空気を読めない人・・KuukiのKとYomenaiのYでKYと言ったりしますが、そんな人が多いと思うんですよ。何でだろうといろいろと考えたんですが、2014年の文化庁の「国語に関する世論調査」(16歳以上の男女3,000人を対象にアンケートを実施)によると、「1か月に3冊以上本を読む」と応えた人は17.9%、「読書量は減っている」と考えている人が65.1%にのぼるという。しかも、「1冊も読まない」人が47.5%に達するということです。
私は、こうした事態とKYな人の増加には因果関係があると思っているのですね。
本を読むことで例えば主人公の体験を我が身に起こったことのように経験することができます。もちろん、そこには我が身に起こったらどうなるかということを想像できる力が必要ですが、本を読むことでその想像力が鍛えられ、自分の体験のように具体的に思い描くことができるようになります。そうした経験が、相手の気持ちを想像できることを可能にし、「その場の空気が読めるようになる」ことにつながると思うんです。
ところが冒頭に書いたように、本を読まない人が半数もいるわけで、これでは想像力の欠如がおこり、相手の気持ちを慮って対話したり対応したりできなくなるのが当たり前だと思うのですね。
しかも、この本を読まない傾向は、若い人に限ったことではなく、全ての年代で起こっているということです。
加えて、老若男女を問わずスマートフォンを持ち、ラインやメールやSNSで簡単につながるくせに、ちょっとしたことで簡単に関係が断たれていく…そんな様子を見ていて思うのは、デジタルな世界の言葉の使い方がおかしいんじゃないかということです。
独特の言葉が使われていて私なんかは何を言っているのかわからないこともありますが、言葉が非常にストレートですね。含みのある言葉は使われず、「良いか、悪いか」、「好きか、嫌いか」といった二者択一的な言葉が交わされている。
小説を読むときには行間を読む・・文章には書かれていない筆者の真意を汲み取る、なんてことができるとより面白く小説を読めるようになるわけですが、デジタルな世界ではそんなことは全く考慮に入らないわけですね。だから、些細なことで簡単に関係を断ってしまおうということになるわけですが、今のデジタルな関係では、例えば、友達の登録を削除してしまえば、いとも簡単に関係を絶ってしまうことができてしまうわけです。
こうした薄っぺらい人間関係が、仮想空間の中で構築されていき、それが実世界の人間関係に照射され、実世界の人間関係をも脆弱なものにしていく。そんな風に私の眼には映りますね。その希薄な人間関係により、今にも壊れそうに微妙なバランスで成り立っているのが今の日本社会じゃないのかなぁ。そして政権与党はそれを上手く利用して、国民を支配する仕組みを作り出している。いつまでたっても野党はそれに敵わない・・残念だけどね。