2018年3月12日月曜日

東京電力福一原発事故から7年

 東京電力福一原発事故から7年が経ちました。7年前、岡山市内の某事務所でテレビを見ていたら、突然画面にジャガイモを洗うように津波に翻弄される何台もの自家用車が映りました。最初は何が起っているのか理解できませんでしたが、テロップが東北地方で地震がおき、巨大津波が日本列島を襲ったことを報じました。そこで初めて、太平洋プレートに起因する巨大地震が起きたことを理解しました。地震による崩壊、津波による破壊、東京電力の原発事故、東日本の広範囲の地域で甚大な被害が起っている・・私が一番最初にしたことは友人の安否確認でした。私の友人たちに直接の被害がなかったことがせめてものすくいでしたが、刻々と明らかになる被害の実相に、茫然自失するしかなかったことを覚えています。

 あれから7年、全国の原発は再稼働に向けて動き出し、産業界からは原発の新設の話まで出ています。地震列島、火山列島等と呼ばれる日本で、ひとたびシビア・アクシデントが発生すれば、人の力ではコントロールできないことを学んだはずなのに、何でそんなことができるのか私には不思議で仕方ありません。

 そこには、資本主義の本質でもある「今だけ」「自分だけ」「金だけ」の露骨な三だけ主義のみが存在し、今、自分の利益を最大限追求し、金を手にすることに執着する醜い経済競争と、財界のために財界の利益を最大限追求することで、そのおこぼれに預かって生きている薄汚れた政治家の姿を見ることができます。

 彼らはあの事故から何も学んでいないどころか、一層刹那的になったかのように私の眼には映ります。

 福一の溶け落ちた燃料デブリが最近確認できたというニュースが流れましたが、放射線量が高すぎて、その燃料デブリを取り出す方法は残念ながら見つかっていません。除染作業で集められて大量の汚染土等の放射能を含むゴミの入った黒い袋は、大量に野積みされたままです。全国の原発で使用された使用済み核燃料等の処理方法も確立せず、地層処分するという方針が提案されていますが、引き取り手が見つからないままで、どこにも原子力発電を続ける根拠が見つけられません。それでも一つひとつ原発が稼働して行く現状は、まさに身を滅ぼす所業にしか見えません。

 かつて「神の火」と呼ばれた原子力の火は、本当に「神の火」だったんです。「神の火」をコントロールできるのは神のみ、人には「神の火」をコントロールすることはできないのだということを先の震災で学んだのではなかったか・・。資本の呪縛から解放されて、本気で、この地球上の人と他のあらゆる生物が、共に幸福に生存して行くことを考えなければならないのではないか・・そんなことを考えた東北大震災7年目の今日でした。

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