2017年9月20日水曜日

まちづくり研究所

NPOすばる『まちづくり研究所』、これが私の今後の活動の拠点である。私の目指すところは、「一人ひとりが、自分の人生を、自分らしく全うできること」であり、そして、それが可能となる地域をつくることであり、ひいては国づくりにまでつながっていくものだ。

まずは、地域がどうなっているのか明らかにし、地域に住む人の暮らしの課題を明確にすることが求められる。そして、その地域課題をどう克服していくのか、解決の道筋を政策提言しつつ、不足する社会資源を地域の人たちとともに作っていくことが私の活動になる。

もちろんその中のいくつかの課題は、NPOとして事業化することも検討している。具体的には、空き家対策を兼ねて低家賃の住宅を形にしたいと思うし、地域に点在するごみ屋敷の整理整頓とその家主のフォローを考えていきたい。そこには遺品整理も含まれるかな。遺品整理って、たんに残った不用品を片付けることじゃなくて、お亡くなりになった方の生きたあかしや文化を次の世代に引き継ぐこと、文化の継承だと思うんだよね。そんな気持ちを持ちながらやっていきたい。

『我が事、丸ごとの地域づくり』と厚生労働省が言い始めている。国が言うと、「安上がりの互助組織作り」だなんて反発が聞こえてきそうだけれど、悪いことばかりじゃない。

人は、一人では生きていけないわけで、地域と関わりながら生きている。自給自足で、衣食住をすべて自分で作り出しているという人がいれば別だけれど、多くの人は、食材をスーパーや魚屋、肉屋などで買い、服をシマムラやユニクロで買って、アパートを借りたり自分の家を大工さんにメンテナンスしてもらったりして生きている。信用を保証してもらうために住民登録したり印鑑登録して、必要に応じて住民票や印鑑証明などを活用して契約したりしている。あまり意識していないかもしれないが、役所を含め社会の様々な組織や人との関係性の中で生きているのだ。

つまり一人ひとりの問題・課題は、同時に地域社会の抱える問題・課題でもあるのだ。だから、『我が事、丸ごとの地域づくり』という厚労省の提案は至極当たり前のことを言っているだけのことなのだ。

国は国民を団結させないために常に分断してきた。マスコミをうまく使って、例えば、「富士見産婦人科事件」をセンセーショナルに取り上げたり、「病院が高齢者のサロン化」しているといい、「検査漬け」・「薬漬け」医療と批判したりして、医療は悪いものというイメージを国民に植え付けながら診療報酬切り下げを断行して見せた。
3K赤字(米、国鉄、健保)と喧伝し、国の財政を困難にする悪者のように描きながら、生産者米価を切り下げるなど日本の農業を破壊し続け、結果として食料自給率は先進資本主義国で最低の40%未満にまで落ち込み、国鉄は民営化され、健康保険本人の負担割合はゼロから3割負担へと大幅に負担が強化された。
新自由主義で競争をあおり、「負け組」から「勝ち組」を目指すことを国民に迫り、国民一人ひとりが分断されてしまった。地域にはもともと助け合う文化があったのに、それを新自由主義で破壊し、介護の世界でみればサービス提供事業所と利用者の契約に矮小化してしまった。制度の持続可能性云々ですでに全国一律の保険制度の体をなしていない制度になってしまった。
ここまできてやっと気づいたんだね。昔の村落共同体の助け合い組織の素晴らしさに。そしてその共同体的な助け合い組織こそが一番財源がかからない仕組みだってことに。しかし、いったん壊したものを再生するのにはすごいエネルギーが必要で、それぞれの自治体でいろんな努力が始まったところだけど、効果を出すには暫く時間がかかりそうだ。

日本には協同組合があり、新自由主義に翻弄されることなく、「分断」ではなく「団結」や「連帯」が大切だということを事業と運動で示して見せた。その経験を大切にしながら、地域共同体の再生をめざすこと。それが私の仕事になる。

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