2023年6月25日日曜日

蝸牛

 毎日、スズさんと散歩している話は、前回書いた。百間川の堤防道路の町側の土手に、一本の枇杷の木が生えており、果実が食べ頃を迎えている。毎日ここを通るわけではないが、スズさんがこのルートを選んだ日は、枇杷の実を一つだけ採らせていだいて、そこで瑞々しい枇杷の実を味わっている。かみさんは他所の土地の枇杷を食べていいのか、と眉をひそめるのだが、公有地(?)に生えた枇杷の実の所有権は誰にあるのか?地域の住民みんなのものではないのか?誰にも採られることなく落果し、駄目になる実もたくさんあるのに、歩道に張り出した枝の小さな果実を、せいぜいワンシーズンに4つほどいただくことが罪に問われる気がしない。

 今日は、先客がいた。枇杷の木の葉から隣の葉に移動しようと目いっぱい伸びをしている蝸牛だ。蝸牛は移動能力はけっして高いとは言えない。山脈を乗り越えたり、乾燥地を渡るなんてことはできそうもないから、地域ごとに種分化が起こりやすい。したがって殻の模様は地域によってかなり異なり、筋の色が濃いのや殻に表れる模様や全体的な色合いなど、かなり違っている。小学生のころ、学校の先生から右巻きと左巻きの蝸牛がいるという話を聞いて、村中の蝸牛を捕って歩いたことがあって、その時に、同じ蝸牛でも見た目はかなり異なることを発見した。そして、圧倒的に右巻きの蝸牛が多く、左巻きの蝸牛はごく稀にしかいなかった。

 私は、蝸牛が好きだ。けっして早くはないが、滑らかにすべるようにゆっくりと進んでいく姿は見ていて飽きない。葉から葉へ移ろうとしている姿に見とれていたら、スズさんに引っ張られて我に返った。慌てて一枚だけ写真を撮って、「ごめん、ごめん。つい、蝸牛にみとれちゃった」となぜかスズさんに言い訳して、散歩に戻ったのだった。

 
 

2023年6月17日土曜日

スズさん

 スズさんが我が家にやってきたのはもう5年ほど前のことになる。そのころ一度ブログに書いたことがあるが、写真を載せるのは初めてである。写真を撮っている私の背後から誰かが近づいてくるのを、スズさんの大好きなかみさんではないかと覗き込んでいるのである。犬と暮らして気づいたことがある。

 意外に目は良くない。かみさんと見間違って、よその誰かさんを追いかけようとして、猛烈にダッシュすることがよくある。体重23kgのスズさんが猛ダッシュするとかなりの圧力で引っ張られることになり、ぎっくり腰になりそうだったり、リードとの摩擦で手に擦り傷ができるなんてことが起こる。良い加減に見間違えるのを止めてほしいと思うのだが、一向に改善しない。

 耳は良い。かなり遠くからでも声は聞こえるようで、良く反応する。ただし、嫌いな音も多くて、バリバリというバイクの爆音は嫌いで、遠くの方から聞こえる音でも耳をそばだてて、近づいてくるのか遠ざかっていくのか聞き分けようとしている。買い物用のポリ袋が擦れ合うカシャカシャという音も嫌い。それに太鼓の音、これは近くの公会堂で毎週木曜日の夕方、近所の子どもたちが集まって太鼓の練習をしているのだけれど、いつもはこの公会堂の前を通るコースで散歩に出かけるのだが、太鼓の音が聞こえると公会堂とは反対の方向に歩いていく。なによりも花火の音は大嫌いで、初めて花火に出くわした時には、その時リードを持っていたかみさんを猛烈な勢いで引っ張りながら逃げ出し、かみさんが必死にリードをもって走ってついていく姿がコミカルであった。この時は、かみさんと一緒に逃げ回っていたようで30分以上戻ってこなかった。

 鼻はよく利く。というか、いつもクンクンと匂いを嗅ぎまわっている。散歩に出ても、クンクンと嗅ぎまわるのに忙しくて、歩くペースは一向に上がらない。数百メートルを進むのに20分ほどかかるなんてこともしょっちゅうである。

 見ての通りの長毛犬種なので暑いのは苦手で、夏場の散歩はアスファルトが熱すぎて肉球を火傷してもいけないので、日が沈むころに散歩に出かける。家の中も暑くなるので24時間エアコンは回りっぱなしということになる。逆に寒い日は大好きで、朝は暗いうちから散歩に出、夕方も、明るいうちから散歩に行きたがる。そうはいっても仕事をしているので、スズさんの希望通りにいかない日も多いが、なんだかんだ言いながらスズさんに合わせて朝はかみさん、夕方は私がメインで散歩に連れて行っている。そのため私は毎日概ね1万歩は歩いており、ここのところの健康は、スズさんとの散歩によるところが大きい。

 自慢でもないが、今現在、特に医療の力を借りなくても、曲がりなりにも日々健康で暮らしている。もちろん、かつてアスリートのころ発症した脊椎分離症で腰痛持ちだし、左ひざの靭帯損傷があって長時間歩くと膝が重く感じ痛みもするが、仕事もスズさんの散歩もそれなりに楽しくやっている。これはもうスズさんに感謝である。

残るか、辞めるか、それが問題だ

  久しぶりにブログを更新する気になった。

 SNSはツイッターにインスタグラムがメインで、インスタグラムの投稿はフェイスブックにも表示されるようになっていて、もっぱらその二つへの投稿で何となく手いっぱいだったのだけれど、先月65歳になって役職定年を迎え施設長の任務を自ら解くことにしたので、何となく心に余裕が生まれた。140文字のツイッターならそんなに気張らなくても書けるし、インスタグラムは写真にキャプションつけてアップロードするだけだけど、ブログに少しまとまった文章を書こうとすると、テーマを考えて、何を書くか全体の構成を考えなければならない。心の余裕がないと書けない、というわけだ。

 もっかの問題意識は、来年の3月で定年を迎えるわけだが、その先をどうするかということだ。うちの事業所の就業規則(私が作ったものだが)では、65歳を迎えた年度末をもって定年とする定めとなっているのだが、本人が希望し事業所が必要とすれば再雇用で仕事を続けることができるようになっている。そこで、さてどうしよう、となる。

 私は、「生涯現役、生涯青春」を座右の銘としており、65歳で楽隠居を決め込む気は更々ない。私が残りたいと言えば、今の職場からは、おそらく残って欲しいと乞われるだろうが、法人がそれを承認するかどうか。私は、法人のやっていることに批判的だったし、その批判的な意見を比較的はっきりと発言してきた経過がある。事務局長などは、決して心よく思っていないはずなのだ。しかし、私の担当分野に強い職員が法人本部にはいないので、顔は見たくないし残って欲しくもないが他にやれる人がいないので、辞められても困ることになるかもしれない、大方、事務局長の考えているのはそんなことだろう。そんな法人の考えも透けて見える中で、私自身が残りたいかどうかだが、正直、今の法人に未来はないと思っている私がいて、私にできることは何もないのだから、次のステージに進むべきだと思う反面、今の職場である保育園に通ってくる子どもたちの顔を思い浮かべると、あと数年務めて、この子たちが小学校に進学するのを見届けてからでも遅くはないという考えが心に浮かんでくる。悩ましいところだ。

 私は、長く日本酒と付き合ってきた。単に日本酒が好きで、飲んできたということにとどまらず、日本酒を呑む様々な行事や企画を立案したり参加したりしてきた。「酒は百薬の長」という言葉ある一方で、適量を超えると害があると言われてきたが、2018年にワシントン大学医学部のエマニュエラ・ガキドウ教授のグループが中心になり、アルコールの世界への影響を調査した結果をまとめた論文が発表された。1990~2016年に発表された、195カ国からのデータが掲載された約600の治験論文を集めて分析を行った結果、僅かな飲酒でも健康にとっては「有害」という結論が導き出されたということだった。適度な飲酒はごくわずかに心臓を保護するかもしれないが、がんやその他の病気を引き起こすリスクを高めるので、そのわずかな利益も相殺されてしまうというのだ。適度な飲酒とは日本酒1合程度ということになる。それは承知の上で、それでも日本酒という日本の伝統的な酒文化はやっぱり守りたいし、日本酒という文化を守ることにつながる仕事を考えたいというのが私の本音ではある。

 それに、私の古い友人が建設業を営む会社を経営していて、細君が運営する介護事業所を所有しているのだが、その介護事業所を分社化したいので、定年したらうちにきて分社化を完成させ、新たな介護事業を企画し具体化してほしいと頼まれている。古くい友人で、色々と世話になってきたこともあるので、何とかしてやりたいという気持ちになっている。

 そうしたことが重なって、さてどうしたものかと思案しているところなのだ。「残るか、辞めるか」それが問題だ。なんだかハムレットみたいだなという考えが湧いてきて、思わず笑っている自分に気がついて、ちょっと驚いた。

 まだ時間はある。もう少し悩むことを楽しむことにする。