ホセ・ムヒカ氏の演説
(2012年6月20日 国連持続可能な開発会議(リオ会議))
あらためて聴いてみると、素晴らしい内容を持っているんです。生きる目的は何か?政治の役割は?日本の今の混迷ぶりを解決して行くヒントがたくさんつまっていると思いました。
「マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。」
ここには資本主義の本質が見事に描かれています。無限の消費と発展を求めるのは資本主義であるが故のことです。大量に商品を作り、その大量の商品を売るために国民の中に欲望の種を植え、「無限の消費」を生み出したのです。
輸送力の発展や保存技術の発展により、生鮮食料品でさえ、欲すれば、金があれば、世界中から自由に手に入れることができます。
また、資本主義は商品の寿命を短くします。画期的な技術だといわれた物が、1年後、半年後、3か月後には陳腐化され、次の技術を搭載した商品が売り出され、まだまだ使える製品を買い替えるよう仕向けられています。
「10万時間持つ電球を作れるのに、千時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために『使い捨ての社会』を続けなければならないのです。」
人はそんな社会の中で、悪循環に気づかず、そんな暮らしが豊かな暮らしだと思い込まされているのです。そして、我先に金儲けに血眼になり、稼いだ金で商品を買い続けることを宿命づけられた社会、それが資本主義社会です。そんな仕組みが地球規模で勝手に動きだし、コントロールできなくなった段階がグローバリゼーションかもしれません。
「私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。」そのシンプルな真理に私たちは気がつかなければなりません。豊かなモノに囲まれた暮らしが豊かな暮らしではないのです。
振り返ってみてください。日々の暮らしに必要な物はそう多くありません。家族の暮らす小さな家と着るもの、食べるものがあれば生きていけます。そして、やりがいのある仕事と、愛する家族、友人や信頼できる隣人たち、人が生きていくために必要なのはせいぜいそんなもんです。
何億円もする豪邸に住み、何千万円もする車を何台も持ち、有り余る金を持っている人が幸福な人ではありません。「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人」だといいますが、有り余る金を手にしてもまだ足りないと思っている人は、貧乏な人だといわなければなりません。
今、大事なことは、暴走する市場をコントロールすることであり、それは、政治の仕事です。政治家がしなければならないのは、国民の幸せを第一義的に考え具体化することなのです。
ムヒカさんの演説を聞きながら、そんなことを考えたのでした。
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