2018年3月28日水曜日

生涯賃金奴隷

 賃金奴隷・・・いや言葉ですね。それだけで嫌な言葉なのに、「生涯」がついて何だか絶望的な気分になるような表題が気になって読んでみました。

 安倍内閣の「高齢社会対策大綱」が打ち出した年金受給開始の先送りの話でした。記事によると70歳以降に年金受給時期を延期したら受給額を増やせるという選択肢を用意するということのようです。確かに、元気な高齢者が増え、人生100年時代・・・と言われたりするわけで、私も、「生涯現役」「生涯青春」が座右の銘というか、私のライフ・スタイルとでもいえるようなものなので、働けるうちは仕事をしたいと思っています。私は、年齢を理由に何かを制限されたり、年齢を理由に自分で自分の限界を決めたり、そういうことが嫌いなんです。
 でも、そういう人ばかりではないわけで、定年まで働いたら、余生をゆっくり楽しみたいとか、あちらこちらを旅してまわりたいとか、好きな趣味に打ち込みたいとか、いろんな選択肢が用意されなければいけないわけです。30%以上が貯蓄ゼロと言われる時代です。日本国民の中に貧困が広がっているのは間違いないんですよ。それでも世の中に貢献し定年を迎えたら、100年安心の年金制度が待っているとみんな思っているわけです。

 それなのに年金受給開始時期を先送りされたら、もう否が応でも働かなければならないということです。食うに困って働くことを選択せざるを得ない状況を作ろうちうことですね。
 経団連は「高齢者などの労働参加を促していけば、労働力人口の減少を最低限に抑え、潜在成長率へのマイナスインパクトも最小限にとどめることが可能」「高齢者については社会保障制度の支えてに回ってもらう」などと言っています。
 政府にとっても、高齢者を働かせれば低年金に起因する生活保護費の増加を抑制でき、社会保障費を負担する人を増やせるわけで、政府・財界に都合のいい仕組みづくりというわけです。

 軍事費に5兆円を超える国家財政をつぎ込みアメリカから武器を買い、リニア新幹線やダム開発などの無駄な公共事業で財界にもうけさせる、そんな今の国の財政の在り方を見直せば、国民の生涯賃金奴隷化計画などといったものを持ち出さなくても良いわけです。

 人生100年時代、生涯賃金奴隷なんざまっぴらでえぃ!!

 わたしは、そう叫びたい思いに駆られながらこの記事を読み終えたのでした。

2018年3月27日付 しんぶん赤旗

2018年3月26日月曜日

ピラミッド新発見

 密林に眠るマヤ文明の遺跡を発見!ワクワクするニュースが届きました。

 茨城大学の青山教授とアリゾナ大学の猪俣教授を中心とする国際研究グループは2015年、中米グアテマラのマヤ文明の遺跡、セイバル遺跡とその周辺約470平方キロメートルの範囲を航空レーザー測量を実施。

 一帯は熱帯雨林に覆われ、地上から広い範囲を調査することは不可能でしたが、レーザー光は樹木の隙間から地面に到達し、編者行の解析で地表面の情報が得られます。一部を地上から調査したデータを含めて検討した結果、先古典中期から終末期(紀元前1000年~紀元後200年)に造られたEグループと呼ばれる建造物群が11確認されたということです。
 さらに、この時代の別の公共祭祀建造群が14見つかっています。先古典期にはセイバルとその周辺に少なくとも25の儀式の中心地が存在したことになります。

 こうして人類の秘密がまた一つ解き明かされる・・何だか楽しくなります。

2018年3月22日付 しんぶん赤旗

2018年3月19日月曜日

前川さんの授業に介入

 安倍政権の教育介入問題、『文科省から名古屋市教育委員会への要請メール』を見ると、公立中学校の授業の一つに執拗に絡んでくる文科省の対応に違和感を通り越して、教育を政治が統制しようとしているように感じます。

 教育の根幹には基本的人権があります。「基本的人権」とは、言い換えると「自分らしく生きていく権利」ということです。「たとえ100人のうち99人が賛成しても一人に対して犠牲を要求してはならない問題」です。
 国旗国歌法の制定以降、「強制しない」という国会答弁とは裏腹に、全国の学校現場で「君が代」斉唱時に起立しない教職員に対する処分が強化されていきました。この問題は教職員の労働条件(服務規律)の問題だと考えられがちですが、そうではありません。
 この問題の本質は、身を挺して子どもの良心の自由を守ろうとする教師たちを、国や県や教育委員会が、学習指導要綱の「国旗・国家への理解」をたてに抑圧しているということです。何故そんなことをするのかといえば、公教育を通じて、戦前のような「国家への服従と忠誠心を持った国民」を育てようという意図があってのことなのだろうと考えています。そんな教師たちが、子どもや親や社会から顧みられなくなり、孤立していった時、子どもたちの良心の自由を育てるための環境は死に絶えることになるでしょう。

 前川氏の授業に対する文科省の介入は、政治の教育への不介入が大原則の教育基本法に明確に違反しています。しかし、校長や教育委員会がきちんと対応されていて、そこに教育に携わる人たちの誇りを感じることができ、日本の教育現場を頼もしく思いました。
 



2018年3月12日月曜日

東京電力福一原発事故から7年

 東京電力福一原発事故から7年が経ちました。7年前、岡山市内の某事務所でテレビを見ていたら、突然画面にジャガイモを洗うように津波に翻弄される何台もの自家用車が映りました。最初は何が起っているのか理解できませんでしたが、テロップが東北地方で地震がおき、巨大津波が日本列島を襲ったことを報じました。そこで初めて、太平洋プレートに起因する巨大地震が起きたことを理解しました。地震による崩壊、津波による破壊、東京電力の原発事故、東日本の広範囲の地域で甚大な被害が起っている・・私が一番最初にしたことは友人の安否確認でした。私の友人たちに直接の被害がなかったことがせめてものすくいでしたが、刻々と明らかになる被害の実相に、茫然自失するしかなかったことを覚えています。

 あれから7年、全国の原発は再稼働に向けて動き出し、産業界からは原発の新設の話まで出ています。地震列島、火山列島等と呼ばれる日本で、ひとたびシビア・アクシデントが発生すれば、人の力ではコントロールできないことを学んだはずなのに、何でそんなことができるのか私には不思議で仕方ありません。

 そこには、資本主義の本質でもある「今だけ」「自分だけ」「金だけ」の露骨な三だけ主義のみが存在し、今、自分の利益を最大限追求し、金を手にすることに執着する醜い経済競争と、財界のために財界の利益を最大限追求することで、そのおこぼれに預かって生きている薄汚れた政治家の姿を見ることができます。

 彼らはあの事故から何も学んでいないどころか、一層刹那的になったかのように私の眼には映ります。

 福一の溶け落ちた燃料デブリが最近確認できたというニュースが流れましたが、放射線量が高すぎて、その燃料デブリを取り出す方法は残念ながら見つかっていません。除染作業で集められて大量の汚染土等の放射能を含むゴミの入った黒い袋は、大量に野積みされたままです。全国の原発で使用された使用済み核燃料等の処理方法も確立せず、地層処分するという方針が提案されていますが、引き取り手が見つからないままで、どこにも原子力発電を続ける根拠が見つけられません。それでも一つひとつ原発が稼働して行く現状は、まさに身を滅ぼす所業にしか見えません。

 かつて「神の火」と呼ばれた原子力の火は、本当に「神の火」だったんです。「神の火」をコントロールできるのは神のみ、人には「神の火」をコントロールすることはできないのだということを先の震災で学んだのではなかったか・・。資本の呪縛から解放されて、本気で、この地球上の人と他のあらゆる生物が、共に幸福に生存して行くことを考えなければならないのではないか・・そんなことを考えた東北大震災7年目の今日でした。

2018年3月9日金曜日

モノづくり

 日本のモノづくりがあやしい。いつの頃からかそういう思いが強くなった。もちろん真面目にモノづくりに取り組んでいる中小企業の社長さんや、そこで働く名人・達人たちを何人も知っているし、その人たちの仕事ぶりを高く評価しているのだが、私が言いたいことは個別具体的なモノづくりの現場のことではなく、日本のモノづくり全体の雰囲気というか、空気感というか、それがおかしくなったということだ。

 そもそもモノづくりには職人の育成が欠かせない。例えば私の好きなお酒の世界でいえばこんな具合だ。
 ワインのソムリエになろうとしたら、高校を卒業してすぐにブドウづくりを学ぶために農園で働き、3年、4年かけてワインの原料となるブドウのこと、ブドウづくりのことを学ぶことになる。そして一人前のブドウ農家になることができたら次のステップに進む。
 今度は、ブドウからワインを作る醸造家のもとでワインづくりを学ぶ。ブドウが実りワインを作れるのは1年に1シーズンしかないので、ワインづくりを学ぶには最低でも3~5年かかる。
 原料のブドウづくりから始まって、ワインづくりまで最低でも6、7年かけて学び、そしてようやくソムリエの修行に入ることになる。各地のブドウ畑の特徴を覚え、その畑のブドウで醸したワインの性格を知り、そして料理との相性を学ぶ。ソムリエと呼べるのはこうした10年余の努力を怠らなかった人のみ、というわけだ。

 真の職人を育成するためには最低でも10年というスパンで何を経験させ、何を学び、どういう職人に育てるのかという壮大なビジョンが必要というわけだ。鉄から製品を生み出すとすれば鉄そのものを知ることから始めなければならないし、絹織物を作るならば養蚕から学ばなければ、その道の達人にはなれない。原料生産にまで精通して初めて、原料の質の差を技術で埋めることができるようになるし、無理な注文にも応えることのできる技術を身に着けることができる。そういう真のプロフェッショナルがモノづくりの現場にいないこと、あるいは真のプロフェッショナルが評価されないことが、昨今の日本メーカーの品質問題を引き起こす原因になっているのではないか。私はそう思っているのだ。

 グローバルスタンダード、ISO9001、企業ガバナンス、コンプライアンス、こうしたことがそのままカタカナ語で語られているが、本当の意味を知って使っているのか甚だ疑問だ。例えば、ISO9001を入れて、何から何までマニュアル化された。マニュアル通りにやっていればちゃんとした製品が作れる、利用者に快適なサービス提供ができると錯覚するようになった。マニュアルが独り歩きし、マニュアルにないことがおこると、それをカバーするために新しいマニュアルが整備され、どんどんマニュアルが分厚くなっていく。モノづくりが材料をよく見て、そこからモノを作り出していく作業から、マニュアルを見てマニュアルにあてはめる作業に変わった。完成品をみて評価するのではなく、マニュアル通りに生産過程が進んでいったかが重要になる。こうしてモノづくりからモノを作る職人が疎外されていった結果品質事故が起こるのだ。

 新聞の切り抜きにここ数年の品質問題が載っている。何と嘆かわしいことか・・
2018年3月8日付 しんぶん赤旗

2018年3月8日木曜日

量的・質的金融緩和の破綻

 安倍内閣は4月に任期満了を迎える黒田東彦日銀総裁の再任案を示し、量的・質的金融緩和(異次元の金融緩和)を日銀に続行させようとしています。

 そもそも、金融緩和とは何か。わかりやすく言うと、不況局面で景気底上げのために行う金融政策のことで、通貨供給量を増やして資金調達を容易にする政策のことです。2013年4月から導入した量的・質的金融緩和策(異次元緩和)では、従来の政策金利と預金準備率を引き下げて直接的に通貨供給量を増やす量的緩和と同時に、国債等償還までより長期にわたる金融資産やリスク資産の買入れを積極的に行う質的緩和を組み合わせた金融政策が実施されました。
 その際に主張されたのは、「金融緩和によって物価、賃金が上がり、経済の好循環が生まれる」というものでしたが、この5年間の実績はどうだったでしょう。

 異次元緩和で金融市場に大量のお金を供給したことによって、確かに株価は上がりました。日経平均株価は2倍以上に上昇し、大企業とその株主である富裕層に多大な恩恵をもたらしました。
 しかし、その一方で実質賃金は低下し、庶民の暮らしは苦しくなりました。にもかかわらず黒田総裁が異次元緩和に固執するのは「年2%の物価上昇」目標が達成できていないからです。安倍首相も先日の予算委員会で「2%の物価上昇目標はグローバルスタンダードだ」と強調していますが、戦後日本で2%を上回る物価上昇が続いたのは高度経済成長期と70年代の異常な物価高騰、80年代末のバブル経済時代などごく一部にすぎません。
 2年前から続けているマイナス金利政策によって金融市場の金利は0%に近い水準です。銀行の預貸利ざやが年々低下し地域銀行の収益性の低下がおこっています。異次元緩和で日銀が民間銀行から国債を大量に買い込んだ結果、日銀が保有する国債残高は400兆円を超え、国債発行残高の4割を上回るところまで来ています。

 異次元緩和で物価、賃金が上がり、経済の好循環が生まれるという主張は、根拠を失いました。正常な金融政策に戻すことが、今、求められているのではないかと思います。

2018年3月6日付 しんぶん赤旗

※政策金利=日本銀行が一般の銀行に融資する(お金を貸す)際の金利のこと。

※預金準備率=市中金融機関の預金等の債務の一定割合相当額を、通常無利子で中央銀行に強制的に預け入れさせ、その預入れ率すなわち預金準備率(支払準備率)を随時変更することにより、金融機関の現金準備を直接的に増減させ、その信用創造機能をコントロールしようとする通貨調節手段。

2018年3月6日火曜日

医療と介護同時改定

 2018年度政府予算案の大焦点である診療報酬と介護報酬。しんぶん赤旗が取り上げています。
 安倍政権が医療費削減の標的としたのが入院サービスです。急性期病床で最も報酬が高い7対1病床を10対1病床に転換させる仕組みを用意しました。「7対1」の入院基本料の支払い要件を、「入院患者に占める重症者の割合」が「25%以上」から「30%以上」に引き上げられます。「7対1」を維持するためには重症患者の受け入れが必要となり、「もう重症ではない」という理由で早期退院が迫られたり、より重症な患者を選んで入院させるなどの患者の選別が行われる危険性が指摘されています。
 また、テレビ電話を使って受診できる「遠隔診療」への報酬を新設します。医療過疎地域などで歓迎する意見もありますが、直接診療する場合と比べると患者さん状態を把握するための情報が少なくなり、医療の質が担保できないと医療団体が反発しています。

 介護報酬改定では、診療報酬の改定に連動して医療的ケアが必要な患者さんを医療から介護へ押し流す仕組みが盛り込まれました。しかし、看護師やリハビリ専門職の慢性的人手不足は深刻で、医療的ケアを介護側で受け取って大丈夫かという不安があります。
 医療的ケアの必要な要介護者の長期療養・生活施設として『介護医療院』が新設されます。介護療養病床を廃止して転換するとしていますが、医療体制は縮小します。これで医療が必要な要介護者の療養・生活施設としての役割が果たせるのか疑問です。
 訪問介護では生活援助の報酬を抑え、生活援助に特化した担い手づくりで新しい研修制度をスタートするとしていますが、具体的に担い手が集まる保障はありません。
 通所介護は規模の大きな事業所の報酬が大幅に引き下げられます。前回改定でも倒産が急増しましたが、今回の改定はさらに倒産に拍車をかけるのではないかと指摘されています。
 介護職員の処遇改善でも、他産業との賃金格差はわずかに縮まったにすぎず、介護の仕事に魅力を感じて職業として選択する若者が増える状況にはありません。マンパワーの確保は深刻な状況が引き続き継続することになります。
 
2018年3月4日付 しんぶん赤旗


2018年3月1日木曜日

グローバル経済の迷宮 4

 かつて、自動車産業は、日本の製造業と日本経済を支えてきました。しかし、拡大してきたのは海外生産のみです。少し古いですが、グラフを見ると1990年から2014年の推移をみると一目瞭然で、海外生産を1,420万台増やしながら、国内生産は371万台減らしています。今後の経営戦略でも海外生産のみを増やしていく方向です。

 さらに自動車各社の生産システムの改革によって、部品のモジュール化が進み、共通部品やモジュールの組み合わせで、あらゆる車種を生産しようということになっています。従来、一次、二次、三次などの下請けメーカーと一緒に車種ごとに自動車の品質を作り込んできました。モジュール化によって従来よりも桁違いに多い部品やモジュールの供給を下請け企業に求めるようになっており、従来の下請けでは対応できません。自動車産業の下請け企業も、国内企業が切り捨てられ、安い部品を供給する中国企業に変えられてきています。

 自動車製造業の出荷額は52兆円(2014年)で、主要製造業の出荷額の2割を占め、自動車産業の労働者数は雇用労働者の約1割です。「自動車産業は日本の産業を支えるフロントランナー」と言われる所以ですが、今、自動車産業は、下請けも含めて崩壊の危機に直面していると思います。

 国境を越えて、最適地で生産するグローバル企業の経営行動は、本当の意味で、グローバル企業の成長につながるのでしょうか。国民をぼろぼろにし、技術を流出させ、それで企業の繁栄が築かれたとしても、日本の未来は暗澹たるものになってしまうでしょう。国内生産を守り、技術を蓄積し、新しい製造業の姿を創造していくことが日本の製造業全体の大きな課題となっていると思います。


説明を追加2018年2月23日付 しんぶん赤旗