2024年5月6日月曜日

継続雇用

 以前、定年退職後、「再雇用で残るか、辞めるか、それが問題だ」と書いた。結論的には、再雇用で残っている。積極的に残ることを選択したわけではないのだが、一つには、理事長にもう少し残るよう頼まれたこと、二つには、3月31日の定年退職日がやってくるのに辞める決断ができなかったこと、三つには、2つ目の理由に深く関わるのだが、福祉有償運送のご利用者さんから残るように懇願されたこと、4つに、私が立ち上げた事業の私の次の責任者から、何かあった時に相談できる人がいないので、ぜひ残って欲しいと頼まれたこと、などがその理由だった。

残ることにして、労働条件通知書を受け取った。契約期間の定めがある雇用契約で、契約期間は1年間、つまり1年毎に契約更新という手続きが必要で、上限年齢は68歳だそうだ。それはまあ良い。給与は時間給となり、時給は1,330円、フルタイムのパート職員というわけだ。私には、法人の経営に貢献してきたという自負があるが、その私に与えられたポジションが、フルタイムパートというわけだ。別に敬意を表してほしいというわけでもないが、こういうやり方で高いモチベーションを持って働けると考えているのだろうか?おそらく何も考えてはいない。そういうことがわからないのだ。残念感が漂うが致し方ない。

そういえば、正規職員と非正規職員の間の不合理な待遇差が禁止された。そのルールからするとおかしくないかという出来事に遭遇した。先日、年次有給休暇を時間単位で請求したのだが、「パート職員には時間単位年休は付与されない」という回答だった。フルタイムで働いているので、当然、常勤職員と同等に時間単位年休が取得できると思っていたのだが、駄目だとのこと。労働条件通知書を見直してみたが、時間単位年休は確かに「なし」とされている。これって、不合理な待遇差に該当するんじゃないかなぁと思いながら、まあ良いか、もともと時間単位年休って、年休の取得率をなんとかあげようということで始まったものなわけで、1日単位で取得すればいいだけの話だからね・・・、なになに、半日単位では取れるのか、なるほど。

あらためて労働条件通知書を眺めて、従事する業務の内容に「成年後見事業」と書かれていることに気づく。関連法人を立ち上げて、「成年後見事業」を始めよ!ということらしい。理事会で議論されたことを聞いていたら、2024年度中に成年後見事業をスタートするという方針で、業務で別法人の設立を担当できるということらしい。なかなか太っ腹だとも言えるかな。給料出してもらって別法人の準備ができるんだから言うことはない。ただし、新法人設立について、法人からは金銭的な応援はないらしいので、立ち上げにかかる費用は私が捻出しなければならないということのようだ。それもまた良い。

ちょっと問題なのは、私が、もしかしたらかみさんの実家のある京都に引っ越すかもしれないってことだ。その場合、せっかく設立した法人を残していかなければならないとすると、ちょっと残念なんだけど、持っていくっていうものまた、それはそれで難しい問題も含んでいるので、持っていくわけにもいかないか・・・、まっ、良いか、いずれにしても与えられた「仕事」として、きっちりやってから京都に行こう。そしてまた、私のことだから、京都で、新しい法人を立ち上げることになるのだろうな。

労働審判

 私の後輩が「労働審判の申立を行う」という相談にやってきた。彼女は、出産後育児休業を取得し、職場に復帰しようとしたとき、元の職場に復職できなかったというのだ。彼女は、管理栄養士で、特別養護老人ホームで働いていた。特別養護老人ホームは、高齢者の生活の場であり、当然のことながら食事の提供を含んでいる。言うまでもないことだが、高齢者にとっての食事はとても大切で、健康と直接結びついているため、とても働きがいのある仕事だ。

管理栄養士が育児休業に入ったら代替要員の配置が必要で、この特養でも派遣会社から管理栄養士を派遣してもらっている。彼女が職場に復帰することになれば、当然のことながら派遣契約を終了させて、彼女を原職復帰させるというのが正しい対応だ。

育児休業は、雇用契約を変更することなく休業する権利であり、職場復帰後も職務や勤務場所にも変更はないのが原則になる。にもかかわらずその特養の施設長は、彼女を別の施設に異動させたのだ。長く休んでいたので研修が必要だからという理由で、障がい者福祉施設に異動させられ、仕事は管理栄養士とは全く別の介護補助者として働かされることになった。百歩譲って研修が必要だったとして、管理栄養士として復帰させる前提ならば、高齢者福祉施設でこそ研修を受けさせるべきで、障がい者福祉施設で、しかも無資格でも働ける介護補助者として働かせるなどありえないことだ。

それでも彼女は元の仕事への復帰を期待して働き続けたが、一向に原職復帰の話が出ず、ついに退職することを決意したのだ。しかし、考えてみれば、本来原職復帰が当たり前の介護休業あけに、本来の管理栄養士の仕事とは似ても似つかぬ、無資格扱いするかのような仕事をさせたことには「退職に追い込む」という悪質な意図が透けて見える。

彼女の立派なところは、その施設長の悪質な意図に泣き寝入りすることなく、労働審判を申し立てる決意をしたことだ。「普通に管理栄養士として働き続けたかっただけなんです。」と彼女はいう。それを認めてくれないのはおかしいと言っているのに、「法人も施設長の肩を持って、私の願いを聞いてくれないんです。」とも・・・。そして、退職を決意したのだが、その不条理なできごとに敢然と立ち上がり、自分で申立書を作成し、労働審判を申し立てることにしたのだ。

実は、その施設長は、彼女の前にもパワハラで女性職員一人を退職に追い込んだことがあり、その退職した彼女の次の働き先を私が紹介して、今は、元気に働いているのだが、事実として、パワハラのような卑怯なやり方で職員を意のままにすることができるかのような勘違い男だということを説明するのに、申立書に私の名前を書いていいかと、わざわざ確認しに来てくれたので、労働審判に持ち込む事案について私の知るところになったというわけだ。

もともと当該施設長は私の下で働いていたこともあり、私のよく知る人物でもあるのだが、責任のとり方というものを全くわかっていないやつで、私の下にいるときに、私にしょっちゅう注意され、自分で自分の行動を改めないことを棚に上げて、私に「それパワハラじゃないですか。」と言ってきたことがある。そのときに、「こいつは駄目だな。」と見切りをつけて、法人内での居場所がなくなってしまった彼を、私の知り合いの法人に採用を頼んだという経緯がある。

書かなくても良いことだが、採用試験で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と国民の生存権を規定しているこの法律は何かと問われて、「生活保護法」と書いたのだ。「『最低限度の生活を営む権利』とあったんで、生活保護法かなと・・・。」と、試験後私に聞いてきたので、「君は、社会福祉学部で何を学んできたのだ!出題されたのは憲法25条じゃないか。社会福祉学部の卒業生で憲法25条を知らないとは・・・、しかも、卒後30年近く福祉の現場で働いてきたのではないのか!」と言ってやって、すぐに紹介した法人の採用を担当した業務執行理事に電話して、憲法25条がわからないようなやつを紹介した非礼を詫たのだった。それでも私の紹介だからということで採用してくれて、さらに、運良く施設長のポストが空いたものだから分不相応に施設長におさまってしまったのだ。

パワハラで辞めた彼女も、労働審判を申し立てた彼女も、廻り廻ってその原因は私にあるのではないか。とても他人事には思えず、何かあればいつでも力になるよと彼女に伝えて、「権利は闘うものの手の中にある」というような話をして別れたのだった。