめざすこと。それが私の仕事になる。

住民税

市民税・県民税(住民税)の税額変更(決定)・納税通知書というのが届いた。今期の住民税については、退職金から全額控除して納付しておいてほしいと頼んでいたはずだったのだが、どうやら処理できていないようで、自分で振り込めということらしい。

これを見ると▲326千円が給与からの特別徴収ができなかったようだ。そして、10月末、1月末の2回に分けて、これを振り込まなければならない。う~ん、辛い。収入がなくなってから税金を払う。しかもこの金額。

そもそも住民税はどうやって決まっているのかな・・・

住民税 = 均等割額 + 所得割額
岡山市のホームページを見ると上の計算式で算出されることになっている。

1.均等割額
これは、「所得金額の多少にかかわらず、一定額を納めていただく税額です。」と説明されている。
市民税が3,500円、県民税が2,000円となっており、所得がなくても年間5,500円を負担することが求められているわけだ。

2.所得割額
こっちは「前年中の所得金額に応じた額を納めていただく税額です。」とされ、どうやら今年退職して給与がなくなったというような事情は勘案されず、あくまで前の年の所得に対して課税される仕組みなんだなぁ。その計算式は、次の通り。
所得割額=(前年中の所得金額-所得控除額)×税率-税額控除額-配当割・株式等譲渡所得割額控除額
前年中の所得は、給与だけでなく、不動産所得や利子・配当等の所得、年金等雑所得、事業所得などが含まれる。そこから所得控除額(医療費控除、生命保険料控除、扶養控除など)を引いたものが課税標準額となり、課税標準額に市民税6%、県民税4%の税率を掛けて、要するに1割が住民税ということだね。税額控除を受けられるものがあれば引かれるわけだけど、私にはない。
※分離課税分も考慮に入れなければならないけど、こちらは株式譲渡所得や長期に保有していた土地の譲渡益、先物取引等譲渡にかかる住民税で、私のような無産者には関係ないから省く。
ということで、課税標準約390万円の1割、386千円が所得割額ということになる。

均等割額+所得割額が住民税だから、391千円余が住民税というわけだ。何か月間かは給与天引きで住民税を払ってきたが、退職して給与天引きができなくなったので天引きされていない326千円を支払うようにという通知が来たというわけだ。

「退職すると意外にお金がかかって大変だぞ。」と先輩諸兄からアドバイスされていたが、いや~本当だということを痛感している今日この頃なのだ。

2017年9月15日金曜日

健康診断後の再検査

春の健康診断では、糖尿病の疑い・高コレステロール血症・胆のうポリープ・メタボリック・・・という具合で、半年後に再検査しなさいという通知を受け取った。半年以上経過してしまったが、昨日、ようやく再検査に行ってきた。

まずは、糖尿病の疑いから。空腹時血糖値 111mg/dLということで正常高値ではありますが、126mg/dLを超えると糖尿病という基準は下回っており、かつ、HbA1C 5.5%(正常値 6.2%未満)ということで「糖尿病ではないでしょう。」ということになった。

次いで高コレステロール血症だが、こちらは総コレステロール 232mg/dLと現在の基準値(140~220mg/dL)からは少々オーバーしている。細かく見ていくが、HDL-C 51mg/dLで正常範囲、LDL-C 168mg/dLとこれは高値を示し、中性脂肪 97mg/dLで正常範囲となっている。LDL-Cを下げることが課題として残るが、春の検診の時から比べれば全体として大きく改善しており、定期的なウォーキングを始めた効果が出ているようだ。

血液検査、尿検査とも他の項目は特に問題なく、春の検診時から比べればより健康的になったということかな。かみさんは、早朝歩いてから出勤し、日曜日には私と一緒に歩くので、私以上によく歩いている。そのかみさんに引っ張られるように私も歩く。それが結果として目に見えると、また頑張ろうかなという気になるね。

ついでに、ピロ菌除菌後2年ごとに内視鏡検査を受けるよう言われていたので、内視鏡検査の予約をし、中断していた歯周病の治療のため隣の歯科も予約して帰った。

これからの取り組み方
1.体重を減らすこと。目標体重 73kg(現在81kg)▲8kg
2.ウォーキングを継続すること。
3.食事の量と質を見直すこと。

ということで、次の検査ではさらに改善しているよう地道に頑張ろうと決意したのでありました。