先日、古い友人と酒を酌み交わす機会があった。その時に、「貴方はブローカーであり、デベロッパーなんだから、リラクゼーション・セラピストなんか似合わない。ブローカー、デベロッパーであるべきだ。」と言われた。私がブローカー(仲買人)だ、デベロッパー(開発者)だという指摘が当たっているのかどうかという疑問が無いわけでもないが、少なくとも彼のいうようにセラピストという柄じゃいないのは間違いない。
でもね、揺れるんですよ。何とかする自信があって自立したわけだけれど、そう簡単に仕事になるわけも無く、苦戦が続く中で、ふっと魔が差したようで(勿論それだけではないのだけれど)、目先を変えてみようとリラクゼーション・セラピストの研修を受けたのだった。それはそれで面白いのだけれど、何だか自分のやりたいこととはやっぱり違うとも思いながら、実際に、店舗でサービスに携わるようになってもいた。そこに冒頭の話ですよ。
一寸衝撃を受けたね。やっぱりそうなんだなぁ。自分のやりたいこととは全く別物だよな、ということがすんなり腹落ちした気がした。初心を忘れては行けない。少しうまくいかない時間が続いたくらいで揺らいでちゃ駄目だね。彼と酒を飲みながら素直にそう思ったのだった。
リラクゼーションのお店の方も、すでにローテーション入りしているので、急に辞めるわけにも行かないがローテーションから外してもらう方向で本部に調整してもらって、遠くない時期に本来自分がめざしていたことに集中できるよう整理しよう。そんな決意をしたのだった。
持つべきものは良い友だね。忌憚の無い意見をはっきり言ってくれるし、それでいて、いざとなったら力を貸してくれる。なかなか良い時間を過ごさせてくれた友に感謝である。
さてそこで、私は何をやろうとしているのか、あらためて整理しておきたい。私がめざしたいのは、「地域共同体の再生」である。新自由主義の考え方が日本の政治と経済を動かしている。国家による福祉・公共サービスの縮小、大幅な規制緩和と市場原理主義の重視の中で、日本で何が起っているのかといえば、自由な競争という名で国民の自由が奪われ、ごく少数者への富の集中と、圧倒的多数の国民の貧困化がすすんでいる。国民は一人ひとりに分断され、地域共同体も崩壊してしまった。地域共同体の崩壊が社会保障関係予算の増大につながっていることに気づいた厚労省は、最近になって「我が事、丸ごと」の地域づくりなどと言いはじめているが、元をたどれば国が地域共同体の破壊をすすめてきたのだ。
私は、長く協同組合に身を置き、協同組合の現代的な課題は何かというようなことをずっと考えてきたが、1980年のレイドロー報告が私にとっては一つのバイブルになっている。彼が提起した「協同組合は未来の歴史を書く資格があるのか?」というテーマは、私にこれからの私の仕事を考える重要なテーマを与えてくれたのだ。
私は世界の人々が協同することぬきに、未来の歴史は書けないと思っている。かといって世界に向けて、世界中の人々よ団結せよ、連帯せよ、と叫んだところで協同することにはならない。生活圏を同じくする人たちを共同体として再生させていき、その小さな単位の共同体がつながって世界が一つにまとまっていくのだろうと思う。
めざすは世界が一つになること。そしてそのために、まずは私も暮らすこの町で共同体を再生させること、それが私のやろうとしていることなのだ。あらためてそこを確認し、まずは何からはじめるのか、考えるところからはじめよう。といっても考えているだけでは何も変わらないので、動きながら、考え、方向を見定めて、動きを作り、そしてまた考えるという作業を繰り返しながら、めざすべきものを見失わずにやっていこう。
何だかそんなことを考えるだけで楽しいじゃないか。
0 件のコメント:
コメントを投稿