2018年6月6日水曜日

個人主義を考える

 最近、個人主義とは何かということを考える機会がありました。困ったときのWikipediaで調べてみると次のように書かれています。

 国家や社会の権威に対して個人の権利と自由を尊重することを主張する立場。あるいは共同体や国家、民族、家の重要性の根拠を個人の尊厳に求め、その権利と義務の発生原理を説く思想。ラテン語のindividuus(不可分なもの)に由来する。対語は、全体主義・集団主義。

 「日本は、欧米の個人主義思想を学んだ。」と言われていますが、本当にそうでしょうか。欧米諸国は地続きで人が行き交う多民族国家です。色んな人種、宗教、文化的な価値観を持つ人たちが集まっているわけですから、一人ひとりの違いを認め合い、自由を尊重し合うこと抜きには集団が成り立たないわけです。そのうえで会社などの組織では、チームワークで仕事を片付けていくということになるわけです。

 ところが日本は島国で、長い歴史の中で互いの常識を「暗黙の了解」で共有できるほど同質性の高い国民です。最近、若い人たちとつきあうと、ちょっと違うかなという感覚を覚えることもありますが、コミュニケーションを多少省略しても分かり合うことができたのです。そこに個人主義という考え方が入ってきたのですが、その時に、誤解が生まれたように思います。多くの日本人が考える個人主義は、実は、利己主義ではないかと私は思うのです。

 例えば、電車やバスを思い描いてみてください。自分も含め、若い人たちが座席に座っています。そこに、足元のおぼつかない高齢者が乗車してきました。誰も席を譲ろうとしません。この席は私が先に座っていたので、私が降りるまでの間、この席は私に占有権がある、この席に座り続けることは私の権利である!というわけです。
 あるいはまた、会社でみんなが残業している場面を想像してください。てきぱきと要領よく実務をこなす人がいる一方で、じっくりと正確性重視で実務を進める人がいて、早く仕事が済む人、時間がかかる人に分かれます。早く済んだ人は、私の担当業務は終了したので、お先に失礼します!といって帰っていきます。自分の仕事を早く終えたので、みんなより先に帰る権利がある!というわけです。

 これらのことは、私は、日本人の利己的な性格の表れだと思うんです。けっして個人主義ではありません。個人主義は集団に所属する一員としての役割や権利をお互いに尊重しあうことであって、一人ひとりが好き勝手にすることとは違います。当事者が解決できない問題で行き詰まっているのであれば、周囲の人間が助けるのが当たり前、そう考えることができるのが欧米での個人主義なのだろうと思います。ところが日本人は個人主義を利己主義のように理解してしまっているようです。

 利己主義を批判する人が、個人主義と称して実は利己的にふるまっている・・・。そんな姿を見るたびに、個人主義を正しく理解していないという思いを強くするのです。

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