2017年6月16日金曜日

総理の品格

 森友学園問題から加計学園問題にいたる、安倍晋三内閣総理大臣による国有財産の払い下げ疑惑の経過を見ていて思うことがある。以前にも書いたことがあるが、卑しくも政治家たるもの政治家としての品格が備わっていることが、政治家としての最低条件ではないのだろうか。それが内閣総理大臣ともなれば、日本を代表して国際的役割を果たす場面も多く、清廉高尚な人物でなければならないことに異を唱える人はいないだろう。
 さてそこで安倍晋三という人物を検証してみたい。私に人物を語る資格があるとかないとかいうことを問題すると話が前に進まないので、そこは目をつぶっていただき、しばらくおつきあい願いたい。
 昨年夏の参議院議員選挙を振り返ってみる。そこで彼は「最大の争点は経済政策だ」といっていた。
 第二次安倍内閣の2014年、憲法を骨抜きにするかのような集団的自衛権を認める閣議決定を行い、その翌年には戦争法案を国会提出、国民世論の反対を振り切って安全保障関連法制が成立しているが、この経過を見ただけで安倍晋三総理の反国民的な性格が明らかだ。憲法第99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と定めており、憲法を変えることを前提に憲法解釈に変更を加え、戦争法制を整備するなどということは、そもそも国会議員には認められていない。
 この時点で私は安倍晋三という政治家を信頼できない政治家と認定したのであるが、その安倍さんが「最大の争点は経済政策だ」と言ったのには意味がある。その前の総選挙を思い返せば自民党は「TPP断固反対」というポスターを貼って選挙を戦った。その後、安倍総理が「私自身は一度もTPP反対と言ったことはない」と国会で答弁して笑いものになったが、確かに農村部で「TPP断固反対、ぶれない」というポスターを自民党が貼りだしたたのは事実だ。自民党総裁が、自民党のポスターで主張していることを、私は発言していないといって平然としている姿は、私にはかなり奇異に映ったのだが本人はいたってへっちゃらである。
 安倍総理にとって、参議院議員選挙で一番大事なのは、改憲に必要な三分の二の勢力を確保することだった。戦争法で全国的に騒然となった状態で憲法改正を争点にしたのでは戦えないということで憲法改正に向けた決意とは裏腹に「最大の争点は経済政策だ」と言ってのけたのである。
 そして経済政策で成功しているかのように「雇用が増えた」「有効求人倍率が改善した」「最低賃金を引き上げた」と自分に都合のいい数字を取り上げて自慢し続けた。確かに大企業の業績は上がったが、勤労者の実質賃金は減り続け、当然のことながら個人消費が冷え込み、景気は良くなるどころか悪化したというのが国民生活の実態だ。
 こうした事実を見てくると、安倍晋三という人物がどんな考え方を持っている人なのかが見えてくる。すなわち自分の都合の悪い情報は取り上げず、自分の本音は隠して、国民の知らぬ間に憲法改悪を画策し、国民の苦労はそのままに財界のための経済政策を展開して心が痛まない・・・そんな人物が政権を握り、共謀罪などという国民を自由に監視できる法律を準備している状況を、国連特別報告者が「プライバシーや表現の自由を不当に制約する恐れがある」と指摘した。

 こう書き出してみて、途中で嫌になった。何で日本国民はこんな人物に国政を委ねているのだろう。ここに書いたことを見ただけでも、どう見ても安倍晋三氏に総理の品格が備わっているとは思えない。経済特区でスピード感をもって新しいことをやる。それは良いが、政治家たるもの「李下に冠を正さず」を忘れてはなるまい。身内びいきではどんなに良い政策でもそこに私心(自分の利益だけを考える心)があるのではないかという疑念が生じる。そんな疑念が生じる隙を与えない立ち居振る舞いのできない者が、総理の椅子に座っていて良いはずがないのだ。