2018年3月9日金曜日

モノづくり

 日本のモノづくりがあやしい。いつの頃からかそういう思いが強くなった。もちろん真面目にモノづくりに取り組んでいる中小企業の社長さんや、そこで働く名人・達人たちを何人も知っているし、その人たちの仕事ぶりを高く評価しているのだが、私が言いたいことは個別具体的なモノづくりの現場のことではなく、日本のモノづくり全体の雰囲気というか、空気感というか、それがおかしくなったということだ。

 そもそもモノづくりには職人の育成が欠かせない。例えば私の好きなお酒の世界でいえばこんな具合だ。
 ワインのソムリエになろうとしたら、高校を卒業してすぐにブドウづくりを学ぶために農園で働き、3年、4年かけてワインの原料となるブドウのこと、ブドウづくりのことを学ぶことになる。そして一人前のブドウ農家になることができたら次のステップに進む。
 今度は、ブドウからワインを作る醸造家のもとでワインづくりを学ぶ。ブドウが実りワインを作れるのは1年に1シーズンしかないので、ワインづくりを学ぶには最低でも3~5年かかる。
 原料のブドウづくりから始まって、ワインづくりまで最低でも6、7年かけて学び、そしてようやくソムリエの修行に入ることになる。各地のブドウ畑の特徴を覚え、その畑のブドウで醸したワインの性格を知り、そして料理との相性を学ぶ。ソムリエと呼べるのはこうした10年余の努力を怠らなかった人のみ、というわけだ。

 真の職人を育成するためには最低でも10年というスパンで何を経験させ、何を学び、どういう職人に育てるのかという壮大なビジョンが必要というわけだ。鉄から製品を生み出すとすれば鉄そのものを知ることから始めなければならないし、絹織物を作るならば養蚕から学ばなければ、その道の達人にはなれない。原料生産にまで精通して初めて、原料の質の差を技術で埋めることができるようになるし、無理な注文にも応えることのできる技術を身に着けることができる。そういう真のプロフェッショナルがモノづくりの現場にいないこと、あるいは真のプロフェッショナルが評価されないことが、昨今の日本メーカーの品質問題を引き起こす原因になっているのではないか。私はそう思っているのだ。

 グローバルスタンダード、ISO9001、企業ガバナンス、コンプライアンス、こうしたことがそのままカタカナ語で語られているが、本当の意味を知って使っているのか甚だ疑問だ。例えば、ISO9001を入れて、何から何までマニュアル化された。マニュアル通りにやっていればちゃんとした製品が作れる、利用者に快適なサービス提供ができると錯覚するようになった。マニュアルが独り歩きし、マニュアルにないことがおこると、それをカバーするために新しいマニュアルが整備され、どんどんマニュアルが分厚くなっていく。モノづくりが材料をよく見て、そこからモノを作り出していく作業から、マニュアルを見てマニュアルにあてはめる作業に変わった。完成品をみて評価するのではなく、マニュアル通りに生産過程が進んでいったかが重要になる。こうしてモノづくりからモノを作る職人が疎外されていった結果品質事故が起こるのだ。

 新聞の切り抜きにここ数年の品質問題が載っている。何と嘆かわしいことか・・
2018年3月8日付 しんぶん赤旗

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