ずいぶん前の話、そう、もう30年近い前のこと。当時は、病院・診療所は医薬分業の波に巻き込まれ、次々に、病院から薬局が外に出されるといことが進んでいた。私が勤めている病院でも薬局法人を作って医薬分業をしようということになっていた。私は、医薬分業以前に、製薬メーカーや医薬品卸と癒着している薬局それ自体が問題だと思っていた。
当時の薬局長から直接聞いた話だが、「製薬メーカーから金を出させて、薬局のスタッフを一泊二日の京都旅行に連れて行った。」という。薬局のスタッフは6、7人いたと思うが、その新幹線代、タクシー代、宿代、土産代までメーカー(問屋だったかもしれないが・・・)に「出させてやったんや~」が自慢話で、二度目に聞いた時に、「でも、それって病院に対する背任になりませんか。」と私が指摘して以降、私には自慢話をすることはなくなった。
他にもある。薬局長の薬学部時代の先輩が某医薬品卸の社長をしていて、そこの医薬品卸とは特別の関係で、毎月、鳥取まで魚釣りに行っていた。卸の営業担当が早朝迎えに来て、薬局長ともう一人若い釣り好きの薬剤師が釣行に参加していたと思う。出勤が早かった私は、時々、出発するところを目撃している。そして、船を仕立てて日本海で釣りを楽しみ、夕方に帰ってくる。その費用は、「卸持ち」(若い薬剤師に聞いた)だった。
また、薬局長が、医薬分業で薬局法人を作って社長となって、病院、診療所に門前薬局を作っていったのだが、医薬品卸が、薬局法人あてに開店祝いご祝儀袋にいれて持ってきたとき、事務が受けっとったのは薬局法人の会計に入ったが、薬局長(社長)が受け取ったご祝儀袋は社長のポケットに入ったらしい。一度、何店舗目かの開店のときに、某卸が持ってきた祝儀袋を社長がポケットに突っ込むところを見たことがあった。その時は、医薬品卸会社から開店祝いのご祝儀受け取っていいのかな・・・くらいのことは考えたが、個人のポケットに入るとは思っていなかった。後から、経理の事務から「ご祝儀を持ってきた卸と、持ってこなかった卸があるんですよね。」という話を聞いて、その事実に気が付いたのだった。
その後、医薬品流通に携わるようになったものだから、こういう、医療機関と卸やメーカーとの癒着の実際を見聞していたことは大変参考になった。この社長が懇意にしていた医薬品卸は主要卸と談合を繰り返し、医療機関への医薬品の卸価格をコントロールしていた。岡山に後から進出してきた卸などは、談合に加えてもらえず、岡山で市場を確保することに苦労していた。そこで、後発卸に「見積もりで最安値を入れたところから必ず買うからがんばって価格を出してほしい」と話をつけて、見積もり合わせを行った。結果は、もちろんその後発卸が、うちの病院グループの医薬品市場で、一番大きなシェアを手に入れることになったのはいうまでもない。
まあ、かくいう私も、聖人君子ではないので、それなりに色々なことがあったが、私は、私腹を肥やしたことだけはない。私のことを「私腹を肥やしてきた人物」と見ている人がいることは知っているが、そう見ている人に言い訳をしたこともない。私のことをよく見てくれれば、おのずとわかることなのだと思っているからで、それでも誤解されているとすればそれも含めて私の人としてのできが悪いということであって、言い訳するようなことじゃないからね。
0 件のコメント:
コメントを投稿