2024年5月6日月曜日

労働審判

 私の後輩が「労働審判の申立を行う」という相談にやってきた。彼女は、出産後育児休業を取得し、職場に復帰しようとしたとき、元の職場に復職できなかったというのだ。彼女は、管理栄養士で、特別養護老人ホームで働いていた。特別養護老人ホームは、高齢者の生活の場であり、当然のことながら食事の提供を含んでいる。言うまでもないことだが、高齢者にとっての食事はとても大切で、健康と直接結びついているため、とても働きがいのある仕事だ。

管理栄養士が育児休業に入ったら代替要員の配置が必要で、この特養でも派遣会社から管理栄養士を派遣してもらっている。彼女が職場に復帰することになれば、当然のことながら派遣契約を終了させて、彼女を原職復帰させるというのが正しい対応だ。

育児休業は、雇用契約を変更することなく休業する権利であり、職場復帰後も職務や勤務場所にも変更はないのが原則になる。にもかかわらずその特養の施設長は、彼女を別の施設に異動させたのだ。長く休んでいたので研修が必要だからという理由で、障がい者福祉施設に異動させられ、仕事は管理栄養士とは全く別の介護補助者として働かされることになった。百歩譲って研修が必要だったとして、管理栄養士として復帰させる前提ならば、高齢者福祉施設でこそ研修を受けさせるべきで、障がい者福祉施設で、しかも無資格でも働ける介護補助者として働かせるなどありえないことだ。

それでも彼女は元の仕事への復帰を期待して働き続けたが、一向に原職復帰の話が出ず、ついに退職することを決意したのだ。しかし、考えてみれば、本来原職復帰が当たり前の介護休業あけに、本来の管理栄養士の仕事とは似ても似つかぬ、無資格扱いするかのような仕事をさせたことには「退職に追い込む」という悪質な意図が透けて見える。

彼女の立派なところは、その施設長の悪質な意図に泣き寝入りすることなく、労働審判を申し立てる決意をしたことだ。「普通に管理栄養士として働き続けたかっただけなんです。」と彼女はいう。それを認めてくれないのはおかしいと言っているのに、「法人も施設長の肩を持って、私の願いを聞いてくれないんです。」とも・・・。そして、退職を決意したのだが、その不条理なできごとに敢然と立ち上がり、自分で申立書を作成し、労働審判を申し立てることにしたのだ。

実は、その施設長は、彼女の前にもパワハラで女性職員一人を退職に追い込んだことがあり、その退職した彼女の次の働き先を私が紹介して、今は、元気に働いているのだが、事実として、パワハラのような卑怯なやり方で職員を意のままにすることができるかのような勘違い男だということを説明するのに、申立書に私の名前を書いていいかと、わざわざ確認しに来てくれたので、労働審判に持ち込む事案について私の知るところになったというわけだ。

もともと当該施設長は私の下で働いていたこともあり、私のよく知る人物でもあるのだが、責任のとり方というものを全くわかっていないやつで、私の下にいるときに、私にしょっちゅう注意され、自分で自分の行動を改めないことを棚に上げて、私に「それパワハラじゃないですか。」と言ってきたことがある。そのときに、「こいつは駄目だな。」と見切りをつけて、法人内での居場所がなくなってしまった彼を、私の知り合いの法人に採用を頼んだという経緯がある。

書かなくても良いことだが、採用試験で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と国民の生存権を規定しているこの法律は何かと問われて、「生活保護法」と書いたのだ。「『最低限度の生活を営む権利』とあったんで、生活保護法かなと・・・。」と、試験後私に聞いてきたので、「君は、社会福祉学部で何を学んできたのだ!出題されたのは憲法25条じゃないか。社会福祉学部の卒業生で憲法25条を知らないとは・・・、しかも、卒後30年近く福祉の現場で働いてきたのではないのか!」と言ってやって、すぐに紹介した法人の採用を担当した業務執行理事に電話して、憲法25条がわからないようなやつを紹介した非礼を詫たのだった。それでも私の紹介だからということで採用してくれて、さらに、運良く施設長のポストが空いたものだから分不相応に施設長におさまってしまったのだ。

パワハラで辞めた彼女も、労働審判を申し立てた彼女も、廻り廻ってその原因は私にあるのではないか。とても他人事には思えず、何かあればいつでも力になるよと彼女に伝えて、「権利は闘うものの手の中にある」というような話をして別れたのだった。

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