2024年5月6日月曜日

継続雇用

 以前、定年退職後、「再雇用で残るか、辞めるか、それが問題だ」と書いた。結論的には、再雇用で残っている。積極的に残ることを選択したわけではないのだが、一つには、理事長にもう少し残るよう頼まれたこと、二つには、3月31日の定年退職日がやってくるのに辞める決断ができなかったこと、三つには、2つ目の理由に深く関わるのだが、福祉有償運送のご利用者さんから残るように懇願されたこと、4つに、私が立ち上げた事業の私の次の責任者から、何かあった時に相談できる人がいないので、ぜひ残って欲しいと頼まれたこと、などがその理由だった。

残ることにして、労働条件通知書を受け取った。契約期間の定めがある雇用契約で、契約期間は1年間、つまり1年毎に契約更新という手続きが必要で、上限年齢は68歳だそうだ。それはまあ良い。給与は時間給となり、時給は1,330円、フルタイムのパート職員というわけだ。私には、法人の経営に貢献してきたという自負があるが、その私に与えられたポジションが、フルタイムパートというわけだ。別に敬意を表してほしいというわけでもないが、こういうやり方で高いモチベーションを持って働けると考えているのだろうか?おそらく何も考えてはいない。そういうことがわからないのだ。残念感が漂うが致し方ない。

そういえば、正規職員と非正規職員の間の不合理な待遇差が禁止された。そのルールからするとおかしくないかという出来事に遭遇した。先日、年次有給休暇を時間単位で請求したのだが、「パート職員には時間単位年休は付与されない」という回答だった。フルタイムで働いているので、当然、常勤職員と同等に時間単位年休が取得できると思っていたのだが、駄目だとのこと。労働条件通知書を見直してみたが、時間単位年休は確かに「なし」とされている。これって、不合理な待遇差に該当するんじゃないかなぁと思いながら、まあ良いか、もともと時間単位年休って、年休の取得率をなんとかあげようということで始まったものなわけで、1日単位で取得すればいいだけの話だからね・・・、なになに、半日単位では取れるのか、なるほど。

あらためて労働条件通知書を眺めて、従事する業務の内容に「成年後見事業」と書かれていることに気づく。関連法人を立ち上げて、「成年後見事業」を始めよ!ということらしい。理事会で議論されたことを聞いていたら、2024年度中に成年後見事業をスタートするという方針で、業務で別法人の設立を担当できるということらしい。なかなか太っ腹だとも言えるかな。給料出してもらって別法人の準備ができるんだから言うことはない。ただし、新法人設立について、法人からは金銭的な応援はないらしいので、立ち上げにかかる費用は私が捻出しなければならないということのようだ。それもまた良い。

ちょっと問題なのは、私が、もしかしたらかみさんの実家のある京都に引っ越すかもしれないってことだ。その場合、せっかく設立した法人を残していかなければならないとすると、ちょっと残念なんだけど、持っていくっていうものまた、それはそれで難しい問題も含んでいるので、持っていくわけにもいかないか・・・、まっ、良いか、いずれにしても与えられた「仕事」として、きっちりやってから京都に行こう。そしてまた、私のことだから、京都で、新しい法人を立ち上げることになるのだろうな。

労働審判

 私の後輩が「労働審判の申立を行う」という相談にやってきた。彼女は、出産後育児休業を取得し、職場に復帰しようとしたとき、元の職場に復職できなかったというのだ。彼女は、管理栄養士で、特別養護老人ホームで働いていた。特別養護老人ホームは、高齢者の生活の場であり、当然のことながら食事の提供を含んでいる。言うまでもないことだが、高齢者にとっての食事はとても大切で、健康と直接結びついているため、とても働きがいのある仕事だ。

管理栄養士が育児休業に入ったら代替要員の配置が必要で、この特養でも派遣会社から管理栄養士を派遣してもらっている。彼女が職場に復帰することになれば、当然のことながら派遣契約を終了させて、彼女を原職復帰させるというのが正しい対応だ。

育児休業は、雇用契約を変更することなく休業する権利であり、職場復帰後も職務や勤務場所にも変更はないのが原則になる。にもかかわらずその特養の施設長は、彼女を別の施設に異動させたのだ。長く休んでいたので研修が必要だからという理由で、障がい者福祉施設に異動させられ、仕事は管理栄養士とは全く別の介護補助者として働かされることになった。百歩譲って研修が必要だったとして、管理栄養士として復帰させる前提ならば、高齢者福祉施設でこそ研修を受けさせるべきで、障がい者福祉施設で、しかも無資格でも働ける介護補助者として働かせるなどありえないことだ。

それでも彼女は元の仕事への復帰を期待して働き続けたが、一向に原職復帰の話が出ず、ついに退職することを決意したのだ。しかし、考えてみれば、本来原職復帰が当たり前の介護休業あけに、本来の管理栄養士の仕事とは似ても似つかぬ、無資格扱いするかのような仕事をさせたことには「退職に追い込む」という悪質な意図が透けて見える。

彼女の立派なところは、その施設長の悪質な意図に泣き寝入りすることなく、労働審判を申し立てる決意をしたことだ。「普通に管理栄養士として働き続けたかっただけなんです。」と彼女はいう。それを認めてくれないのはおかしいと言っているのに、「法人も施設長の肩を持って、私の願いを聞いてくれないんです。」とも・・・。そして、退職を決意したのだが、その不条理なできごとに敢然と立ち上がり、自分で申立書を作成し、労働審判を申し立てることにしたのだ。

実は、その施設長は、彼女の前にもパワハラで女性職員一人を退職に追い込んだことがあり、その退職した彼女の次の働き先を私が紹介して、今は、元気に働いているのだが、事実として、パワハラのような卑怯なやり方で職員を意のままにすることができるかのような勘違い男だということを説明するのに、申立書に私の名前を書いていいかと、わざわざ確認しに来てくれたので、労働審判に持ち込む事案について私の知るところになったというわけだ。

もともと当該施設長は私の下で働いていたこともあり、私のよく知る人物でもあるのだが、責任のとり方というものを全くわかっていないやつで、私の下にいるときに、私にしょっちゅう注意され、自分で自分の行動を改めないことを棚に上げて、私に「それパワハラじゃないですか。」と言ってきたことがある。そのときに、「こいつは駄目だな。」と見切りをつけて、法人内での居場所がなくなってしまった彼を、私の知り合いの法人に採用を頼んだという経緯がある。

書かなくても良いことだが、採用試験で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と国民の生存権を規定しているこの法律は何かと問われて、「生活保護法」と書いたのだ。「『最低限度の生活を営む権利』とあったんで、生活保護法かなと・・・。」と、試験後私に聞いてきたので、「君は、社会福祉学部で何を学んできたのだ!出題されたのは憲法25条じゃないか。社会福祉学部の卒業生で憲法25条を知らないとは・・・、しかも、卒後30年近く福祉の現場で働いてきたのではないのか!」と言ってやって、すぐに紹介した法人の採用を担当した業務執行理事に電話して、憲法25条がわからないようなやつを紹介した非礼を詫たのだった。それでも私の紹介だからということで採用してくれて、さらに、運良く施設長のポストが空いたものだから分不相応に施設長におさまってしまったのだ。

パワハラで辞めた彼女も、労働審判を申し立てた彼女も、廻り廻ってその原因は私にあるのではないか。とても他人事には思えず、何かあればいつでも力になるよと彼女に伝えて、「権利は闘うものの手の中にある」というような話をして別れたのだった。

2023年7月31日月曜日

マイナンバーカード

  マイナンバーカードの不祥事が止まらない。

 マイナンバーカードの導入の目的について、国がどう説明しているかを見る。

・国民の利便性向上
これまで、市区町村役場、税務署、社会保険事務所など複数の機関を回って書類を入手し、提出するということがありました。マイナンバー制度の導入後は、社会保障・税関系の申請時に、課税証明書などの添付書類が削減されるなど、面倒な手続が簡単になります。

・行政の効率化
マイナンバー制度の導入後は、国や地方公共団体等での手続で、個人番号の提示、申請書への記載などが求められます。国や地方公共団体の間で情報連携が始まると、これまで相当な時間がかかっていた情報の照合、転記等に要する時間・労力が大幅に削減され、手続が正確でスムーズになります。

・公正・公平な社会の実現
国民の所得状況等が把握しやすくなり、税や社会保障の負担を不当に免れることや不正受給の防止、さらに本当に困っている方へのきめ細かな支援が可能になります。

出典:マイナンバー制度とマイナンバーカード – 総務省

 もっともらしいことが書かれているが、字面だけではない本当の理由はどこにあるのか。おそらく、3つめの「国民の所得状況等が把握しやすくなり、税や社会保障の負担を不当に免れることや不正受給の防止」に活用するというところに本音があるのだろう。なぜなら、今後5年間で43兆円の軍事費を使う計画が具体化されようとしている中で、その財源をどうするのかが議論されているわけだが、日本の国民負担率の推移をみると1970(昭和45)年24.3%、1990(平成2)年38.4%、2020(令和2)年47.9%と上昇してきており、すでに国民所得の半分近くが租税負担と社会保障負担で持っていかれており、簡単に増税するということにはならない事情があるからだ。だから、軍事費をどう調達するかを考えるとき、国民の所得状況を正確に把握し、税負担を求める可能性があるところからは、さらに税金を取ってやろうと考えているとみるのが普通だろう。

 もう一つ、見ておきたい数字がある。財務省が公表している1979年度以降の税収の推移の税収の3つの柱(法人税、源泉所得税、消費税)の状況。この3つの税収で税収全体の約8割を占めているのだが、公表されている直近の数字(2021年)で見ると、3つの中の一番多いのが消費税で21.8兆円、以下、所得税21.3兆円、法人税が13.6兆円と続く。消費税が導入された1989(平成元)年の数字を見ると所得税は21.4兆円、法人税18.9兆円、消費税3.2兆円となっており、消費税収は681.3%に増え、所得税はほぼ横ばい、法人税は72.0%に減少している。消費税が法人税を下げるために使われてきたことが一目瞭然なのだ。

 企業収益の推移をみると経常利益は右肩上がりで増えているのに法人税は減り、その分消費税収が大幅に増えているわけで、国民の負担が一貫して強化されてきたことがわかる。

 防衛費の財源をどこに求めるか、普通に考えれば、法人税を強化するということになるわけだが、そうせずに消費税の引き上げとマイナンバーカードで国民の所得や資産の状況を把握し、とれるところからはさらに税負担を強化しようというのがこのマイナンバーカードの本音ではないのか。

 だから、次々にトラブルが見つかってもやめようとしない。丁寧に説明して国民の理解を得るという発言を繰り返している。丁寧に説明するというだけでは、丁寧に説明したことにはならないのだが、最近の内閣の発言を聞いていると、「丁寧に説明する」と発言すればそれで丁寧に説明したことになっているとしか思えない。それをマスコミが許しているというというところに問題があるわけだが、ジャーナリズムの問題はまた別の機会に書いてみたい。

 さて、マイナンバーカードの問題に戻ろう。「公金受け取り口座に本人以外の口座が登録されている」、「マイナ保険証に別人の情報が登録されている」、「コンビニで別人の住民票や抹消済みの住民票が発行される」、「マイナポータルで別人の年金記録が閲覧できる」、「同姓同名の別人にマイナンバーカードが交付される」・・・等々の具体的な問題が多数指摘されている。マイナンバーは特定個人情報に位置付けられていて、「個人のプライバシー等の権利利益に与える影響を予測した上で特定個人情報の漏洩その他の事態を発生させるリスクを分析し、そのようなリスクを軽減するための適切な措置を講ずる」ことが宣言されている。そのマイナンバーで先に書いたようなトラブルが続出しているのであって、入口のところで躓いているわけだ。

 このような重要な個人情報を扱うシステムは、ちゃんと動くことが確認されてから運用を開始するべきであるにもかかわらず、「発生してはならない問題が発生している」という決定的な誤りを犯してしまっている。もちろん動かして、バグを見つけて、修正していくという手法でシステムを開発する手法もあるが、個人の利益につながるシステムの開発に、この手法を採用してはならないのは言うまでもない。

 政府は、決定的な誤りを犯しているシステムを動かすことに固執し、そこに紐づけする健康保険証は来年秋には廃止すると言い続けているわけだが、誤りの上に誤りを重ねようとしているようにしか見えない。

 自らの行動を振り返り、誤りは正すという立場に立てない人に、日本という国のかじ取りを任せておくわけにはいかない。私は、そう思う。

昔の話だけど・・・

 ずいぶん前の話、そう、もう30年近い前のこと。当時は、病院・診療所は医薬分業の波に巻き込まれ、次々に、病院から薬局が外に出されるといことが進んでいた。私が勤めている病院でも薬局法人を作って医薬分業をしようということになっていた。私は、医薬分業以前に、製薬メーカーや医薬品卸と癒着している薬局それ自体が問題だと思っていた。

 当時の薬局長から直接聞いた話だが、「製薬メーカーから金を出させて、薬局のスタッフを一泊二日の京都旅行に連れて行った。」という。薬局のスタッフは6、7人いたと思うが、その新幹線代、タクシー代、宿代、土産代までメーカー(問屋だったかもしれないが・・・)に「出させてやったんや~」が自慢話で、二度目に聞いた時に、「でも、それって病院に対する背任になりませんか。」と私が指摘して以降、私には自慢話をすることはなくなった。

 他にもある。薬局長の薬学部時代の先輩が某医薬品卸の社長をしていて、そこの医薬品卸とは特別の関係で、毎月、鳥取まで魚釣りに行っていた。卸の営業担当が早朝迎えに来て、薬局長ともう一人若い釣り好きの薬剤師が釣行に参加していたと思う。出勤が早かった私は、時々、出発するところを目撃している。そして、船を仕立てて日本海で釣りを楽しみ、夕方に帰ってくる。その費用は、「卸持ち」(若い薬剤師に聞いた)だった。

 また、薬局長が、医薬分業で薬局法人を作って社長となって、病院、診療所に門前薬局を作っていったのだが、医薬品卸が、薬局法人あてに開店祝いご祝儀袋にいれて持ってきたとき、事務が受けっとったのは薬局法人の会計に入ったが、薬局長(社長)が受け取ったご祝儀袋は社長のポケットに入ったらしい。一度、何店舗目かの開店のときに、某卸が持ってきた祝儀袋を社長がポケットに突っ込むところを見たことがあった。その時は、医薬品卸会社から開店祝いのご祝儀受け取っていいのかな・・・くらいのことは考えたが、個人のポケットに入るとは思っていなかった。後から、経理の事務から「ご祝儀を持ってきた卸と、持ってこなかった卸があるんですよね。」という話を聞いて、その事実に気が付いたのだった。

 その後、医薬品流通に携わるようになったものだから、こういう、医療機関と卸やメーカーとの癒着の実際を見聞していたことは大変参考になった。この社長が懇意にしていた医薬品卸は主要卸と談合を繰り返し、医療機関への医薬品の卸価格をコントロールしていた。岡山に後から進出してきた卸などは、談合に加えてもらえず、岡山で市場を確保することに苦労していた。そこで、後発卸に「見積もりで最安値を入れたところから必ず買うからがんばって価格を出してほしい」と話をつけて、見積もり合わせを行った。結果は、もちろんその後発卸が、うちの病院グループの医薬品市場で、一番大きなシェアを手に入れることになったのはいうまでもない。

 まあ、かくいう私も、聖人君子ではないので、それなりに色々なことがあったが、私は、私腹を肥やしたことだけはない。私のことを「私腹を肥やしてきた人物」と見ている人がいることは知っているが、そう見ている人に言い訳をしたこともない。私のことをよく見てくれれば、おのずとわかることなのだと思っているからで、それでも誤解されているとすればそれも含めて私の人としてのできが悪いということであって、言い訳するようなことじゃないからね。

2023年7月7日金曜日

世界の平均気温、過去最高

  「米国立環境予測センター(NCEP)のデータによると、7月3日の世界の平均気温は摂氏17.01度と2016年8月に記録した16.92度を上回り、観測史上最も暑い日となった。」とロイターが報じた。世界中が熱波に見舞われており、米南部ではここ数週間、猛暑が続いているほか、中国でも35度を超える熱波が継続している。北米では50度近い気温が観測された。現在冬季の南極大陸でも異常な高温を記録し、ウクライナの南極観測基地であるベルナツキー基地では、最近、7月の最高気温が8.7度に更新された。

 これは、地球上に生存する人を含むすべての生態系にとって、死刑宣告に等しい。地球上のすべての国とそこに住む人たちが、力を合わせて何らかの手立てを講じないと、人類の未来はない・・・。

 戦争をしている場合ではないし、化石燃料を燃やし続けている場合でも、ましては、自国の、自社の目先の利益を優先し、温暖化の課題に対する取り組みを先送りしている場合でもないのだ。

 もちろん課題は温暖化対策だけにとどまらない。日本でいえば、東京電力がシビアアクシデントで壊れた原子炉建屋内の核燃料デブリが爆発しないよう冷やし続けるために使っている冷却水が、放射性物質をALPSで除去したあとにタンクに貯蔵されているが、そのタンクがいっぱいになるということで、根本対策も取られないまま放射性核種を含む汚染水を海洋投棄する計画が進行している。

 海は世界につながっている。日本で海に放出された放射性物質を含む汚染水は、海の大きな循環の中で、世界中に広がり、海洋資源を汚染する。それはそのまま食物連鎖の頂点にいる人に戻ってくることになる。海は広い、だからちょっとくらい海に捨てても薄まってしまうので問題ない・・・そんな安易な考えはやめたほうがいい。東京電力の利益を削る汚染水の保管タンクの増設や根本対策の一つとして提案されている汚染水のモルタル固化、そもそも汚染水が出るのを抑える広域遮水壁などまだやれることがあるのに、もっとも安上がりな海洋投棄という愚かな選択を東京電力と現政権が行おうとしている。資本主義の愚かさが極端な形で表に出た。

 しかしそうした間違った選択の先にあるのは、人類滅亡でしかない。世界の平均気温が過去最高を更新・・・おそらくこれから何度も最高記録を更新し続けるのであろう。それを手をこまねいてみているだけでは、あらゆる生態系の生存できない世界の到来を早めるだけだ。

 「自分には関係ない」「誰かがやってくれる」「何もしない自由もある」そんな愚かな考えでは、人生を全うしないうちに、生存そのものが否定される時代がやってくるかもしれないのだ。なぜそんな風に自分の問題として考えることができないのだろうか。

 一つの解は、新自由主義という愚かな経済政策の中で、国民一人ひとりが分断され、みんな自分のことで精いっぱいという社会が作られたことによる。経済界に支援される政党や政治家は、大企業の利益を守ることを優先した政策を実行している。それを如実に示すデータがある。昨年度の税収を見ると、法人税14兆9398億円、消費税23兆793億円、所得税22兆5217億円となっており、大企業がこれだけ大きな利益を上げ続けているのに、税収の主要な3本柱の中で法人税が一番少ない。そしてトップに躍り出たのが消費税だ。逆累進性の高い消費税が税収の主役に躍り出た。それはつまり、貧しい国民からの収奪が進んだことを意味している。新自由主義による競争社会と貧困化の広がりが不寛容と自分のことで精いっぱいの社会を生んだ。

 私が大学生だった1970年代後半、革新自治体潰し、労働組合運動潰しが徹底的に行われていた。東京、京都、大阪、沖縄、横浜、名古屋・・・革新自治体の転覆が企てられ、それは一つひとつ具体的に進んでいった。労働運動では、総評が解体され、闘わない連合が大きな勢力をもった。私が社会人となったころ、かろうじて4割近くあった労働組合の組織率は、闘わない連合のおかげでどんどん低下していき、今や、正規雇用の8%程度にしか過ぎない。

 かつて労働組合は民主主義の学校と呼ばれた。様々な主義主張をもった個性豊かな人たちが侃々諤々と議論し、一つの方針を決めていく過程が、まさに民主主義そのもだというわけだ。そうして組合で民主主義を学んだ労働者は、社会生活の場でも民主的な方法で地域共同体に参加した。それが地域の活動を活発にし、地域を変えようというムーブメントにつながり、革新自治体を誕生させた原動力ともなった。だから労働組合を潰し、地域での活躍の場を奪おうとした。そのために利用されたのが新自由主義だ。労働者は「勝ち組」「負け組」というわかりやすい二グループに分類され、一人ひとりが「勝ち組」をめざす競争社会に巻き込まれた結果、労働組合の組織率は下がり、労働者一人ひとりが物言わぬ経済奴隷の地位を押し付けられている。今はどうか知らないが、そのころ学習塾でも隣で学ぶ一人ひとりがライバルで、隣の彼が合格したら自分が不合格になるのだ、合格と不合格とどちらを選らぶのだと、競争に駆り立てられていった。一緒に学ぶ学友ではなく、むしろ敵とみなされ、学歴社会で生き残り勝ち組となるためには、隣席で学ぶ彼に競り勝つのだと教えられ、ともに切磋琢磨して学問研究に励むのではなく、相手を蹴落とす競争に駆り立てられていったのだ。

 団結して闘うことを忘れた者から権利は次々にはぎとられ、いつの間にやら無権利状態にさらされても、そこから抜け出すために闘うことに思いを巡らせることもできず、自身の置かれた状況の中で、ささやかな刹那的な喜びを追い求めることしかできない。まさに経済界の思うままの労働者がそこにある。低賃金で文句も言わずに働き、僅かな小銭をギャンブルにつぎ込んだり、資本主義の美名に踊らされた消費社会で物を買い続ける。その物を買う行為に消費税が課せられるようになり、3%が5%になり今や10%に増やされた。自分たちが生産したものを買うのに税金を支払わされる、そのことに疑問も抱かない。

 そんな世の中を作っておいて、「我がこと、丸ごと」の地域共生社会なんてことを国は言い始めた。国民を分断する政策が功を奏し、一人ひとりを孤立させたのは良いが、高齢化が進んで地域で助け合えばすむことがそうはいかなくなった。隣の人の苦労は、あくまで隣人の苦労であって、そこにちょっと手を差し伸べて支えてやろうというような発想ができなくなった。だからゴミ出し一つのために、わざわざケアプランを作り、ヘルパーさんを入れてごみ捨ての日にごみを出す。そんな介護保険制度ではこれからの超高齢社会を乗り切れない。だからあわてて地域共生社会なんてことを言い始めたのだが、根本的な国民の団結や連帯を放っておいて、地域共生社会なんて作れるわけがない。バラバラにした張本人が、バラバラにしてしまったことは棚に上げて、まとまれって言っているわけで、そんな号令一つでまとまれるわけがないのだ。

 いずれにしても課題が山積している。何とかしないといけないと思っている人が集まって、どうしていくのか話し合い、やれるところから手を付けていくしかない。やれることに限界はあるにしても、諦めるわけにはいかないのだから。

 何だか七夕の日に相応しくない話になってしまったなぁ・・・


2023年7月2日日曜日

手打ちうどん みのり

  岡山市中区桑野に「手打ちうどんみのり」がある。みのり農園さんがやっている手打ちうどんの店で、土曜日、日曜日の週二日のみ営業しているお店で、なかなか行きにくいうどん屋さんとして有名(?)なお店である。開店は11時で、13時30分閉店、日曜日は閉店時間が14時と30分遅いが、週にわずか5時間30分しか営業していないし、30食出たら売り切れ閉店となるので、開店時間を待って常連客が並んでいる。

 先週の土曜日、福祉有償運送の仕事で利用者さんを送った帰り、ちょっと回り道してお店の前を通ったら「営業中」の看板が出ていたので、いったん通り過ぎたのだがUターンして戻り、うどんをいただくことにした。

 メニューは「かけうどん」「ざるうどん」各800円、天婦羅が400円といたってシンプルだ。

 カウンターの粉かぶり席が空いていたのでそこに腰をおろし、暖かいうどんに野菜天婦羅をつけてもらうことにした。うどんの上に野菜の天婦羅がのって出てくると思っていたら、かけうどんとは別に大きな皿に野菜天婦羅11品が盛り付けられて出てきた。

 ズッキーニ、スティックセニョール、ナス、ニンジン、ジャガイモ、オクラ、シシトウ、ピーマン、タマネギ、インゲン、キュウリ、まず、天婦羅の種類の多さに驚いた。それにキュウリの天婦羅?とはてなマークがついたけど、おもしろ食感で意外にいけた。

 うどんにのせて食べても良いし、カウンターに塩が用意されているので、塩を振って食べてもいい。天婦羅の種類が多いので、とても全部をうどんにのせるわけにはいかないので、ナスとオクラ、ジャガイモをうどんにのせて野菜天婦羅うどんにして、他は、塩でいただいた。サクサクの天婦羅で、とてもおいしい天婦羅だった。ちょっとびっくりなのは、後から「何がいる?」とおかあさんが天婦羅をもってやってきて、追加の天婦羅をお皿にのせていくのだ。結局、15品天婦羅をいただいた。

 うどんは、コシのある歯触りの良いうどんで、そう、小麦の香りが良かった。出汁を取ったあとのコンプが細く刻まれてうどんの上にのせてあって、「昆布欲しかったら追加でのせてあげるからね~」とおかあさんから声がかかる。

 出汁は、そのコンプの旨味にカツオにイリコ、あとなんだろう・・・、おいしい出汁ですべて飲み干した。

 すっかり気に入って、翌週再訪し、今度は、野菜天婦羅ざるうどんをいただいた。ざるの上への盛り付けがちょっと雑な感じだが、かけうどんと違って、コシの強さがよくわかる。かけにはかけの、ざるにはざるのうまさがあって、大変気にいった。1200円はサラリーマンにとってちょっと高い昼餉となるが、山盛りのとても美味しい野菜天婦羅でお腹が満たされ、口福感にひたれるとなれば、週に1回くらい贅沢したくなる。そんなうどん屋だ。
 ちなみに、半玉追加はプラス150円、1玉追加はプラス300円でうどんの量を増やすことができる。

2023年6月25日日曜日

蝸牛

 毎日、スズさんと散歩している話は、前回書いた。百間川の堤防道路の町側の土手に、一本の枇杷の木が生えており、果実が食べ頃を迎えている。毎日ここを通るわけではないが、スズさんがこのルートを選んだ日は、枇杷の実を一つだけ採らせていだいて、そこで瑞々しい枇杷の実を味わっている。かみさんは他所の土地の枇杷を食べていいのか、と眉をひそめるのだが、公有地(?)に生えた枇杷の実の所有権は誰にあるのか?地域の住民みんなのものではないのか?誰にも採られることなく落果し、駄目になる実もたくさんあるのに、歩道に張り出した枝の小さな果実を、せいぜいワンシーズンに4つほどいただくことが罪に問われる気がしない。

 今日は、先客がいた。枇杷の木の葉から隣の葉に移動しようと目いっぱい伸びをしている蝸牛だ。蝸牛は移動能力はけっして高いとは言えない。山脈を乗り越えたり、乾燥地を渡るなんてことはできそうもないから、地域ごとに種分化が起こりやすい。したがって殻の模様は地域によってかなり異なり、筋の色が濃いのや殻に表れる模様や全体的な色合いなど、かなり違っている。小学生のころ、学校の先生から右巻きと左巻きの蝸牛がいるという話を聞いて、村中の蝸牛を捕って歩いたことがあって、その時に、同じ蝸牛でも見た目はかなり異なることを発見した。そして、圧倒的に右巻きの蝸牛が多く、左巻きの蝸牛はごく稀にしかいなかった。

 私は、蝸牛が好きだ。けっして早くはないが、滑らかにすべるようにゆっくりと進んでいく姿は見ていて飽きない。葉から葉へ移ろうとしている姿に見とれていたら、スズさんに引っ張られて我に返った。慌てて一枚だけ写真を撮って、「ごめん、ごめん。つい、蝸牛にみとれちゃった」となぜかスズさんに言い訳して、散歩に戻ったのだった。