瀬戸内海を臨む玉野市は、坂の町でもあります。写真の真ん中辺りに、23日にリニューアル・オープンするデイサービス虹の家がみえます。
私が社会に求めるのは自由。人は生まれながらにして自由を享受する権利がある。もちろん、その自由は誰かを抑圧することで得られるものであってはならない。そんな世の中になれば良いのになぁと思いながら、青い空を漂泊する白い雲に憧れている私なのです。
2017年1月16日月曜日
すこしお弁当
今日は、岡山医療生協の新春のつどいに参加。楽しみの一つがお弁当ですが、写真のお弁当は、みよしの特製弁当。何が特製かというと、『すこしお弁当』なんですよね。全体の塩分量が2g以下ということでした。でもね、味が薄くて食べられないなんてことはないんですよ。むしろ、とても美味しいお弁当でした。
2017年1月9日月曜日
初詣
昨日、厄除け総本山由加神社本宮に、初詣に行ってきた。古い御守りをお返しして、新しい御守りも買ってきた。由加神社は駐車場から神社までの距離が意外にあって、雨降りで足下が悪くて大変だったけど、とても賑わっておりちょっと驚いた。
2017年1月8日日曜日
2017年1月7日土曜日
古い看板
古い看板シリーズNo.1 強力殺虫剤ハイアース
子どもの頃よく見かけましたが、最近ではあまり見なくなりました。水原弘さんが殺虫剤を持っているおなじみの看板です。ちなみに小豆島の映画村で撮影しています。
抱負
新しい年を迎えた。大学を卒業して以来、ずっと医療生協畑で仕事をしてきたが、何だか医療生協の限界が見えてしまって、ここでは自分のやりたいことができないという思いが強くなった。
1980年のレイドロー報告は「今日、協同組合人の間に、理念や思想を避け、その代わりに『事業を優先する』という強い傾向が存在する。しかし、これは間違った態度である。」と書いた。今、協同組合は理念や思想を掲げてはいるが、その理念は絵に書いた餅にすぎず、国際標準という名の亡霊によって利益を生み出すことを優先する経営主義にとらわれた運営に陥っているようにみえる。
例えば「安心して住み続けられるまちづくり」に取組むという方針を掲げているが、具体的に、ホームレスの人が住むところを求めて協同組合の扉をノックしてきたときに、私たちは扉を開けることができるのだろうかと自問してみればよい。「最後のよりどころ」になると言いながら、ホームレスの人のために扉を開け、中に招き入れることはできないのが実態だ。「一人は万人のために、万人は一人のために」は遠い目標で、目の前の困難を抱えた人には適用されない。
同時に、レイドロー報告はこうも言っている。「まったく企業的であり、社会的目的をもたない協同組合は、他の協同組合よりも長く存続するかも知れないが、徐々に弱体化し、長期的には崩壊するであろう。一方、社会的使命には大きな力点をおくが、健全な事業慣行を軽視する協同組合はおそらくはすぐに解体するだろう」と。
かつて社会的使命に力点をおいて、現代資本主義の中で真っ当な医療を行って黒字が出るはずがない。赤字でも事業体が存続できればそれで良いといった乱暴な事業運営を行っていた時期があった。バブルが崩壊し、事業経営に国際標準という評価基準が持ち込まれ、ガバナンスや企業コンプライアンスといったカタカナが事業報告書に目立つようになって、今度は協同組合の企業化が進んだ。
協同組合は、もう一度進むべき道を見定める作業を行わなければならない時期に来ているのだ。経営主義に陥ることなく、しかも、事業体としての継続性はしっかり担保したうえで、協同組合に求められている未来の創造主としての役割を果たすことに自覚的に取組める協同組合にならなけらばならない。
私には課題が見えているが、舵を握らせてもらっているわけではなく、どちらかといえば舵から遠い場所におかれており、そのことが私の協同組合の中での無力感につながっている。ならば協同組合の職員という立場を離れて、別の立ち位置で、やらなければならないこと、やってみたいことにチャレンジしてみようというのが私の今年の決意である。
1980年のレイドロー報告は「今日、協同組合人の間に、理念や思想を避け、その代わりに『事業を優先する』という強い傾向が存在する。しかし、これは間違った態度である。」と書いた。今、協同組合は理念や思想を掲げてはいるが、その理念は絵に書いた餅にすぎず、国際標準という名の亡霊によって利益を生み出すことを優先する経営主義にとらわれた運営に陥っているようにみえる。
例えば「安心して住み続けられるまちづくり」に取組むという方針を掲げているが、具体的に、ホームレスの人が住むところを求めて協同組合の扉をノックしてきたときに、私たちは扉を開けることができるのだろうかと自問してみればよい。「最後のよりどころ」になると言いながら、ホームレスの人のために扉を開け、中に招き入れることはできないのが実態だ。「一人は万人のために、万人は一人のために」は遠い目標で、目の前の困難を抱えた人には適用されない。
同時に、レイドロー報告はこうも言っている。「まったく企業的であり、社会的目的をもたない協同組合は、他の協同組合よりも長く存続するかも知れないが、徐々に弱体化し、長期的には崩壊するであろう。一方、社会的使命には大きな力点をおくが、健全な事業慣行を軽視する協同組合はおそらくはすぐに解体するだろう」と。
かつて社会的使命に力点をおいて、現代資本主義の中で真っ当な医療を行って黒字が出るはずがない。赤字でも事業体が存続できればそれで良いといった乱暴な事業運営を行っていた時期があった。バブルが崩壊し、事業経営に国際標準という評価基準が持ち込まれ、ガバナンスや企業コンプライアンスといったカタカナが事業報告書に目立つようになって、今度は協同組合の企業化が進んだ。
協同組合は、もう一度進むべき道を見定める作業を行わなければならない時期に来ているのだ。経営主義に陥ることなく、しかも、事業体としての継続性はしっかり担保したうえで、協同組合に求められている未来の創造主としての役割を果たすことに自覚的に取組める協同組合にならなけらばならない。
私には課題が見えているが、舵を握らせてもらっているわけではなく、どちらかといえば舵から遠い場所におかれており、そのことが私の協同組合の中での無力感につながっている。ならば協同組合の職員という立場を離れて、別の立ち位置で、やらなければならないこと、やってみたいことにチャレンジしてみようというのが私の今年の決意である。
2017年1月1日日曜日
松本人志「安保法正反対は平和ボケ」に中居君反論
「日本人が70年間戦争で死んでない意味を考えるべき」
中居くん、良いねぇ。それに反して、松本人志、東野幸治・・彼らが体制擁護派なのは昔からのこと。マスコミが安倍首相応援団をつとめる以上、そのマスコミに喰わせてもらっている芸人が、マスコミの意を汲んで安倍首相に反対する勢力を扱き下ろすのは、政権与党の世論操作の常套手段。
浅墓な輩が跳梁跋扈するテレビ界は嫌いです。
中居くん、良いねぇ。それに反して、松本人志、東野幸治・・彼らが体制擁護派なのは昔からのこと。マスコミが安倍首相応援団をつとめる以上、そのマスコミに喰わせてもらっている芸人が、マスコミの意を汲んで安倍首相に反対する勢力を扱き下ろすのは、政権与党の世論操作の常套手段。
浅墓な輩が跳梁跋扈するテレビ界は嫌いです。
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